リアリズムとファンタジー

vivantについて、続きなのだが、そういえば私も特務内親王遼子とか潜入捜査官マリナとか、特殊な任務についた軍人や警官の話を書いたりもしたのだが、普通に考えて、そういう特務機関の存在を完全に隠蔽するのは不可能であろうと思う。特務内親王遼子では

「我が軍には、特務、などという機関も職種もないはず。それに軍命であれば、なおのこと、上官の命令によらなくては、私はあなたにお手伝いのしようがありません。」

「そんなことは、上等兵のおまえに言われなくてもわかっている。特務は特務だ。軍隊とは直接関係ないから、おまえが知らなくて当然だ。おまえの上官は誰だ。」

などという会話をさせたりしている。そういう特務機関が現代の日本に存在するという設定自体がこのvivant というドラマをファンタジーにしてしまっている。まあ、ファンタジーで良いんだというのであればそれはそれで良いのだけど。また、いくら射撃の腕前が天才でも、心臓の付近を撃って急所を外すというような撃ち方ができるはずがない。できたとしたら魔法だ。拳銃などというものはそんなに正確に狙えるものではない。

リアリズムとファンタジーは混在できない。リアリズムにファンタジーを混ぜようとすると結局すべてが夢の国の魔法の話になってしまう。それがvivantの最大の弱点であって、とりあえずシーズン1はそれでなんとか完結させたとしてもシーズン2以降の続編を作ろうとするとますますその設定が足枷となり、ちぐはぐなものになっていくような気がする。

homelandで登場人物はみな優秀だが欠点も持ち失敗もする。それが現実でありリアリズムである。ゴルゴ13は常に単独行動し狙撃を必ず成功させるがそれはゴルゴ13が漫画でありファンタジーであり、劇画でありギャグ漫画であるから許されるのであって、vivantで実はこれはファンタジーなんですと言われたらしらけるだろう。

Visited 6 times, 1 visit(s) today

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA