亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for 9月, 2014

スーパーサイズミー

09.12.2014 · Posted in

スーパーサイズミーという映画はただ30日間、 スーパーサイズのハンバーガーを食べ続けたというだけの映画ではなく、 アメリカの学校給食事情などが取材されていて興味深い。

アメリカの通常の公立学校の給食というのは、いわば自由主義であって、 おそらく国家は給食業者を恣意的に選別してはいけないという思想に基づいているのだろう。 だから業者はチョコレートでもポテトチップスでもなんでも売る。 もちろんそうではない、ダイエット食のようなものも売る。 どの食べ物を選ぶかは子供の自由、あるいは子供をしつける親の責任、ということになる。

で、もし、子供の体重とか健康をきちんと管理したい親は、 子供をそのようにしつけるか、 あるいはそういうしつけをしてくれる私立の学校に通わせる。

その結果子供も大人もどんどんデブになっていくのでこりゃまずいんじゃないのという考えが、 「良識あるアメリカ人」に芽生えてきた。

実際アメリカの飲食店はどれもこれもスーパーサイズでシズラーやデニーズなども日本に比べればはるかにスーパーサイズで、 Tボーンステーキとかばんばん出している。 マクドナルドだけがスーパーサイズなわけではない。

一方日本では一部にやたらと大盛りの焼肉丼とかラーメンを食う文化があって、 それがアメリカのスーパーサイズ文化と或る意味共通していている。

今の秋葉原に行くと、これはアメリカをバカにはできぬと思う。 アメリカ以上にバカである。 昔はこうではなかった。 秋葉原は比較的食文化的には貧困な町であった。 食事をしようと思えば御徒町・上野・御茶ノ水、あるいは神田まででかける必要があった。 あるいは昭和通り沿いに多少の飲食店があったくらいだ。 もちろん皆無ではなくて昔から多少の居酒屋や定食屋などはあったわけだが、 わざわざ秋葉原に食事をしにいくという風潮はなかった。 夜八時を過ぎると閑散とした町になる。 ある意味神保町もそんな町だった。

今の秋葉原はあれは何だ。 電子部品やPCパーツを売る店の隣にラーメン屋やハンバーグ屋があってむさくるしい男たちが行列している。 あれを見苦しいといわずしてなんといおう。 ラーメン屋もじゃんがらが出店したころはまだかわいかった。 いまじゃ二郎もどきがどんどん店をだしている。 このまま秋葉原が進化しつづけたらと思うと恐怖だ。

電子部品やPCパーツや、せいぜい同人誌なんかを売る町だったころはまだよかった。 コスプレしたメイドがちらほら恥ずかし気に歩いてたころはまだよかった。 24時間365日不夜城のコミケみたいな町になってしまうのではなかろうか。 なんかのテーマパークみたいに隔離したほうがいいんじゃないか。

ま、それはそうと、あれは非常に偏見に満ちたプロパガンダ映画にすぎない、ということは言っておくべきかもしれない。 あれを見てハンバーガーは悪いと信じる人はプロパガンダに弱いと自覚すべき。 ああいう恣意的なあおりをドキュメンタリー映画などとと言ってほしくはない。

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靖国神社合祀

09.10.2014 · Posted in 雑感

A級戦犯の合祀ということがとかく問題とされるが、 富田メモを見る限りでは、 昭和天皇が不快感をしめしていたのは、 軍人以外の政治家や大臣までも合祀するようになって、 靖国神社が政治的な意味合いをもってしまい、 政治から距離を置く立場の昭和天皇としては、 参拝することが困難であると考えたのではなかろうかと思う。

明治天皇の時代は靖国神社は戦死した軍人だけが祀られていた。 国のために戦って死んだ軍人を祭る神社であるから、昭和天皇も参拝した。

ところが満州事変のころから戦死者以外にも公務中に死んだ人、つまり政治家や公務員などが殉職した場合にも合祀するようになった。 もし私が昭和天皇の立場ならこれは非常に嫌だと思う。 政治責任や戦争責任などがどうしても絡んでくるからだ。

明治天皇のお決めになったお気持を逸脱するのは困る

とはそのことだろう。 A級戦犯とは言っても昭和天皇は東条英機を高く評価しているし、彼は紛れもない軍人であるから、 東条英機が合祀されることに昭和天皇が反対するわけはない。

米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり

と昭和天皇が認識しているのであればむしろ堂々と参拝するのではないか。

昭和天皇は、 国家総動員法などで、挺身隊や、原爆でなくなった動員学徒などの民間人までもが、 なし崩し的に靖国神社に祭られてることを快く思っていなかっただろう。

私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、 易々と、松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから 私はあれ以来参拝していない。

問題なのは靖国神社が合祀ということをどんどん拡大解釈していって歯止めがなくなったことだろう。 その傾向は戦前からあったわけだが、とりわけ、 参拝しなくなった直接の原因は当時の宮司の松平永芳個人に対する不信感・不快感があったのではないか。 誰でもかれでも靖国神社に祭るということになり、そこに天皇も参拝するということになれば、 戦争責任というものはどんどん曖昧で混沌としたものになってしまう。 そういうなれ合いのようなことを、昭和天皇は嫌う。 少なくとも私は嫌う。 軍属と民間人、軍属とシビリアンの区別は厳しくつけるべきだ。

国民一人一人の「個の連帯」に基づく国民護持・国民総氏子で行くべきと強く提唱し、靖国神社を絶対に政治の渦中には巻き込まない方針を堅持した。

いやいや、それこそがまさに政治利用であるし、国民総氏子などナンセンスだ。 危険思想だ。 まさに親の心子知らずであり、昭和天皇の逆鱗に触れていることに無自覚なのだろう。

むろん、A級戦犯だから合祀しないとか、 A級戦犯の中でも特定の誰それは合祀しないなどいうのは、 明らかに恣意であってやってはならない。 要するに、靖国神社を戦死した軍人を祀る神社に限定すれば良いだけの話ではないのか。

わたしとしては、忠勇なる軍隊の降伏や武装解除は忍びがたいことであり、戦争責任者の処罰ということも、その人たちがみな忠誠を尽くした人であることを思うと堪えがたいことである。しかし、国民全体を救い、国家を維持するためには、この忍びがたいことをも忍ばねばならぬと思う

昭和天皇は誰かを戦争責任者として処罰することは耐えがたいと考えていた。 しかし戦争指導者、特に国務大臣には戦争責任があるのは当然だ。 東条英機などはたまたま軍人でたまたま時局に当たるために総理大臣になったのであって、戦犯というのにはあたらないと思うが、 ここまでは戦犯でここからは戦犯ではないという線引きをするのは不可能だろう。

どうも問題の論点がずれているように思う。

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smart tv box

09.08.2014 · Posted in 映像

やはり現時点においても、最も効率の良いユーザーインターフェイスはPCのキーボードとマウス、 そしてGUIとしか言いようがない。 その次に来るのはゲーム機のコントローラーか。 スマホというのは、PCの代用というよりはテレビのリモコンがやや進化したものと言ったほうが当たっている。 あれが便利だと思うのは錯覚だろう。 一種のバカチョンデバイス。

昔のハードディスクレコーダーの時代から、AV家電のユーザーインターフェイスはタコだった。 それに比べれば今のリモコンは長足の進歩を遂げた結果なわけだが、 もとがあまりにもひどすぎたから良く見えるだけで、 未だにテレビ周りのインターフェイスはひどい。 テレビは年よりが見るものだから、あまり複雑な機能がついていると操作できないというのはあるだろう。 ならばテレビを捨ててすべてPCで視聴したいところだが、 既得権益というやつのおかげでPCでテレビを見るのは非常に不便である。

つまり、ユーザーインターフェイスを良くしようという努力が、 意識的にも無意識的にも妨げられているのであって、 こういうバカなことをするから日本はアップルに先に ipod や iphone や ipad なんかを作られてしまうのである。 頭悪すぎる。 たぶん技術者というよりか、経営者とか業界とかがバカ過ぎる。 改善の余地がありまくりすぎる。

まず、この au 製と思われる smart tv box。 ネットワーク的には普通の光回線には及ばない。 そりゃそうだろう。テレビの視聴や録画が優先されていて、 しかも3チャンネルもあるんだから、インターネットが割を食うというわけだ。 それは値段相応なので仕方ないとも言える。 本体の基本性能はまあまあだ。 若干不満はあるが、よく頑張ったといえる。

ひどいのはリモコンだ。誰がこんなものを設計したのか。 特にひどいのは十字キーで、ちょっとずれると上下左右を判定してくれない。 頭が悪すぎる。 少しはゲームコントローラーを見習えば良いのに。 あと、ホームボタン、戻るボタン、再生ボタン、早送りボタンなど、 使用頻度が高いボタンが極めて操作しにくい。 頭が悪すぎる。 できればリモコンだけでも買い換えたいのだがどうにかならんか。 で、スマホのアプリでも操作できるというのに少し期待したのだが、 このアプリの出来も全然よろしくない。 レイテンシーが悪すぎるというか。 とにかくすべてが不満だ。

ユーザーインターフェイスも地上波を優先しすぎていてむかむかする。 CMを切り抜くなどの編集機能が無いのかあるいは貧弱すぎる。

近頃は hulu とか apple tv なんてのが出てきたらしいからそっちに切り替えようかと思うが、 番組内容は catv と同じかそれよか貧弱。 vod なのは良いが、 catv も普通は hdd に予約録画して溜めておいたやつを見るわけだから、 大差ない。

便利なので以前よりかたくさん映画を見るようになったが、 使えば使うほどひどさが見えてくる。

ていうか、ビデオレンタル屋は結局ツタヤの一人勝ち状態に落ち着いたわけだが、 そのツタヤですら、あと10年もつかどうかだろう。 何でもネットでみりゃ済むんだから。 地上波放送はさすがになくならんだろうが、 ネットでコンテンツ拾って見ればいいんで、 私としては邪魔なだけだ。 速やかに衰退してほしい。

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岩佐美代子

09.06.2014 · Posted in 和歌

※もう少しリライトする必要があるとは思いますが、 趣旨はだいたいこんなかんじです。

後醍醐天皇が統幕に失敗して隠岐の島に流されると、 光厳天皇が即位した(1331)。 このときはまだ鎌倉幕府が存続していて、三種の神器もあり、皇太子にも立てられていたので、 光厳天皇の即位には特に問題がない。 光厳天皇を正統な歴代天皇の一人に数えないほうがおかしいと思う。

ところが幕府が倒れて北条氏が亡び(完全に血脈が絶えたわけではない)、建武の新政が始まる(1333)と、 北条氏の後ろ盾を失った光厳天皇は廃位され、後醍醐が復位する。 光厳天皇は即位していなかったことにされてしまい、後醍醐も重祚したのでなくて、 ずっと天皇だったことになってしまうが、これもかなりまずい解釈だと思う(しかし小一条院の前例がある)。

建武の新政が失敗して後醍醐が吉野に移り尊氏が京都に入ると、 光厳院は弟を立てて光明天皇とする。 このとき京都に三種の神器があったかなかったかよくわからないのだが、 後鳥羽天皇の即位にも三種の神器はなく、 上皇の院宣だけで即位したわけで、特に問題とは言えない。 このとき後醍醐天皇と光明天皇の二人の天皇がいたわけで、南朝と北朝ができたのは光明天皇からなんだが、 どちらにも正統性がある。 同じことは後鳥羽天皇と安徳天皇のときにも言える。どちらにも正統性があるとしか言いようがない。 その次の崇光天皇にも正統性に問題はない。

しかし後光厳天皇の即位は上皇の院宣もなく三種の神器もなく、 継体天皇の前例に倣うというまったく根拠のない理由で尊氏が即位させたものであり、 その次の後円融天皇とともに、正統性がない、というのが私の解釈である。 しかしさらにその次の後小松天皇は義満によって南北朝が合一したのちの在位期間には正統性がある。

南朝の後醍醐、後村上、長慶、後亀山天皇には正統性がある。

とまあ私の解釈ではこんな具合なのだが、 岩佐美代子の専門は玉葉和歌集と風雅和歌集であって、 このうち特に風雅集は光厳院が親撰した(1346)のだが、 このとき北朝は光明天皇、南朝は後村上天皇。 なので彼女は南北朝というややこしい時代に巻き込まれてしまう。

明治に「南朝だけが正統」とされて、光厳天皇が北朝とされ、 光明、崇光天皇の正統性まで否定されてしまったのは不幸なことであった。 だからと言って北朝のほうが正統だという主張はおかしいと思う。 というかそこで議論するのは不毛だと思う。 どっちの主張も同じくらいにおかしいから議論自体ナンセンスだ。

風雅集が無視されてきたのは、北朝の歌集だったからではない。 足利氏にとっては北朝の方が正統なわけだし、 足利幕府を継承する形の徳川幕府もまた北朝を正統だと思っていただろう。 少なくとも江戸時代初期までは、風雅集が北朝だからという理由で排除されたはずがない。 しかし江戸初期までに京極派は完全に廃れてしまっていた。 だから玉葉集も風雅集も、ほとんど無視されたのである。

南朝にも京極派以上に京極派的な歌人はいた。 後醍醐天皇や後村上天皇がまさにそういう歌人だった。 後鳥羽院はよくよく見れば単なる秀才であり、後醍醐天皇には及ばない。 後村上天皇は明らかに天才である。 岩佐美代子が後村上天皇の歌に一切言及していないのは惜しい。

前衛的・実験的・革新的な和歌というものは、いわゆる二条派とくくられる歌人の中にもいたわけである。 どちらかと言えば京極派のほうがより前衛的だったというにすぎない。 二条派と言われる正徹や細川幽斎もどちらかと言えば革新的で、京極派に近い。 京極派にも二条派にもマンネリズムに抵抗した歌人はいたのだ。

京極派からも、二条派からも、前衛は失われ、保守化していったのは、 やはり足利幕府の責任である。 足利将軍は和歌が大好きなので、 将軍が執奏し、天皇が綸旨し、選者が進撰するという勅撰集の量産体制が整った。 そしてこの三位一体の勅撰集量産体制こそが、和歌の独創性や創造性を殺してしまったのである。 足利将軍家は和歌音痴でもあった。 藤原氏も天皇家も足利に取り込まれてどんどん凡庸になっていく。 そして、応仁の乱によって足利将軍の権威が失われ勅撰集も編まれなくなると、 正徹のような個性的な歌人が生まれてくるのである。 尊氏から義政まではもっとも勅撰集が量産されたが、和歌の暗黒時代だった。

足利幕府は北朝側ではないか。 南北朝が合一した後もずっと京極派の歌集を作ればよかったではないか。 でもそうしなかった。 足利氏は歌が大好きだったが歌を詠む才能がなかった。 才能がないものに京極派の歌は詠めぬ。 天才でなくては京極派の歌は詠めぬ。 為氏・為世、頓阿あたりの、つまらぬ歌を量産した。 たまたま為氏・為世が二条家の血筋だったので二条派と呼ばれたのだが、 ようするに凡夫の歌が二条派ということになってしまった。 ただそれだけなのだ。 香川景樹などはかなり京極派に近い。

わかりやすい例をあげると、俵万智の歌は、結局は俵万智にしか詠めなかった。 俵万智をまねした凡百の歌人たちの歌はただ現代語で歌を詠んだというだけ。 ただそれだけでは優れた歌にはならない。 京極為兼もまた俵万智と同じ。 凡人は形式を踏んだ方が良い歌が詠める。

玉葉・風雅集が北朝なので無視されたというのはまったくの被害妄想だ。少なくとも江戸時代までは。 明治・大正・昭和期には、たまたまそうであったかもしれない。 宣長が京極派を嫌っていた理由はもしかすると京極派が北朝だったからかもしれない。

古今、新古今と来て、和歌から次第に即興性や写実性が失われ、形式的な堂上和歌となっていく過程で、 玉葉・風雅は異質すぎた。 凡人にはまねできないのだ。 凡人は参考書を読まなければ歌は詠めないのだ。 尊氏は北朝だから、京極派の歌を詠まねばならなかったはずだ。 しかし尊氏には二条派的なつまらぬ小心翼々とした歌しか詠めなかった。 歌を自分で詠んでみたらわかる。 京極為兼みたいな歌を詠むにはそうとうな自信と才能が必要だ。 才能というより霊感。 理屈ではない。 ほんとうに良い歌は理屈で説明できないところから生まれる。 尊氏はおそらく理屈でしか歌を詠めない人だった。 おそらく歌の才能はまったくないが歌が好きで好きで仕方なかった尊氏には為兼のまねは不可能だった。 尊氏の子孫たちも彼にならっただろう。

岩佐美代子の理論では、 後醍醐天皇や後村上天皇が京極派的であり、尊氏以下の足利氏が二条派的なのはなぜかということを説明できまい。

いずれにせよ北朝だけが正統だ、という主張も、南朝だけが正統だ、という主張と同じくらいに間違っていると思う。

岩佐美代子という人も自分では和歌を詠まぬ人だったらしい。 彼女の父などは良く歌を詠んでいたようだが。

彼女は永福門院の歌が好きらしい。 例として挙げてある歌はたしかにすべてすばらしい。 岩佐美代子が「木々の心花の心」で主張していることはまことにもっともである。 定家だって貫之だって俊頼だって京極派的な歌は確かに詠んでいるのである。 どんな二条派的な歌人だってひとつや二つは京極派的な歌は詠んでいるはずだ。 俊成や西行や実朝や為家を京極派的ということもできる。 尊氏は全然京極派的ではない。 それを見分ける能力は岩佐美代子にはあると思う。 ただ私は永福門院よりかは京極為兼の歌にひかれる。 やはり岩佐美代子は女であり、私は男だからだろうと思う。

玉葉集は為兼が、風雅集は光厳院が選んだのだが、 玉葉集はプロの歌人が選んだので風雅集よりもずっとできがよい、 などと言っているのは面白い。 伏見院もそんなほめてない。そりゃそうだろう。 まあ、まともなのは為兼と永福門院くらいであとの京極派の歌人にそんな影響力のある人はいない。 だから自然と衰退してしまったのは仕方ないだろう?

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崩し字が読みたい。

09.02.2014 · Posted in 読書

このブログの人気記事 裏柳生口伝 はおそらく裏柳生口伝でググった人がみんな見に来てるのじゃないかというくらい、 最近のびが速い。

伊東静雄は これ以上にないくらい完璧にデジタルテキスト化した人 がいたのではずかしくて非公開にした。 これはすごい。 青空文庫に収録すべきだと思う。 収録しなくても永遠に(?) archive.org で読めるだろうとは思うが。

最近ランクが上がってきているのが 明治天皇御製集。 これは「歌詠みに与ふる物語」 というのを書いている最中に調べたことをリアルタイムで書いたもの。 「歌詠みに与ふる物語」は現在非公開。 高崎正風を主人公にした小説だが、なかなかうまくまとまらない。

明治天皇や昭憲皇太后の歌をせっせと記録したのはたぶん税所敦子だろうと思われる。高崎正風はそんなにまめな性格ではないだろう。

そう。あの膨大な量の明治天皇・昭憲皇太后御製が残ったのは、 税所敦子という女官のおかげだと思う。 孝明天皇も光格天皇も、江戸時代の歌が好きな天皇はみな、 膨大な歌を詠んだが、それをきちんと残してくれる人がいなかった。 ただそれだけなのだと思っている。

明治天皇の和歌の由来。 そう、これなんだよね、これを考え始めてからわからなくなった。 だから書けないの。 明治天皇は誰の影響を受けてあのような歌を詠んだのかということ。 まだ誰もその正確な答えをみつけていない。

薩長閥の高崎正風から香川景樹の影響を受けた、それがすべてだ、と言うのはたやすい。 高崎正風や八田知則、香川景樹だけでは説明つかないところが多い。 父孝明天皇の影響もよくわからない。 孝明天皇は光格天皇の影響を受けているのではないかと思うがこれもよくわからない。 光格天皇御製を調べようと思っても崩し字のテキストしかなくて私には読めぬ。 崩し字が読めるようになりたい。

高崎正風が自分の前任だと言っていた三条西季知の影響はほとんどないと思う。 一番初期には后・一条美子(昭憲皇太后)の影響を受けたことは間違いないと思う。 明治天皇が即位して一条美子を后としたころには皇后の方がはるかに歌はうまく、 すでにほとんど完成の境地に達していたからである。

蛍雪苦学の志を断って。 この頼山陽の息子の頼三樹三郎が作った「百印百詩」はその名の通り百あるはずなんだが、 デジタルテキスト化されているのはその一部であり、 全部読もうと思うとやはり手描き文字のテキストしかない。 読めない。 とても困る。 今更書道をやっておけばよかったと悔やんでも間に合わない。

池田雅延氏 小林秀雄を語る。 これも誰がどこから見つけて読みに来ているのだろうか。 ランク入りしている。

全体的に、和歌か国学の記事が読まれているのは、良い傾向だと思う。

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ホワイトカラーの論理

09.01.2014 · Posted in 雑感

戦後の終身雇用は実質的に労働市場を否定する形になった。 労働市場も市場の一つである以上その需要と供給の均衡、 労働者の流動性を無視することは資本主義の否定であり、 一種の社会主義である。

日本全体が終身雇用に傾いたのは国鉄のせいだろう。 国鉄は失業者を積極的に抱え込んだ。 たまたま高度経済成長で余剰人員を抱え込んでいてもうまく回していけた。 それを松下などの民間企業もまねしてやはりそれなりの成果をあげた。 大学もではと終身雇用向けの人材をどんどん大量に送り出すことになる。

終身雇用はもともとは戦後の復興、雇用対策、失業対策、 民間企業による自発的な社会保障、福利厚生の充実という善意から出発したものだった。 また、民間企業が転職というものをいやがったということもあるだろう。 渡り職人のようにソニーから松下、松下から東芝へと技術者が転職するのをホワイトカラーがいやがったのではないか。 つまり技術者の囲い込みという側面があったはずだ。

技術者はどちらかと言えば一つの会社に縛られたくない傾向がある。 転職したがる。できれば自立したがる、という意味では経営者に似ている。 安定した職に雇われ、自ら拘束されることを求めるホワイトカラーとはそこが違う。 技術立国である日本には本来終身雇用は向かない。 しかし文系学部はコストがかからないからホワイトカラーをやたらと育てた。 終身雇用とホワイトカラーはセット。 それが技術者を飼い慣らし、搾取し、技術立国日本の力を奪っていった。 終身雇用は日本を支えるエンジニアたちの犠牲の上になりたっていた。 そしてエンジニアたちはどんどんふぬけになっていった。 ホワイトカラーの魂に毒されたのである。

大学は、学生がよい会社に就職することに最適化するものである。 大学が社会に対して超然としていて学問をやるところだというのは幻想だ。 そして卒業した学生がどのようなキャリアパスを経て最終的にどのようなポストに落ち着くかをトレースするのは大学としてはめんどうだ。 新卒でどこに就職するかというところばかりに目がいく。 そこへ終身雇用。 非常に相性がよろしい。 労働市場は新卒の学生にだけ存在することになった。 それが当たり前で誰も疑問に思わなくなった。 日本にしかないものだから変だとは思わない。 日本独自のすばらしい制度だと思うようになった。 バブルの前まではそれでよかった。 別に終身雇用制度というものがあるわけでなく、 能力ではなく、長く勤めれば勤めるほどに生涯賃金が有利であれば実質的に終身雇用となる。

能力給とか、成果主義というが、 終身雇用の場合はつまり上司が部下を評価するということにほかならないから、 どうしても私情主義となり、温情主義となり、能力とは関係なくなる。 自分の能力を正当に評価してくれるところに転職することこそ本当の評価であり、 ほんとうの能力給である。 そのためには労働市場が流動的でなくてはならない。

終身雇用では、 ある一定期間会社にいることによって自動的に昇進する。 これまた能力の否定である。 日本社会は村社会で出る杭は打たれるなどと言うが、常にそうであったわけではない。 ホワイトカラーに都合のよい過去の事例が掘り起こされているにすぎない。

労働市場が流動的ならば大学に入り直したり、専門学校に通ったりすることもできる。 大学も高卒の託児所ではなくて実践的な教育を行う場になり得る。 実際高卒を四年間預かって社会人にすることは不可能だと思う。 最近では大学に通いながら、或いは卒業してから専門学校に通うらしい。 これすなわち戦後リベラルアーツ教育の否定ではないのか。 大学も需要に応えるべきなのではないのか。 そもそも大学とは何なのか。

大学四年間は授業に出るよりも美術館巡りをしたり映画をみたり海外旅行したりするのが良いという人もいる。 そんな時間をやりくりする能力があるならしたらよい。 四年間はあっという間に過ぎる。 大学は人脈と一般教養だけ身に付ければよいというのはホワイトカラーの理屈である。 たまたま今の世の中ホワイトカラーが多数派であるというだけだ。 世の中はホワイトカラーだけが支えているのではない。

今一部の業種が人材不足なのに賃金が伸び悩んでいるのは労働市場のせいだ。 労働市場が健全ならば人材不足つまり需要があるのに供給が不足していれば賃金が上がる。 これによって需要と供給が均衡する。 賃金が伸びないのは今の企業が多くのホワイトカラーを正社員として抱え込んでいるからだ。 日本企業は外資系に比べてはるかに多くのホワイトカラーを雇用している。 いまや会社はホワイトカラーをリストラしたくてうずうずしている。 ホワイトカラーは余っていてゆえに賃金を押し下げている。 労働市場に人材がうまく配分されてないから賃金が伸びないのだ。

今の政権のせいではない。 ずっと昔からの積み重ねで日本社会がそうなってしまっているのだ。

終身雇用会社の場合部下が付くと上司が部下の「先生」となる。 そして先生と呼ばれることをよろこぶ。 俺は出世した。偉くなった。先生と呼ばれる身分になった、と。 彼は「プロの教員」ではない。 「プロの教員」は「先生」と呼ばれることを嫌う。 教員が仕事なんだからプライベートまで教育のことなど考えたくない。 ましてプライベートで先生なんて呼ばれたくない。 身内や会社の部下なんかに呼ばれたくない。 「先生」と呼ばれて喜ぶのは一般人だけだ。 そういう素人どうしのなれ合いの世界というのがホワイトカラーの社会だ。

大学も少子化対策のために社会人教育をやろうとしているが、 まったく人が集まらないそうだ。 世の中がまだ終身雇用の論理で動いているからだ。 大学が長期的視点に立って生き残ろうと思うなら、 コストのかからない文系学部を新設するなど論外。 留学生を大量に受け入れるのも対処療法。 社会人に学部や大学院を開放して専門教育を施すしかないと思う。 社会全体が変わっていかなくてはならないときが来ている。 しかしそういう議論はいっこうに進まない。

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