誤読

思うに、宣長自身は誤読されないように、きちんと論理立てて記述しているのだが、宣長ほど誤読され拡大解釈されている人はいない。
同様なことは小林秀雄にも言えないか。
つまり、誤読や拡大解釈によって、真に個人の作品は国民全体のものになるということか。
平家物語が不特定多数の作者によって改編されたように。
ガンダムやマクロスが原型を留めないまでに続編が作られたように。
これらはみな同じ現象なのではないか。

小林秀雄の場合、難解でそもそもわけのわからん言い回しが多いから、誤解や拡大解釈の余地が多い。
宣長は誤解の余地はほとんどないが、理論自体がわかりにくい、
いやわかりにくいというより一般人には素直に入っていかない理論で構築されている、
というよりも、自分でぐいぐい違う方向へ勝手に解釈してしまいたくなるような理論であるために、
やはり誤読されてしまう。
この二つは全く違うパターンだ。
ガンダムやマクロスは宣長に近い。
小林秀雄に近いパターンというのはいわゆる哲学や美学の評論の世界には非常に多くみられるだろう。
マックス・ウェーバーなどは小林秀雄よりは宣長に近い。
平家物語は第三のパターンで、まあ匿名掲示板的なものだ。

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