恵方呑み

デニーズのメニューに「恵方呑み」なるものがあって、まさか今年は西南西を向いて酒を飲めというのじゃあるまいなと思ったらまさにそれだった。

そうなると「恵方寝」は布団を西南西に向けて寝ることになる。

ほかにもあるだろうか。「恵方歯磨き」西南西を向いて歯磨きをする。「恵方くしゃみ」西南西を向いてくしゃみする。「恵方放尿」西南西に向けて立ちションする。「恵方放屁」おしりを西南西に向けておならする。「恵方ラッパ」西南西に向いてラッパを吹く。大日本帝国海軍の信号ラッパの伝統。「恵方キャッチボール」西南西に並んでキャッチボールする。

アジア物産

千束通りに向かい合って日豊アジア物産という店と、アジアマートという店がある。アジアマートのほうはまだグーグルには捕捉されてないみたい。デリカぱくぱく千束店の近く。アジアと言っているが完全に中国人による中国人のための店。新大久保あたりのほうがもちろん中華食材の店は充実しているのだが、ここは袋麺がけっこう高い。

アジアマートのほうは麻辣とかが多い。辛いのは苦手なのだが、アジア物産のほうで「葱香排骨面」というものを買ってみた。麺はごく普通だが、粉末のスープ1つと液体のスープが2つ入っていてけっこうこだわっている。全然辛くはない。日本のインスタントラーメンとはまったく違っていて美味しかった。

ベトナム米

土曜日の朝、浅草場外馬券場の付近、つくばエクスプレスA1出口のあたりにとんでもない数のおじいちゃんたちが集結する。路上喫煙者だらけで、鶯谷北口のような、北千住喫煙目的店通りのような状態になる。正直まったく近づきたくない。そうした場合、この煙幕ゾーンを避けてつくばエクスプレス浅草駅を使うには、地下駐輪場を延々と歩いて、北か南のはしの出口を使うしかない。

この時期浅草はいたるところで道路の修理をしているがこの工事費用はなんとJRAが補助しているのだという。競馬産業に支えられる街、浅草。

例の吉原のど真ん中にあるBig-A。「サイズミックスたまご10個」178円。安い。「ちょうどいい牛乳」188円。安い。サッポロ黒ラベル350ml缶168円。おなじくスーパードライ168円。外税とはいえなかなか今どき見ない安さだ。

驚きなのは「ベトナムのお米」5kg 2480円。税込みでも2678円。炊いて食べてみたがごく普通。まずいということはない。日本の米と同じ短粒種で、タイ米やインド米のように細長い米ではない。同じものがamazon、楽天市場で売られているが品切れ状態。

根岸こと鶯谷

根岸という土地に私たちは何か牧歌的なイメージを抱く。鶯谷という地名にしても悪い噂はあるものの私は何やら楽しげな飲み屋の町という先入観を持っていた。

私は浅草の方から入谷を経て根岸の子規庵に行こうとした。この界隈をぶらぶら歩き回り(というか、根岸から根津へ抜けようとしてなかば迷って)子規庵の前を偶然通りがかり休館日だったので再び来てみたのだ。グーグルマップで開館日でしかも営業時間内であることを確認して。

上野や或いは秋田などの古い町にはよくあることだが昔の道が後から作られた車のための道や鉄道によって分断されて歩行者が恐ろしく遠回りさせられて、その代償に歩道橋や歩行者用の陸橋に登らされるという町が戦後日本にはたくさんできた。鶯谷もそうであった。子規庵へ続く道にはバカでかい歩道橋しかなく、その歩道橋に登らなくては大きく迂回せねばならなかった。私は仕方なく歩道橋を渡った。

子規庵は13:00まで昼休みというので入れなかった。

それから北口に向かったがここは路上喫煙者のたまり場になっていた。禁煙の店が2、3軒あるのをグーグルマップや食べログで確認していたのだが、禁煙の店の店先には必ず喫煙者がいた。喫煙可能な店の中にももちろん喫煙者がいるのに違いない。北千住のタバコ通り並にここは喫煙者の多い場所だということがわかった。

根岸すなわち鶯谷というところは駅の北口と南口で高低差がある上に線路で分断されていて、古い道も分断されて、喫煙者だらけで、北口にラブホテル街が広がっているのはどうでも良いとして、鶯谷南口は上野の博物館や寛永寺にも近く平和なところだが北口にはもう近寄りたくない。子規庵の最寄りがその鶯谷駅北口だというのと、二度も入れなかったので行く気が失せた。

都庁前乗り換え

近頃は良さげな禁煙の店を見つけるたびに一人密かに喜んでいるのだが、やはり本来私のような人間は東京なんかに住んではいけないのだと思う。早朝は人が少ないので歩きやすいがそれでもときどき路上でタバコをふかしているやつとかいると気分は最悪になる。この世からタバコが廃れて喫煙者がいなくなるより前に私の寿命は終わるだろうから、気にしないのが一番良いのだが、そうもいかない。

ユーチューバーで禁煙の店限定で飲み歩いて紹介している人というのは案外いない。需要はありそうなのだが。寿司屋とか料亭なんかは禁煙が当たり前なんだが安い店ほど喫煙可なところが多い。「孤独のグルメ」なんかはアレは作家が酒は飲まないがタバコはOKという私とはまったく真逆なので私は見ない。「深夜食堂」も嫌になって見るのをやめた。私は心の狭い人間なので仕方ない。

安くて禁煙といえばまずはほていちゃんだが、鳥椿はほていちゃんもびっくりするほど安くてしかも禁煙。しかも昼からやってる。なんて良心的な店なんだ。ほていちゃんとか晩杯屋なんかだとチェーン店感満載なのだが、なぜかこの鳥椿は個人経営店風のオーラが出まくっている。おそらくオーナーが敢えてそうしているのだろう。どういう「理念」で経営しているのか、ちょっと興味がある(創業者 北野 達巳)。そんなに混んでなくてゆったり座れるのが良いが、流行ってなくて撤退されちゃ困るから積極的に支援していこうと思っている。チューリップ1本90円、99本8910円って壁に書いてあるのが笑えるのだが、99本一度に注文したとして一度に99本揚げることができるのだろうか。でかいフライヤーならあり得るのかもしれない。鶯谷にもあるが浅草だと雷門一丁目店というのがある。ここが実はちょっと浅草からは外れていて駅で言えば田原町が最寄り。だからあんまり混まないということはあるのかもしれない。やはり積極的に支援していかなくてはなるまい。

東京の東西を往復している私にとって大江戸線は比較的空いていて便利なのだが、ああいうデザインした人はどういうわけでああいうふうにしたのか、どういう妥協の結果ああなってしまったのか、正直なところを知りたい。特にモヤっとするのは都庁前乗り換えで、ほぼ0分(0分では乗り換え自体できないから1分)で乗り換えできる場合もあれば10分近く待たされることもある。気にしなければ良いのだが気にしだすとものすごくストレスがかかる。

多少余裕を見て家を出るとして早めに駅についてしまった場合はコンビニに寄るなどして時間調整するのが吉なのだろう。

仮に今どかんと金が入って定年退職したらすぐに田舎に引っ越すかといえばなんともいえない。6年後に定年退職するまでは東京暮らしを満喫する計画になっているので、急にどうこうはできないとして、仕事もなく、世間に交わるストレスもなくて、しかし退屈で死にそうになったらどうしようか。退屈だとどうせ youtube 見るか twitter 見るくらいしかしないので、東京をいったりきたりするようになった今はけっこうヒマを潰せていて良いともいえる。

吟醸冷酒よりは普通の本醸造のお燗という記事を昔書いたらしいのだが、今もそう思っている。あんまり甘ったるいのは困るが、菊正宗の熱燗なんかなら申し分ない。ぬる燗だと本醸造の嫌なところが残ってる感じがする。熱燗のほうがよい。

今はまずビールを飲んで、ビールが残っているうちに熱燗を頼む。ビールをチェイサーにして日本酒を飲む。これが最近気に入っている。

水回りの修理

今借りている部屋は風呂場に給湯器がついていて、そのガスの元栓が癒着して回らなくなっていたのでガス屋さんに来てもらって回るようにしてもらった。そのときガスとは直接関係ないのだが、排水溝の蓋もパイプもボロボロに錆びていて、これはどうしたものかと相談したら、古い都営住宅なんかでも同じで、ホームセンターに売っているので同じような形のものと交換したほうが良いと言われて、東浅草のコーナンPROに買いに行った。あるにはあったので交換しておいた。これは正式名称は防臭椀というらしい。トイレ工事のときに一緒に言えばついでに交換してもらえたかもしれない。トイレは水が止まりにくかったからフロート弁(フロートバルブ)というものを取り替えてもらったのだが、やはりコーナンPROに売っていた。参考までに写真を取っておいた。1280円のほうなのか3980円のほうなのかはよくわからない。

防臭椀のほうは1280円(税抜き)で売っていた。入居時の交換なので本来大家さんがやるべきことだと思うが、まあ誤差の範囲か。

アマゾンで同じようなものをなんと709円で売っていた。しかしこれはポリプロピレン製とあるから軽いのだろう。私が買ったやつは明らかに鉄製の重いやつだった。

防臭椀のようなものはホームセンターで確認してサクッと買うで正解だと思うし、フロートバブルは自分で交換できないから業者に直してもらうので正解だったと思う。

水道代1月分の請求がきたのだが、使用料は0m^3なのだが、上水道と下水道の使用料を取られた。1m^3以上使うにはだいぶ使わなくてはならないようだ。

長年染み付いた生活臭というものが、部屋ごとに調理などするととたんに廊下に漏れてくる。なんとも言えない匂い。何十年もリフォームもせず同じ人が住み続けているとこういう匂いになるのではなかろうか。都営住宅なんかみんなこれではなかろうか。また賃貸物件に関する新しい知見を得た。

虚構の歌人 藤原定家

『虚構の歌人 藤原定家』を書いたのは2015年、もう10年も前のことなのだった。久しぶりに読んでみると恥ずかしい。特に最終章がかなり恥ずかしい。自分の中ではこんな終わり方じゃなかったはずなのだが、確かにこう書いたのは私なのだった。まぎれもない証拠だ。最後にちょっと気取ってカッコつけてそれらしいことを書こうというスケベ心が出てこんなことを書いてしまった。

応仁の乱で勅撰集の編纂も途絶えた日本に『新古今』以来の「長(たけ)高く幽玄有心なる姿」を復興しようと唱えたのは宗祇だ。なるほど連歌は和歌から派生したものである。また世阿弥は「能の道を極めようと思う者は能以外の芸を行うべきでない。ただし歌道は能を飾るものなので、特に勉強しなさい」と言っている。 私はずっと和歌ばかり見ていた。それで定家を調べることになり世阿弥や宗祇に出会った。そして彼らに教えられた、和歌はひとり日本文芸の核心なのではない、日本芸能すべての祖(おや)であり源流(ルーツ)なのだと。皆がそれほどまでに和歌を愛しているのだと。そう気づいて私はこれまでずっと和歌をやってきて良かったなと思った。

10年前からこんなことをずっと考えていた。同じようなことを今も考えている。その表現の仕方が10年前だとどうにも拙いし、浅い。そこが恥ずかしい。書くなら書くでもっとましな書き方があったはずだ。文章を書くと言うことは難しい。書いているときには気付かない、なかなか気づけないのが難しい。

あれから10年経って私は少しは成長したのだろうか。10年後の私が、今年出すはずの本を見てどう思うだろうか。とりあえず悔いのないように推敲しておきたい。

ここのこういうブログに書いたものなどはろくに推敲もしていない。書いたら書きっぱなしなことが多い。あまりに変なやつは非公開にするようにしている。

掛け布団カバー

今までは何気なくアマゾンで一番安い掛け布団カバーを買っていたのだが、最近は、いやいや、外資系企業がネット通販している、外国工場に丸投げした製品ではなくて、ちゃんと日本で作った品物を日本の企業から買ってやらねばなるまいと思い、楽天市場など見るがだいたい出品が(本気で売る気あるのかというくらい)割高だし、送料も高い。では店舗で買うかとなるのだが、メーカーはニトリかアイリスオーヤマあたりが安いらしいんだが、近頃は何もかもが値上がりしたせいかとにかく安い掛け布団カバーがない。

私としては西川のようなまっとうな国産の高級品が買いたい(買って応援したい。日本経済に貢献したい)わけではない。ただ単に布団の生地が傷まず、汚れてもカバーだけ洗えば済むような一番安いやつが欲しいのである。病院の四人部屋とか自衛隊のベッドに使われているような無地のカバーで十分。というわけで某イトーヨーカドーに行ったのだが、ニトリ売り場の掛け布団カバーはどれもネット販売のものよりも高い。大量にいろんな種類の掛布団カバーがこれでもかこれでもかと売られているがどれも高い。

それでイトーヨーカドーの衣服売り場に行ってみるとなんと掛け布団カバーが700円(税込み770円)で売っているではないか。この物価高の御時世に恐るべき安さである。ヨドバシ価格の2分の1か3分の1だ。おそらくそうとう長い間ここで売れ残っていたのだろう。イトーヨーカドーの売れ残り在庫がすごいという話は聞いたことがあったが、私にとっては実にお買い得だった。中国製と書かれていたのでもしかしてこれも〇〇人の〇〇労働で作られたものなのかなあと心が痛んだが、とりあえず満足した。

ニトリは安値を売りにはしているがなんとかブランドイメージと価格を維持しているんだが、イトーヨーカドーはとにかく無駄なく在庫をさばこうとしているようにみえるんだよね。これからもハイエナのようにイトーヨーカドーの売れ残り在庫を物色していこうと心の中で誓った。みんなが世の中の商業主義に目くらまされず、イトーヨーカドーに行って安く買い物をすれば、家計も助かるしイトーヨーカドーも助かるんだがなあってたかだか特売の掛け布団カバー買ったくらいで、すごい偉そうなこと言ってみた。

ついでだが、キャベツ1玉1000円とか世間では煽っているが私の見たところ、まあ、小玉1個で500円か600円というくらいか。東京都の最低時給と比べているところがせこい。キャベツが食えなきゃ白菜を食えばよかろうと思った。白菜もまあまあ高かったけど。

民主政と新聞

異世界ファンタジーで民主主義なんていう話が流れてきたのだが、異世界ファンタジーって何という話はひとまずおいといて、まったく架空の世界で一から民主主義国家ができていく過程を描くとしたらまずはアテナイを参考にするしかあるまい。

アテナイは神話時代から王政となり、王が追放されて貴族政(連合領主政)となり、そこから完全な直接民主政といえる状態になり、ギリシャ統一、帝政にまでいこうとしたがペロポネソス戦争で頓挫して、結局ギリシャ統一はマケドニア王国のアレクサンドロス大王を待たねばならなかった。このギリシャ統一にスパルタも含まれているかどうかは微妙ではあるが、ともかくスパルタも含めて全ギリシャが事実上マケドニアの支配下に入った。またここで帝政というのは民族を超えて、複数の異民族国家を統べる国家のことを帝政というのであり、皇帝という絶対権力者がいることを意味してはいない。

国家が肥大するにつれて、アテナイの民主政がマケドニアの王政に飲み込まれ、また明らかにアテナイの民主政を真似たローマの民主政も支配地が拡大すると必然的に帝政を必要とした。それはなぜかというに、市民がいてマスメディア(新聞)がなかったせいだ、大規模な間接民主主義には新聞と、新聞が形成する世論が欠かせない、というところが論点だったようなのだが、果たしてそうなのだろうか。そもそも民主政ってなんなんだよという話にもなる。首長を選挙によって選ぶこと?ならばローマ教皇も、かつての神聖ローマ皇帝も選挙で選ばれたから民主政なのか、ということになる。

神聖ローマ皇帝、つまりローマ王を選帝侯による選挙によって選ぶというしきたりは、おそらくローマ帝国において皇帝が元老院の承認によって選ばれる、というやり方に由来するのであろうし、このやり方は共和政ローマと帝政ローマに連続性を持たせるために作られた形式的なだんどりなのであろう。共和政ローマがアテナイのコピーであるのは明白であるから、結局ヨーロッパの民主政というのは、アテナイ→共和政ローマ→帝政ローマ→神聖ローマ帝国と継承されて、イギリス、アメリカで完成されて、またフランス革命によって若干の修正が加えられたもの、というしかあるまい。

ここにおいて民主政と新聞が不可分なものであるという主張にはかなり無理があるという気がする。新聞とか市民とか世論というものが民主政の一要素であることは確かなようであるが、民主主義が成立するために必要であった歴史的要件はほかにもたくさんあるからだ。そしてすべての歴史的経緯は多分に偶発的なものであり、必然的とはいいがたいものであり、したがって西洋の歴史次第では今とまったく異なる民主主義というものが成立していた可能性もあると思う。

アメリカの大統領選挙にしても、市民による直接選挙なのではなく、州ごとに選挙人を選ぶという多段階方式になっている。これは帝政ローマにおける元老院承認、神聖ローマ帝国における選帝侯選挙に近いものであるかもしれない。ヨーロッパ人はなぜか選挙というものを信頼したがるのだがそれはやはりヨーロッパの起源をギリシャに求めたがるからであろう。そうした嗜好性はスター・ウォーズなどにも見られるのである。

で、世論というものを国民全員が共有する必要はなく、それぞれの地域から何らかの方法で選ばれた選挙人の間で政治に関する知識や意見が共有されていても、民主政に類するものは成立し得るのではなかろうか。たとえば多段階直接民主政。地域ごとには直接民主政でそれを国とか連邦とか国際連合のようなものに多段階に積み上げることによって市民全員が参加する民主政を実現する。

ま、ともかく、メディアとか新聞というものは、必ずしも信用のできるものではなく、できればそうした要素を民主政成立の必要条件としたくはない、という気持ちが私にはある。

さて、まったく架空の自分の世界観で、何もないところから民主政ができていく話を書くというのは、まあまあ面白そうだが、私はもう『エウメネス』を書いて、アレクサンドロスやアリストテレスやトゥキディデスやクセノフォンにアテナイの民主政についてさんざん語らせたのでそれで十分だろう。

ファンタジーというものは世界史を知らねばわかるわけもないと思っているのは世界史をやった人の考え方であり、高校で世界史を履修した人なんて日本人に一割いるかいないかなのではなかろうか。パイレーツ・オブ・カリビアンやスチーブンソンの宝島なんかはわりと史実に忠実な気がするのが、ワンピースのファンなんかはもう世界史なんて知るか民によって成り立っているのだろう。私はワンピースがジャンプで連載開始した頃にはまだジャンプを毎週読んでいたのだが、ワンピースはつまらなくてすぐに読むのをやめてしまった。ワンピースより宝島のほうが面白いじゃん、こんなの海賊の本場イギリス人がみたら噴飯ものだろとしか思えなかったんだが、ヨーロッパ人にもアメリカ人にもワンピースのファンがめちゃめちゃたくさんいる現状を見るとあきれてしまう。正直世の中のファンタジー面白いつまらないという基準が私にはわからない。

公共建築

隈研吾という人の建築が叩かれているが、好き勝手に注文住宅を注文して建ててもらって25年間も放置しておいて、リフォームに3億円かかるのは高すぎるなどというのは、発注した町議会のせいだろとしか言いようがない。町も国の補助金か何かをあてにして建てたのかもしれないが、維持もできないようなものを建てるなよとしか思えない。

個人の家ならともかく公共建築で、というが、公共の建物を建てるのだって誰かがそういうものを建てたいから建てたんだろうし、個人の家だって新築から25年経てばそれなりに補修費がかかるのは当たり前だろう。凝った家なら1千万円くらいかかってもおかしくない。もっと大規模な美術館のような建物ならばどうか。1億円ならば良かったのか。3億円だから高いのか。いずれにしても無計画な町がごねているようにしかみえない。

それはそれとして凝った公共事業とか、万博などというものは馬鹿げたものだと思っている。愛知万博の木製の通路、あれ、グローバルループっていうらしいが、行きたいところにまっすぐに行けなくてほんとにイライラした。ああいうデザインをするデザイナーが減ってほしい。ああいう不便なデザインが世の中から淘汰される仕組みがほしい。