某鉄道会社の予約サイトを使いながら私がtwitterの何にブチギレていたかってことがなんとなくわかった。つまり何よりもまずそのユーザーインターフェイスが不愉快なのだった。融通が効かない。人をイラッとさせる。どこかのブログサイトでもそう。AIについてもそうだ。コンビニのレジの店員についてもそうだ。そのシステムを開発した設計者が嫌いなんだと思う。そのシステムの仕様の悪さ、コンセプトの未熟さ、こなれなさ、配慮の欠如、などのほかに、或いは私のがわの生理的な問題もあると思う。
このシステム、こうなってればいいのになんでこうなってないんだろう、ってことに、いちいち関わっていてはこちらのメンタルが削られるだけで、何の意味もないってことはわかってるのについ気にしてしまう。田舎にいけばこのくらい不合理なことはいくらでも残っているだろう。犬が無駄吠えしたり。飲食店では当たり前のように喫煙していたり。いちいちそうした田舎に行かないから気に障らないだけなのだ。気に障ることはできるだけ気にしない。見ない。近づかない。そうやって自分が死んでこの世からいなくなるまで待つしかない。
すべてのものは開発途中であり、おそらくは徐々に改善されていくのだろうが、いつもいつも癇に障ることが何かしらあると、もうこれ以上使いたくない、となる。
twitterを使わなくなって、今までいかに無駄な時間をtwitterに費やしていたかということにも気づいた。そう。twitterは人生の無駄だ。たまに世間が何を言っているのか見るためにざっと目を通すのは良いかもしれないが、惰性でずっとみていたり、なんかに反応して書き込んだりするのは無駄以外のなにものでもない。
twitterのコンテンツ、というか、たわいもない個人の発言を眺めること自体は嫌いではないようだ。問題はそこじゃない。