虚構の歌人 藤原定家

『虚構の歌人 藤原定家』を書いたのは2015年、もう10年も前のことなのだった。久しぶりに読んでみると恥ずかしい。特に最終章がかなり恥ずかしい。自分の中ではこんな終わり方じゃなかったはずなのだが、確かにこう書いたのは私なのだった。まぎれもない証拠だ。最後にちょっと気取ってカッコつけてそれらしいことを書こうというスケベ心が出てこんなことを書いてしまった。

応仁の乱で勅撰集の編纂も途絶えた日本に『新古今』以来の「長(たけ)高く幽玄有心なる姿」を復興しようと唱えたのは宗祇だ。なるほど連歌は和歌から派生したものである。また世阿弥は「能の道を極めようと思う者は能以外の芸を行うべきでない。ただし歌道は能を飾るものなので、特に勉強しなさい」と言っている。 私はずっと和歌ばかり見ていた。それで定家を調べることになり世阿弥や宗祇に出会った。そして彼らに教えられた、和歌はひとり日本文芸の核心なのではない、日本芸能すべての祖(おや)であり源流(ルーツ)なのだと。皆がそれほどまでに和歌を愛しているのだと。そう気づいて私はこれまでずっと和歌をやってきて良かったなと思った。

10年前からこんなことをずっと考えていた。同じようなことを今も考えている。その表現の仕方が10年前だとどうにも拙いし、浅い。そこが恥ずかしい。書くなら書くでもっとましな書き方があったはずだ。文章を書くと言うことは難しい。書いているときには気付かない、なかなか気づけないのが難しい。

あれから10年経って私は少しは成長したのだろうか。10年後の私が、今年出すはずの本を見てどう思うだろうか。とりあえず悔いのないように推敲しておきたい。

ここのこういうブログに書いたものなどはろくに推敲もしていない。書いたら書きっぱなしなことが多い。あまりに変なやつは非公開にするようにしている。

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