アドニヤ

たとえばダビデの第四子の名はアドニヤというが(サムエル記 3:4、列王記上 1:5, 2:13、歴代誌上 3:2)、これがアドンに由来するのは間違いあるまい。他にもアドニラム、アドニカム、アドニ・ツェデク、アドニ・ベゼクなどの名前もある。ただしアドニ・ツェデク、アドニ・ベゼクは、ヨシュアが滅ぼした王の名であって、ベゼクの主、ツェデクの主、と言う意味にも取れるのだが。

YHWH

いろいろ読んでみると、 YHWH をヤーウェとかエホバと読んでいるのはキリスト教徒だけであり、ユダヤ人は、いつからかは知らないがそうとう昔から今日に至るまで、アドナイと読んでいるのだそうだ。

昔は、YHWH にはちゃんとした発音があったのだが、神の名をみだりに称えてはならないために、アドナイという新しい呼び名が考え出され、本当の名前はいつのまにか忘れられた、のだそうである。

本当にそうなのだろうか!? むしろ、YHWH という神聖四文字の方が新しく、アドナイという呼び方の方が古いのではないか、と思えるのだが。

アドナイと同じくらい古いのはエル(神)、シャダイ(全能者)などか。

アトン

どうもいろんなものを読んでみて思うに,イスラエル 12 部族のうち,ヨセフの一族(エフライム族)というのは,もともとエジプト人だったか,エジプトに寄留し,半ば隷属した遊牧民(ヘブル人)だったか,あるいはエジプト人とヘブル人の混じり合ったものだったのだろう.あるいはエジプト人の中で零落した階級がヘブル人だったかもしれない.ヨセフの一族はイクナートン派で,一神教の継承者だった.それでエジプトを脱出し,当時のエジプトの辺境であるイスラエルに来た.もともとイスラエルに住んでいた人たちは多神教,というかそれほど明確な宗教を持ってなかった.そこで,エジプトから脱出してきたヨセフの一族の宗教を中心にして,共同体を作った.部族ごとにばらばらに伝承があったが,それをうまく混ぜ合わせたのがユダヤの神話だということになる.そうすると,まるで,一神教というものがイスラエルという遊牧民族に自然発生したようにみえる.しかし,遊牧民族の中で一神教が生まれるというのは理解しがたい.もし遊牧民族に一神教が生まれる性質があるというなら,世界中に生まれていただろう.「専制君主が人民に契約を命じる」という形を取っているのだから,エジプトや,あるいはバビロニア,ヒッタイト,アッシリアなどのような,当時のオリエントの大国の影響を受けたと考えるのが自然だろう.

「主 == アドナイ or アドーナイ == アトン」という珍説はなかなか面白い.フロイトが初めてそれを言ったというのも面白い.出エジプト記や申命記の中の「主」を「アトン」で置き換えると,すらすらと意味が通るところがいくらもある.例えば出エジプト記 6:2~

神はモーセに仰せになった.私はアトンである.私は,アブラハム,イサク,ヤコブに全能の神として現れたが,アトンという私の名前を知らせなかった.私はまた,彼らと契約を立て,彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した.私はまた,エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き,私の契約を思い起こした.それゆえ,イスラエルの人々に言いなさい.私はアトンである.私はエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し,奴隷の身分から救い出す.腕を伸ばし,大いなる審判によってあなたたちを救う.そして,私はあなたたちを私の民とし,私はあなたたちの神となる.あなたたちはこうして,私があなたたちの神,アトンであり,あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る.わたしは,アブラハム,イサク,ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ,その地をあなたたちの所有として与える.私はアトンである.

ヨセフが仕えたエジプトの王がイクナートンだったとする.イクナートンは,エジプトの伝統的な上流階級の人々ではなくて,ヨセフのような寄留者たちを自らの改革に抜擢したかもしれない.その見返りとして,当時エジプトの領土の一部であって,ヨセフたちがかつて寄留していた,辺境の地カナーンをやる,という約束をしたかもしれない.これはごくありそうな話である.イクナートンという人は地方で反乱が起きても鎮圧したりせず,放っておいたくらいだから,イスラエルを自分の言うことを聞いてくれた現地人にくれてやる,ということくらいは言ったとしてもおかしくない.というかこれは封建制度そのものだ.

ところがイクナートンの改革は失敗し,ヨセフらは奴隷の身分に落とされた.ヨセフの子孫はイクナートンとの間の「契約を思い起こし」,エジプトで奴隷となっているよりはと,イスラエルを目指して脱出したのではないか.つまりイクナートンの宗教改革は確かに一神教というものを創始したのだが,それを「神との契約」という形に完成させたのはやはりイスラエル人なのだ.

ヨセフらの神には名前はなかったのだが,このとき初めて「アトン」という名前が明らかにされた.「主」が一般名詞であれば,「私はあなたたちの神,主である」などというくどい言い方をするだろうか.「主」は本来固有名詞,つまり「アトン」だった可能性は高い.

一神教の起源

今日、ステーキのドンで山川出版の世界史小事典をながめていて、ふとヒラメいたのだが、それはユダヤ教の起源ということだ。山本七平は、ユダヤの一神教は、オリエントの専制君主制が宗教化したものだ、と言っている。また、ユダヤ教はオリエントの多神教の中では唯一例外だ、とも言っている。しかし最も古い一神教というのはエジプトのアトン信仰である。エジプト新王国、第 18 王朝のアメンホテプ 4 世、またの名をイクナートンと言うが、彼の宗教改革によって、世界史の中に忽然と現れたのが、最古の一神教だ。イクナートンの宗教改革は失敗し、彼は BC 1354 年に死ぬ。そのあと第 18 王朝は滅びて、古くからのアメン神を中心とする多神教が復興し、アメン祭司長が王に即位し、第 19 王朝が始まる。この王朝の基礎が固まったのは、BC 1290 年に即位したラメス(ラメセス) 2 世からである。

さて、出エジプトという事件が起きたのがまさに、このラメス 2 世の治世のことだと言われている。
モーセという指導者が(たまたまエジプトに寄宿し)、奴隷階級で圧政に苦しめられていたイスラエル人を率いて、エジプトを脱出し、カナーンへと旅立つのである。

さて我々はここに注目しなくてはならない。一神教というのはいったん成立してしまうと、なかなかしぶとくしつこいものだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、皆同じ。ところが、エジプト史では、ただ一代限りのこととして、雲のように消えてしまったことになっている。しかし、ほんとうは、BC 1354 年にイクナートンが死んでも、しばらく彼ら一神教徒は存在していただろう。その中には王族もいれば庶民もいただろう.彼らはおそらくは、政治闘争に敗れたのだから、被支配階級として!つまりは最下層民として、奴隷階級として,存在しており,抵抗運動も行なっていたに違いない.これがイスラエル人なのだ!

BC 1290 年にラメス 2 世が即位し、エジプトの新しい王朝がうまく行き出して、もはや挽回の機会はないと観念したイスラエル人たち、彼ら一神教の信者たち、或いは旧王朝の遺民たちは,自らの信仰と自由を守るために、エジプトを脱出したのだ。ピューリタンが新天地を求めてアメリカに渡るようなものだ。いわゆるカナーン、いまのパレスチナは、もともとエジプトの領土だったこともあるのだから、
国外逃亡というよりは、地方に反中央政権を作ろう、というくらいのつもりだったかも。

モーセの出エジプトは、イスラエル人がまだエジプト人だったころの遠い記憶をとどめているのだよ。

あまりにうまくすっきりと説明できるので私は驚いたね。このような説がいままで世の中に出てないとは信じられないのだが、誰かどこかで聞いたことはありますか。

あっ,ここにも同じことが書いてある.柄谷行人の本で、フロイトが「モーゼはエジプト人だった」と言ったという話.

補注.第 18 王朝は,イクナートンの次のツタンカーメンで BC 1345 年に終わる.名前でわかるように,彼はアメン信仰に改宗させられている.思うに,イスラエル人が生粋のエジプト人だったか,或いはどちらかというと辺境からきた寄留者だったかというのは微妙だ.旧王朝の王族だった連中はもともとのエジプト人だっただろう.しかし,新しい信仰に共感したのは,昔からのエジプト人というよりは,古い伝統には関心が薄い寄留民たちだったかもしれない.だからアトン信仰は主にエジプトに集まってきた外来の遊牧民たちに広まったのかもしれない.どちらにしろ,明確にどっちということはできないように思う.うーむ.しかし,イクナートンが遊牧民の影響を受けた,とも言えなくはない.

おおっ. これは詳しい.

Tomb Raider III

最近一番良く読んでいる英文というのは実は
これ
だ(笑)。
今は主に Tomb Raider III をやっている。
India, London, Nevada がやっと終わり、
今は South Pacific Island で、
後は Antarctica Level が残っている。

インドでは主に猿や虎を殺した。
これはまあいい。
ロンドンでは悪の組織の下っ端やボスを殺した。
これもまあ良いとしよう。
しかし、
ネバダでは刑務所にぶちこまれ、脱走し、他の囚人を逃がして MP をぶち殺すし、
南の島では土人を射殺して集落を荒し回る。
これはどうも人道に外れているようでしかたない。
MP というのは堅気の仕事で、たまたま軍隊にいたり、警察にいたりしてるだけである。
父母もいれば妻子も友人も居るに違いないのに、
自分の都合で殺してしまってよいのか。
ララは犯罪者以外の何者でもない。
土人はよそものが部落に入り込めば抵抗するのは当たり前で、
それを殺すのはただの人殺しである。
アムロの母なら「おまえすさんだねぇ」と言うところだ。

Nevada の Area 51 には UFO と宇宙人の死体が隠してある。
なんにしろ、これは軍の基地であり、
そこで殺人や破壊活動をすれば国家反逆罪で即死刑だろう。

Tomb Raider の I, II, IV の場合、
ララが人殺しをしてもその暴力にはなにかの言い訳がある
(悪役でないかぎり、ゲームや映画でも普通そうだ)。
例えば、悪魔に操られていたり、忍者だったり、刺客だったり、新興宗教の狂信者だったり、
いきなり襲ってきたりする。
ところが Tomb Raider の場合、明らかになんの罪もない普通の人を、
財宝を手に入れるというただそれだけのために、淡々と殺すのである。

山本書店

市ヶ谷の山本書店に行ってみた。駅からだとすごくわかりにくい。しかし防衛庁正門からはわずか 1~2 分の距離か。そのあと上野の東京国立博物館に行く。この博物館は実に広い。四大文明エジプト展最悪。人が多いのは耐えられない。常設展だけで十分だ。

不忍池は一面蓮だった。これは壮観だ。蓮と葦では葦の方が強いので、ほうっておくと葦だらけになる、と思われるのだが、そうではないのか。葦は河原などに生えて、池には蓮の方が適しているのだろうか。