山家心中集

岩波書店の全集あるいは岩波文庫などでは、
勅撰集は定家の新勅撰集まででそれ以後の歌集がほとんどない。
8代集以降の21代集やら数々の私家集は、確かにおおむね退屈だが読まなくて済むものではない。
特に私は最近、正徹に注目しているのだが、詳しいことはほとんどわからない。
禅宗とも関連がある。
こういう人がいるからうかつに何も大したことのなかった時代では済まされない。

鎌倉後期京極派の玉葉集、風雅集に関しては岩佐美代子氏による精細な研究書があるが、
他はほとんどうち捨てられ、
鎌倉時代や室町時代の和歌などどうでもよいというような状態である。
唯一、角川国歌大観があるのみと言ってよい。

時代がずっと下って江戸後期や幕末の歌人、
たとえば香川景樹や小澤廬庵などは全集に採られているものの、
やはり江戸時代、特に、後水尾天皇や細川幽斎の時代の厚みが無い。

それはそうと「山家心中集」を見てみると、「山家集」とくらべて歌の配置がずいぶん変わっていて、
詞書きも略されている。
「山家集」から誰かが抜き書きし配列し直したものだといってよい。
特に注目すべきは、あの有名な「ねがはくは」の歌がずっと巻頭のほうに移動していて、
「花」が「さくら」特に「やまざくら」としか解釈しないような配置になっているということだ。
これがまあ後世の西行の見方なのだが、
すでに鎌倉期成立の「心中集」においてすでにそのような形になっていた、
もし「山家集」が失われて「心中集」だけが伝わったら、
西行という人はよりわからなくなっていただろう。

西行は多作な人で当時から人気も高く、また自ら人に自詠を披露するのも好きな人だったようだ。
だから歌が残るのは当たり前だが、
「山家集」が自著かというのはあやしい。
かなり不親切な、雑多な寄せ集めのようにも思える。

「明治天皇百首」というようなごく短いものを書こうと思うのだが、
なかなか書けない。難しい。
私は明治天皇御製から和歌を学んだので、
明治天皇を師として私淑したわけで、
その批評をするというのは非常におこがましい気がする。
しかし、私以外の誰が明治天皇の歌の真価を広く知らしめられようかと思うと、
いずれ書かぬわけにはいかないとも思う。
明治天皇の歌を評価するということは、
ありのままの明治天皇と一人の人間として向き合うということだ。
明治大正の歌人たちにはそれが恐れ多くてできなかった。
しかたのないことだ。
天皇の歌を知るということは人としての天皇を知ることだ。
誰かがやらねばならない仕事だとは思わないか。

人気記事の順位で言えば明治39年が一番アクセスされている。
日露戦争が終結した年だ。
なるほどみんなそこが好きなんだなあと思う。

「いただく」と「くださる」

例によって病院で処方箋もらってドラッグストアで薬出てくるのぼーっと待っていたのだが、
店内アナウンスで、最初に
「本日のご来店まことにありがとうございます。」とか
「ご来店いただきましてありがとうございます。」という枕で始まって
「ご来店いただきましてありがとうございました。」でしめている。

で、
竹田恒泰という人が
[問題 次の文の誤りを正しなさい。「ご来店いただき、ありがとうございました。」](https://twitter.com/takenoma/status/487542912381493249)
などと言っているわけだが、正解は
「ご来店くださり、ありがとうございました。」
なのだそうである。
はて。何か変ではないか。

この理屈で言えば、
「ご宿泊いただきありがとうございました。」
「お召し上がりいただきありがとうございました。」
などもダメで、
「ご宿泊くださりありがとうございました。」
「お召し上がりくださりありがとうございました。」
でなくてはならないことになる。

ここでは「お客様にご来店いただいた」
「お客様にご宿泊いただいた」
「お客様にお召し上がりいただいた」ことに対して、
店主や従業員が「ありがとうございました。」とお礼を言っているだけのことであって、
特別問題とは思えない。

「いただく」は「もらう」の謙譲表現、「くださる」は「くれる」の尊敬表現。
「もらう」は動作の主体が自分だから謙譲、
「くれる」の動作の主体は相手だから尊敬になっているにすぎず、

> 客に来てもらう

> 客が来てくれる

のように「に」「が」と助詞が異なり、
それぞれ

> お客様にご来店いただく

> お客様がご来店くださる

となる。

> 客が来る

ならば対応する表現は

> お客様がご来店になる(ご来店なさる)

となるだろう。

では違和感があるのはあとに続く「ありがとうございます」「ありがとうございました」だろうか。

竹田氏は
[嬉しく存じます](https://twitter.com/takenoma/status/487546879983370240)
なら良いといっている。
おそらく主体が店側にあるということが明確になるから良いと言いたいのだろう。
だが、「嬉しく存じます」が良くて「ありがとうございます」がダメな根拠は何か。
「ありがたく存じます」ではどうか。
「ありがたく存じます」と「ありがたく御座います」の違いは何か。
この程度の表現の揺れは時代とともにあるのであり、
文法的に問題がないのであれば許容すべきだ。
センター試験のマークシート問題のひっかけみたいなことにいちいちこだわるべきではない。

「ありがとうございました」となるのは上に書いたように店内アナウンスの都合であり、
やはりこのくらい許容すればいいじゃないか。
間違っているとまでいう必要があろうか。
というか、
「いただく」は謙譲語だから客の動作に言うのはおかしいと反射的に考えているだけのように思える。

話は変わるが「させていただく」は「する」を無理矢理謙譲表現にしたものだが、
気持ち悪い。逆に恩着せがましい。
浄土真宗に由来するとも聞く。
「する」の謙譲表現は単に「いたします」で良いじゃないかと思う。

自殺

すでに誰か指摘していることだと思うが、
夏目漱石の「こころ」では「K」がまず自殺し、次に乃木希典が妻を巻き添えにして殉死という形で自殺し、
最後には「先生」も自殺してしまう。
この小説のテーマが自殺であることは紛れもない事実だ。
なぜ高校の教科書に必ずと言ってよいほどに「こころ」が掲載されているのか。
自殺した作家も多い。
すぐに思いつくだけでも病気を苦にして死んだ芥川龍之介、情死した太宰治。
三島由紀夫も自決という形で自殺したし、
江藤淳も妻を追って自殺した。
他にもいるかもしれないがこのくらい挙げれば十分だろう。

日本は自殺が多い国だが、この特殊な、近代日本文学の影響は当然あるだろうし、
そうした状況で、「こころ」が必ず教科書に採られるというのは異様な気がする。
自殺防止に躍起になる一方で自殺を美化しているような。

小説やテレビドラマでは死、殺人、自殺があふれていて日本人は不感症になっている。
だから別に高校教科書だけ健全でも仕方ない、影響ないと言えばいえるかもしれない。
実際古代ギリシャ悲劇にも死や殺人はつきものだ。
アガメムノーンの娘イーピゲネイアも、神に犠牲として献げられる形で自殺している。

だが、それにしても「こころ」は大した話の盛り上がりもないのに、
「K」「先生」の二人が自殺するというのは異常ではないのか。
高校生の頃は案外読んでもピンとこないものだが、
年をとってから改めて考えてみるとどうにも疑問だ。
少なくとも夏目漱石は日本の高校生全員に読んでもらうためにこれを書いたはずない。
きっとあの世で困っているに違いない。

「こころ」以外にもいくらでも良い小説はある。
菊池寛とか志賀直哉とか吉行淳之介とか安岡章太郎とか。
志賀直哉にしても「城の崎にて」よりかは「清兵衛と瓢箪」とか「小僧の神様」のほうがすっと面白い。なぜ高校生に「城の崎にて」を読ませる必要があるのか。
芥川の「羅生門」にしてもそうだ。
どうも終戦直後の暗い雰囲気をいまだに引きずっている感がある。
個人的には葉山嘉樹が好きだ。「セメント樽の中の手紙」とか。
中島敦にしても「山月記」でなく「名人伝」ではなぜいけないのか。

「こころ」「城の崎にて」が「小僧の神様」「名人伝」に置き換わるだけで国語教育の雰囲気は全然変わってくると思うのだが。

詩人は伊東静雄が良い。「春のいそぎ」とは言わぬ。
「わがひとに与ふる哀歌」「水中花」「そんなに凝視めるな」などをなぜ読ませないのか。
なぜいつもいつも中原中也や宮沢賢治なのか。

みささぎにふるはるの雪
枝透(す)きてあかるき木々に
つもるともえせぬけはひは

なく声のけさはきこえず
まなこ閉ぢ百(もも)ゐむ鳥の
しづかなるはねにかつ消え

ながめゐしわれが想ひに
下草のしめりもかすか
春来むとゆきふるあした

「みささぎにふる」「はるの雪」ではないのだな。
「みささぎに」「ふるはるの雪」なんだな。
七五調かと思わせておいて五七調。
そこがトリッキーなのだが。

そんなに凝視(みつ)めるな わかい友
自然が与える暗示は
いかにそれが光耀にみちてゐようとも
凝視(みつ)めるふかい瞳にはつひに悲しみだ
鳥の飛翔の跡を天空(そら)にさがすな
夕陽と朝陽のなかに立ちどまるな
手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答えであり
耐える痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ
風がつたへる白い稜石(かどいし)の反射を わかい友
そんなに永く凝視(みつ)めるな
われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
あゝ 歓びと意志も亦そこにあると知れ

伊東静雄は46才で死んだのか。私が死に損なった年ではないか。はは。
「春のいそぎ」が戦中で「そんなに凝視めるな」が戦後だ、というヒントだけで、
勘の良い人には詩の意味するところがわかるだろう。

それから、俳句や、まして短歌を詠ませるな。
まして自由詩を作らせるな。
代わりに都々逸を詠ませれば良い。あれはもともと口語で歌うもので、
誰でも比較的簡単に作れる。
そうすれば詩とは何か、歌とは何かということがわかるに違いない。

シンクロ率

小説を書けば書くほどにわからなくなっていく。
著者と読者が共感できる話を私は書けないのだろうか。
読者と、せめて50%くらいはシンクロしたい。
100%はまあ無理として(著者しか知らない裏設定などがあるから)80%とか90%くらいは普通にシンクロしたい。

だが現状は10%くらいだと思う。
どうしてこうなってしまうのか。

120%くらい理解してくれる読者がいてくれるとうれしいのだが。
つまり、私が隠しているつもりの裏設定までみやぶり、
私自身も気づいてない私の深層心理までも指摘してくれるような。

著者不在読者万能

私の小説の中では「エウメネス」「エウドキア」がよく売れている方なのだが、
比較的マイナーなはずのエウドキアが売れている理由がよくわからなかった。
だがオタクの世界では、エウメネスほどではないにせよ、エウドキアはよく知られたキャラであり、
エウドキアがどんな人であったか知るために(もしかすると二次創作のための設定資料として)ポチる人が多いのではないか。
私以外の全然別の人が全然別の話を書いても同じくらいには売れたのではないか。
とすれば私という書き手は不要であり、不在であり、存在するのは読者だけということになる。
私が書かなくてはならない必然性がない。

本を売るということは、それを買う読者がいるということであり、
ようは読者万能ということである。
同じ事はすべてに言える。
政治家にしろ君主にしろ、近代・現代は国民万能時代だからどうしてもそうなる。
売れっ子ライターやアルファブロガーなどみんなそうだ。
ツイッターではそういうよく読まれる人のことは、なんと呼ばれているのだろか。

私は話の中で登場人物を死なせるのが嫌いだ。
もちろん歴史小説では死ぬが、それはその人が死ぬことが歴史的に確定しているからだ。
私が勝手にこしらえた人物を殺すのは忍びない。
ほとんど唯一の例外は墨西綺譚に出てくる乾長吉だが、墨西綺譚は今は非公開にしている。

石原慎太郎、村上龍、山田詠美、村上春樹などの流れをみると、
読者はあきらかに暴力やセックスを求めている。
ラノベにすらその傾向はある。
ミステリー・ホラー小説もつまるところ人が殺されるからおもしろがって読むのだ。
人が死なないミステリーなどほとんど見向きもされないだろう。

私の場合、男女が恋愛関係に至る過程を書くことはあっても、恋愛関係そのもの、つまり情事を書くことはほとんどないが、
それも一般読者には不満だろう。

村上春樹から暴力やセックスを差し引いたらあんなに売れると思うかね?

砂丘

最近になってミュートとリストという機能をおぼえて、割とほんきでツイッターを使い始めた。

小説を書いて公開していて思うことだが、
こういうコミュニティは閉じていて、
一定以上の読者を獲得するのは難しい。
いろんなコミュニティを渡り歩くのは有効ではあるが、
結局いつかは頭打ちになる。
ツイッターはいろんな人たちがいるからコミュニティが閉じてないというか、コミュニティが非常に広い。
そういう世界で地道に人をフォローし、人からフォローされることは、
いわゆる名刺を配る的な営業のようなもので、
やってみる価値はあるんじゃないかと思い始めた。
Adwords なんか広告使う気にはあまりなれない。
現在やっと2000の壁超えたばかりくらいだが、2000フォローしているうち1000くらいはミュートしてると思う。
ミュートしているのは営業とボットが多いだろう。
ミュートしてないけどそもそもあまりツイートしない人もいるから、
素で読んでるのは500くらいか。
それでも多い。

リストもかなり使っていて、
こちらはどうせフォロー返ししてくれなさそうなw有名人や政府機関なんかが多い。
ボットもフォロー返ししてくれなさそうなのはリスト。

すべてのリストを公開しているわけではない。

一度やっと二桁くらいリツイートされたことがあり、
はあ、こんなことリツイートするんだなあと感心した。

世の中にはプロと素人と、その中間にいてプロになろうとしている連中がいるのだと思っていたのだが、
小説家になろうなんかを読んでると、なかなかプロに匹敵する素人はいない。
おやなかなか面白いなと思い著者名で検索してみると本出版してたりするのだが、
あーさすがにプロだなと思い出版社を確認するとどうやら自費出版らしい。
それじゃkidle本と変わらん。
ブロガーなんかは割と中間層が厚いように思うが、作家はなんか中間層がほとんどいない気がする。

[砂丘](http://ncode.syosetu.com/n4642ce/)
はわりと本気で書いた短編だが、
こういうのを子供向けのラノベとか転生ものがはやりの「なろう」に載せるのは嫌がらせみたいなもんだろう。
「なろう」見てて思うのは、いきなり超能力とかファンタジー出してくるリアリティ完全放棄なものか、
それただの実話だろうみたいなリアリティはあるがフィクション性が希薄なもの。
非リアルとリアルの中間くらいにフィクションというものはあるべきで、
そのチューニングが創作活動だと思うんだが、
良質なフィクションというものが「なろう」にはほとんどない。
それだけフィクションをこしらえるってことは難しいんだよなといまさらながら思う。

良くあるパターンは、
私の名前はなんとかです、年はいくつで身長はいくつ、髪の毛の色はとかキャラの紹介から入るやつとか、
なんだよそれとか思う。
それただの設定資料だろと。
あと自分の知ってる居酒屋でああしたこうしたとか。見たまま聞いたまま体験したままを書いてて起承転結のないやつ。
起承転結はあったほうがよい。起承転結にかわるなにかオチがあればなおよい。
しかし何も無いやつはただの日記かエッセイであり小説じゃないだろと思う。
ていうかそんなのはブログに書けよと思う。
だからブログは素人にも書きやすいんだろうけど。

プロットも、面白いなと思ったら、よく考えるとテレビドラマなんかで使い回されてるようなもので、
途中で連載放棄してたりしてすごくなえる。
携帯でちまちまと長編小説書いているやつとかいるのだが、
なんだよそれ自己満足?とかしか思えないものばかりだ。

私は自分と同じような小説を書く人を探している。
でもなかなか見つけられなくて困っている。
もしかしたらそんな人は存在しないのだろうか。
同時並行して私の小説を面白いと感じてくれる人を探している。
そういう人たちに私の小説が目に触れる方法を探している、というべきか。

安倍総理の一手

今回のアレの騒動や成り行きを見てて思うに、安倍総理は基本的には正しい判断をしたと思う。
さすがに安保闘争で辛酸を嘗めた岸総理の外孫だけのことはあり、
左翼の生態をよく知っている。
本人はともかくとしてブレインはそうとう優秀だ。

きちんと国民投票して改憲するのが筋だというのは正論だ。
しかし世の中には、戦後民主主義思想に呪縛された「悪意無き左翼」もたくさんいる。
とりあえず解釈の変更によって、集団的自衛権を実効化してみる。
そうすると最初はわあわあ騒ぐかもしれんが、結局以前となんの違いもないってことがわかる。
そこで洗脳が解けて普通になる人もたくさんいるだろう。
マスコミのほうが実はおかしいんじゃないかとやっと気付く人も出てくるかもしれない。
そうした目で見ると、
世の中には常軌を逸した左翼がいっぱいいるな、
なんか日本社会の中に異常な集団がいて、
自分らに都合の良いようにコントロールしようとしてるな、
民主主義って大義名分のもとに、ってことにも気付くかも知れない。
ものの見分けがつくようになり、自分の頭で考えるようになるかもしれない。

安倍の弱腰をみて、
やっぱり改憲しようという機運も高まるだろう。

戦後民主主義というのは70年近くかけてこじらせた病気なので、徐々に治療しなくてはならない。
左翼を切り崩し、考える機会を与え、味方を増やしたという意味で、今回の安倍総理の一手は実に巧妙だった。

[ウィキペディア「夢」](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2#.E7.A5.9E.E7.B5.8C.E7.94.9F.E7.90.86.E5.AD.A6.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.A4.A2.E3.81.AE.E7.90.86.E8.A7.A3)
にも、

> 夢を見る理由については現在のところ不明である。

などと書かれているのだが、
どうも夢というのは、
外部からの感覚が遮断された状態の脳の活動そのものではないか。
私たちは夢というものを寝ている間に見る不思議な演劇のようなものだと考えがちだ。

睡眠というものは、脳を休ませるためのものというよりも、
身体や、視覚や聴覚などの感覚器官を休ませるものだとしよう。
眠ると脳は感覚が遮断される。
脳もまた眠るが、身体よりも先に脳は目を覚ましてしまう。
外部からの刺激がまったくない状態の脳は幻覚を見る。
それが夢である。

外界を見たり、音を聞いたり、他人と話をしたり、食事をしたりすることによって、
脳は情報を得て、外界や他者に対して反応しなくてはならない。
外から得られるバイアスによって人は、いや、動物というものは、正常に行動できる。
というよりも、バイアスのもとに行動が最適化されるように進化し、淘汰されている。
外界からの刺激がない場合の脳の働きは定義されてない(する必要がない)から、
幻覚となり、夢となる。

人も動物も無重力ではうまく動き回ることができないが、
重力下では歩いたり座ったり寝転んだりすることができる。
それと同じだ。
凧は糸が切れると制御不能になる。
糸というバイアスがあるからこそ凧は安定して浮かんでいられる。

外界からの刺激がない状態では脳はうまく動くことができず、
浮遊し、くるくる回って飛んでいってしまう。
それが夢なのだ。
動物の見る夢もそれで説明つくのではないか。

つまり、人工知能とか人工の自我とか、
自我エンジン、意識エンジンというものが発明されたとしよう。
外部からの刺激がまったく無い状態で、それはただ空回りするしかない。
それが夢だ。
逆に言えば、
人工知能を作りたければまず無入力状態で夢を見る機能を持たせなければならない。
そこに外部から刺激を与えることによって反応するように仕込む。
意識というものはただそれだけなのではないか。
夢にも、それ以上の意味もそれ以下の意味もないのではないか。
だから、クラウドの中に人工知能だけが存在していても役に立たない。
それはただクラウドの中を浮遊しているだけだ。
人工知能は個体の中に入れてやり、目を付け耳を付け手足を付けて、
自己存続のモチベーションを与えてやらないと、知能として成立しないのではないか。

で、夢というものがそういうものだとして、
では夢から小説のネタができるか。
うーん。場合によっては偶然できるかもしれない。

ある種の薬物は感覚を狂わせたり遮断したりするのかもしれない。
だから脳は幻覚を見る。
脳が麻痺したり興奮したりするから幻覚を見るのではないのかもしれない。
脳とはもともとそうしたものなのだ。

作御歌

古事記の読み下しというのはいったいだれがどうやってきめたのか、よくわからんのだが、
「作御歌」は「みうたよみしたまふ」と訓じているようである。

思うのだが、「御」を頭に付けて敬う用法は漢語にはなくて、
本来は「統御」「還御」などのように、
動詞の後に付けて天子の行いであることを示したもののようである。
だから、「作御歌」を「御歌ヲ作ル」と訓むのはおそらく間違いで、
「歌ヲ作御ス」すなわち「歌を詠みたまふ」と訓むべきではなかろうか。

万葉集にも動詞を伴わず「御歌」とあるところもあるが、
これは「歌を御す」つまり「歌をよみたまふ」と訓じるべきではないか。
それが和語の「みうた」とか「おほみうた」などと混同されて、
「御」に「み」とか「おほみ」とか転じて「おん」「お」などの訓に使われたのではなかろうか。
中国人はトイレで「御婦人」という文字を見て「婦人を御す」のかとびっくりするそうだ。
「御名御璽」も漢語では意味が通らない。

「作」もややこしい語であり、「つくる」とも「なす」とも「なる」とも読む。
従って「作歌」を「うたをよむ」と訓じてもおかしくない。
そもそも古今集の時代には歌を作るという言い方はなかった。
かならず、歌を詠むと言った。
奈良時代もそうだったと考えるのが自然だ。

ちなみに「詠」は「永い」「言」と書くように、
漢語の本来の意味は、声を長く引っ張って言うことをいう。

傘松道詠

道元歌集

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり

おし鳥や かもめともまた 見へわかぬ 立てる波間に うき沈むかな

水鳥の ゆくもかへるも 跡たえて されども道は わすれざりけり

世の中に まことの人や なかるらむ かぎりも見へぬ 大空の色

春風に ほころびにけり 桃の花 枝葉にのこる うたがひもなし

聞くままに また心なき 身にしあらば おのれなりけり 軒の玉水

濁りなき 心の水に すむ月は 波もくだけて 光とぞなる

冬草も 見へぬ雪野の しらざきは おのが姿に 身をかくしけり

峯の色 渓の響きも みなながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と

草の庵に 立ちても居ても 祈ること 我より先に 人をわたさむ

山深み 峯にも尾にも こゑたてて けふもくれぬと 日ぐらしぞなく

都には 紅葉しぬらむ おく山は 夕べも今朝も あられ降りけり

夏冬の さかひもわかぬ 越のやま 降るしら雪も なる雷も

梓弓 春の嵐に 咲きぬらむ 峯にも尾にも 花匂ひけり

あし引の 山鳥の尾の 長きよの やみぢへだてて くらしけるかな

心とて 人に見すべき 色ぞなき ただ露霜の むすぶのみして

心なき 草木も秋は 凋むなり 目に見たる人 愁ひざらめや

大空に 心の月を ながむるも やみにまよひて 色にめてけり

春風に 我がことの葉の ちりけるを 花の歌とや 人の見るらむ

愚かなる 我は仏に ならずとも 衆生を渡す 僧の身ならむ

山のはの ほのめくよひの 月影に 光もうすく とぶほたるかな

花紅葉 冬の白雪 見しことも おもへば悔し 色にめてけり

朝日待つ 草葉の露の ほどなきに いそぎな立ちそ 野辺の秋風

世の中は いかにたとへむ 水鳥の はしふる露に やとる月影

また見むと おもひし時の 秋だにも 今宵の月に ねられやはする

全体的に普通。あまり説教臭くない。

最初の歌が一番有名らしいがあまり感心しない。

目には青葉 山郭公 初松魚

を思わせる。江戸時代の俳人山口素堂の句というが、道元の影響を受けていたかいなかったか。

「色にめてけり」がよくわからん。「色に愛でけり」ではあるまい。「色に見えてけり」ではあるまいか。俊成の歌に、

たかさごの をのへのさくら みしことも おもへばかなし いろにめてけり

とある。慈円のようにつまらなくもないが、俊成や西行にははるかに及ばない。

都には 紅葉しぬらむ おく山は 夕べも今朝も あられ降りけり

これが少し面白い。道元より後の人だが、宗良親王に

都にも しぐれやすらむ 越路には 雪こそ冬の はじめなりけれ

がある。道元と宗良親王には接点がある。「将軍放浪記」に書いたとおりだが、越後、越中と放浪し越前の新田・名越氏らを頼った宗良親王が、永平寺に立ち寄ったかどうかまではわからぬが、道元の境遇を自分と重ね合わせて詠んだ歌であっただろうと思う。も少し調べてみると、道元の三十才年長で藤原範宗という人がいて、

都だに 夜寒になりぬ いかばかり 越の山人 ころもうつらむ

とあるが、道元はこの歌を本歌としたのではなかったか。

夏冬の さかひもわかぬ 越のやま 降るしら雪も なる雷も

これと先の「都には」の二つは、奥越前永平寺の暮らしを偲ばせる秀歌と言ってよい。

北条時頼が道元を鎌倉に招いたのだが道元は越州に帰ってしまった。鎌倉時代からの禅宗の寺はたいてい臨済宗で、曹洞宗の寺は戦国以後のものしかないようだ。