小説の英訳

さて何かブログに書こうかと思っても最近はいろいろ気が散ることが多くて、ツイッターに何か書き込んだり、調べ物をしたりしているうちに、 執筆意欲というものがどんどん消費されていって、他にもいろいろやらなきゃならないことが思い出されてきて、結局書かないってことが多い。 以前はそうではなかった。2010年くらいまでは、twitter や facebook はまだ閑散としていたし、電子出版というものがそもそもまだ普及しておらず、 kdp など影も形もなかったから、何か書きたい衝動が起こってきたらブログに書くしかなかった。

『1984』に主人公の Winston Smith が「さて何か日記を書こうか」と思い立ったときの心境が描写されているのだが、これがいまさらながら少し面白い。 最近は英語の原作をぼちぼち読み始めているのだが、 やはり、日本語訳で読むときと原文で読むときではかなり雰囲気が違う。 この雰囲気というものを訳すのはやはり難しい。 なんで英語の小説を原文で読み始めたかといえば、自分が書いた小説を一部英訳してみようと思ったからだ。 思うに英語を読まねばならぬという義務感のようなもので読み始めても頭に入っていかず、結局途中で読むのをやめてしまうのだが、 自分の小説を英訳したいという動機があり、その自分の英文にはなはだ自身がなく、他人の小説の言い回しを参考にしようという下心があると、不思議と読めてしまうものだ、ということが今回わかった。

> He sat back. A sense of complete helplessness had descended upon him.

まあたったこれだけでも、英文と和文では受ける印象が違うのがわかるというものだ。 A sense of complete helplessness。意味はわかる。しかしこれをどう日本語に訳すのか。自然な意訳ならば「完全な絶望感」とでもなろうか。He sat back。これも案外難しい。意味は明解だ。しかし、back をわざわざ訳すと長ったらしくなる。sat すら訳せない。座っているのは自明なのだから訳すまでもない。もとの 3ワードの簡潔な文をどううまく訳すのか?たぶんこれは訳せない。「彼は真新しい日記を見つめながら途方にくれた。」くらいにしか訳せないと思う。

> For whom, it suddenly occurred to him to wonder, was he writing this diary?

この言い回しもなかなかしゃれていてかっこいい。まず For whom、と来て、その後に挿入節、というか転置された文が挿入される。しかしこれも和訳すれば単に「誰のためにこの日記を書こうとしているのか、という疑問が突如彼に涌いてきた。」くらいにしかできまい。

> For some time he sat gazing stupidly at the paper.

こういう書き方ね。これが George Orwell という作家の持ち味なんだが、これを日本語で表現するのは難しい。「しばらく彼はぼんやりと紙の上を見つめていた。」とでも訳しようがないのだが、それでは元の味わいというものがまるででてこない。 たぶん私ならこの sat は書かない。he gazed stupidly at the paper. と書くだろう。日本語にも特に訳しようがない。stupidly もここで「馬鹿のように」と訳すと直訳臭がするから「ぼんやりと」とでも訳すしかない。でもそうすると明らかに原文の味は失われる。でまあそういう英文の「味」をうまく和文に変換できれば、おそらくだが、村上春樹みたいなシャレオツな文章になるのだろう。この、シャレオツと直訳臭の違いは純粋に感覚的なものだから、誰もが書けるわけではあるまい。村上春樹のパロディみたいな文章は、割と誰にも書けるのかもしれんが。

単に英語の勉強のために英文を読むのではなく、つい私の場合、著作権が切れた作品を英訳してみようという色気が出てきてしまうのだが、別に著作権が切れてなくても、ハリーポッターなんかは読んでみたりしている。 George Orwell の著作権が切れてるかどうかはぎりぎりのところでなんともいえないが、どうも私にはうまく訳せるようには思えない。しかし、うまいかへたかはともかく訳せば少なくとも自分の勉強にはなるし、売れれば多少の収入にはなるわけだ。

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