王道の狗

ふと思った.漫画家というのは必ずしも絵がうまくなくてもよいわけで,個性的な絵が描ければよろしい.さらに言えば,原作は他に居てもよいわけで,ストーリーを考える能力はなくてもよろしい.

シナリオもネタ集めも,絵のアシスタントも,良い漫画がかければなんでも使えるものは使えばよいわけである.

それはまあよいとして,では一番絵のうまい漫画家というのは誰かというと,それは池上遼一か安彦良和だろうと思う.いや,もしかしたら黒鉄ひろしとかもうまいのかもしれない.そういうこと言い出すとバカボンドとか北斗の拳の作者もうまいうちに入るかもしれない.まああまり追求するのはやめておこう.

で私がなにを言いたいかと言えば,それは安彦良和の「王道の狗」 (ミスターマガジン) である.これはすごい.作・画ともに安彦良和.安彦良和といえば「ガンダム」のキャラクターデザインである.ここまでは誰でも知っている.そして「アリオン」.これもわりと有名.「クルドの星」.うーむ,これも私は読んだけど,あまり有名じゃないかな.「アリオン」を描いた理由はなんとなくわかるような気がする.ギリシャ神話ってなんとなく描いてみたいよね.「アリオン」と「クルドの星」はわりと連続性があると言える.ギリシャとトルコはエーゲ海を挟む隣国だから.取材か何かでギリシャに行けばトルコにも足を延ばすでしょう.ちなみに「クルドの星」というのは,トルコとイラクの国境辺りに居るクルド人のゲリラの話である.で,そこから「王道の狗」に来るのはちょっと飛躍があるようにも思えるが,しかし,トルコから日本の明治維新へ来るというのは,なんとなくわかるような気がするのである.

今度の「王道の狗」はすごい.そしてほとんど誰も注目してるふうがないところがまたよい.売れる漫画ではなく,描きたい漫画を描いているのだろう.読者にこびるようなところがまったくないのがよい.最初はすげー地味で難解な展開だったが,これから派手になるので,どんどん注目されるようになるのではないか.

風俗・時代考証がものすごく正確 (だと少なくとも私の目には思える).陸奥宗光がでてる,それだけでもすごいが,李鴻章やら孫文やら大院君やら袁世凱やら閔妃やら勝海舟やらどんどんでてくる.ものすごくすごい.陸奥宗光の描写がすごくよい.その他の公人,民間人,武道家などの日本人の描写がうっとりするくらい良い.清や朝鮮の宮廷や市街の描写がまたよい.弁髪の支那人と総髪の朝鮮人がみごとに描き分けられている.今回,金玉均が漢江河畔に晒された.この描写がまた凄絶だ.また,上海のジャンクを蹴散らして進む清の砲艦.このガンボートの描写がまたすごい.

砲艦!!
李! きさまっ (手書き)
そこまでやるか!! (手書き大)

安彦良和の手書き文字はとても色気があるっ.

安彦良和はたぶん北海道の出身だったが,主人公が政治犯でアイヌの格好で身を隠す.その習俗の描写がまたすごい.なにからなにまですごい.そのうち日清戦争だとか安重根の伊藤博文暗殺だとか日露戦争だとか日韓併合だとか辛亥革命とかもやるのだろうか.すごいなあ.

柳沢教授を読んでいて思ったのだが, Have you been living here? の独訳は Wohnst du hier? なのか ?
なぜドイツ語では現在形で,英語ではわざわざ現在完了進行形なのか ?
英語はむしろ Do you live here? の方がましではないか.
いやこれは些細なことにすぎない.
ドイツ語の口語は現在形を多用するのかもしれん.
しかし,いくら子供とはいえ,また,柳沢教授の性格から言って,
見ず知らずの外国人に Wohnst du hier? というのはなれなれしすぎではないか.
Wohnen Sie hier? というべきではないか.
柳沢教授はフランス語でも尋ねたのだが,私はフランス語は知らないので,フランス語については省略する.
もちろんもっとおかしいところはある.
モンゴルのウランバートルの浮浪児にいきなり英語,ドイツ語,フランス語で質問するのは大学教授だからっていくらなんでもバカすぎないか.
まずモンゴル語,つぎに漢語,さらにロシア語か英語の順で質問するのが筋というものだろう.

パパはニューギニア

パンダ密猟は死刑。アブラハムはイサクを殺した。バイトをオクテットと言うとかっこいい(笑)。

相原コージが「例に出して悪いけど、…「パパはニューギニア」の連載と共に「ギャグマンガは死んだ」のだ」などとほざいている。そんなことより、最近の吉田戦車がつまらないことの方が重大問題だ。「いじめて君」のころは面白かったのに。

中島敦@南洋庁パラオ支庁

割合ひまだったので中島敦をまとまった分量読むことができた。

彼は南洋庁パラオ支庁に居た。第一次大戦でドイツから取った領土だ。そこへ行ったのは、喘息の療養を兼ねてのことだったようだ。小説の評判が良いので帰国したら、横浜で早速風邪をこじらせた。スティブンソンはロンドンで死にかけて、南洋に引き返して命をながらえたが、中島敦はそのまま日本で死んでしまった。日本に帰らなくとも、すぐに戦争が始まって大変な思いをしたことだろう。ただ中島は、

> いや、そうではない。お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠ではなかったはずだ。それは、新しい未知の環境の中に己を投げ出して、己の中にあってまだ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないか。さらにまた、近く来るべき戦争に当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険だったのではないか。

という恐るべき覚悟を記している。

山月記、名人伝などはもちろん高校生の頃読んでいたのだが、その異常な世界は、中島敦が熱烈な西遊記ファンであるところからきているようだ。彼が生きていた時代が精神主義全盛期だったことも関係あるかもしれんが。文字禍、悟浄出世、悟浄歎異、など、寓意の体裁であるがあからさまに彼自身が投影されていて、私小説よりもむしろ直接的だと思えた。