源頼信とか平忠常の乱とか調べてて、千葉氏の一族 というめちゃくちゃ詳しいサイトを見つけた。こりゃすげえっっ。他にも、個人のブログとかで、日本史関連で異様に詳しいサイトとかかなりある。
など。
近頃は、何もすることがないとき、ぼーっと日本史のことを考えていると、案外時間がつぶせることを発見。脳内世界って便利。
埼玉某市に10年ぶりくらいに遊びに行ったのだが、夫婦でやってた居酒屋は女将さんが死んでいなくなってたり、立ち飲み屋に行ったら820万円請求されたり(笑)、カラオケスナックで一曲歌ったら1000円しなくてまたびっくりしたりした。なるほどこの町って実は飲食代が異様に安かったんだな、今住んでる町が高すぎるのだなと思った。関東近県でも、飲食費が馬鹿高いのは吉祥寺とか多摩センターとかそんなところだけで、田舎に行けばこんなものなんだなと。
半ズボンでバス停でバス待ちしてたら蚊にふくらはぎをばんばん食われて困った。田舎暮らしにはジーパンのような厚手の長ズボンが必須だなと思った。田舎と言わずとも庭で草むしりとかヤブ蚊が出るようなところだとジーパンは便利だなと思った。夏でもびしっとジーパン、靴下、ブーツ。
昔は山道なんてところかまわずヒルやまむしが出てたいへんだったろうなと思う。だから大名行列には先払いみたいなものが必要なんだよなあ。
知り合いと、Mr.Bigというバンドの武道館公演のビデオを見てて、なんかこう、優等生的な、秀才的なロックバンドだなという話になって、昔はヒッピーというか、普通のサラリーマンからはみ出した不良みたいのがロックやるイメージなのが、かれらはどちらかというと一生懸命技術を磨いたというか。
ギターの先っちょにビデオカメラ取り付けて指が早弾きすんのを見せるという。
確かに速いが音楽的にどうなのかと思うこともある。
それでそういえば今の大学生にヘビメタが好きだというのがいて、ヘビメタの何を聞くのかと聞いたらアイアンメイデンだよという。
アイアンメイデンって俺ら高校生の頃からあったよと。30年以上続いてるらしいね、って話になったのだが、でも最近ではアイアンメイデンはアニメで有名だよねっていうやつがいて、それからずーっと気になってたんだが、それってもしかして「ローゼンメイデン」???
ありゃりゃ。Mr.Bigもけっこう古くから活動してるんだなあ。でもせいぜい私が大学卒業するころくらいからだわ。
懸垂が一度もできないと落ち込んでいたのだが、腕を完全に伸ばしてしまいそこから首を棒より上に出すのは難しい。しかし、腕を曲げたままならば、三回くらいは余裕でできることがわかった。みんなだいたい一回目は飛びついた勢いでできる(笑)。次に腕を完全に伸ばさないようにして、頭を棒の上下に往復させるだけならわりと楽にできる。回数がこなせるようになってから、徐々に腕を伸ばしていけば良いのではないか。
体重はなかなか減らない。73kgまでもう少しというところで1ヶ月は停滞している。
佐渡が天領だというのは、すごく違和感がある。ただ単に徳川将軍家が佐渡島の金山を開発するために直轄領にしただけであるのに、だ。
しかし、Wikipediaなど読むと、徳川幕府の所領が明治初期に一時的に天皇の直轄領(御料)に組み入れられたために天領と言われるようになったということで、江戸時代にはそのような呼び方はされなかったというので、なるほどと思った。それにしても、廃藩置県とともに天皇直轄領、天領なるものも消滅したに違いなく、それにも関わらず、天領佐渡なる言い方が残っているのはいかがなものかという気がする。
エルビスプレスリーのDVDなど見ると、プレスリーは言われているほどデブではない。
1977年に42才で死んだのだが、1974年くらいまでのビデオでは普通に腹は出ていない。
コルセットで締め上げているのかもしれないが。
で、プレスリーは毎日ドーナツを百個食べて死んだとか、いやハンバーガーだとか、いやスイカを毎日二個食ったから死んだとか、いろいろ言われているが、せいぜい40代前半で、多少食い過ぎたくらいで健康ならば死ぬはずはない。
多少不健康になるかしれんが、40代前半で死ぬというのは相当大変なことだと思う。
50才60才なら糖尿病か何かの合併症で死ぬかもしれんがね。
FMレコパルという雑誌(FMファンとあと週刊FMだっけか、FMをエアチェックするためだけの週刊誌があったというのは今では考えられんなあ)があり、たしか黒鉄ヒロシの漫画でプレスリーが西瓜を毎日二個食ってデブで死んだとかいうのを私は読んでそれを今でも覚えている。
私よりも五歳か十歳上の人もだいたいそれと同じような記憶。
西瓜がドーナツだったりする位の違い。
しかし死ぬ直前に多少デブだったかもしれんが、もう少し長生きすればダイエットしてやせたかもしれんのに、たまたま死ぬ直前の数年に太ったからといってあそこまで、デブで死んだとかなんとか言われるのはかわいそうな気がしてならん。
かなりどうでも良いことだがFMレコパルのマンガにはかなり影響を受けた気がする。
メシアンの世の終わりのための四重奏曲などというみょうちくりんな現代音楽をわざわざ聞いたのも、その影響だった気がする。
他にも覚えてないがそうとう影響受けた。
そうそうたしか石森章太郎だった。
Wikipediaにも書いてあるから間違いないわな。
第二次大戦中に牢屋に入れられたときに作曲したんだった。
Wikipediaなど読むとエドサリバンショーではわざと下半身を映さず放送したとか、たしかにプレスリーは下半身が命なんだ。
若い頃の全身が映った映像は確かに衝撃的。
でもそれを言うとベリーダンスはどうなんだという話になる。ベリーダンスは太鼓の伴奏とシンクロして胸と腹と腰を別々に揺らすからすごい。ただ腰だけ揺らすのはフラダンスだってやってる。
あさか山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに
安積香山の影までも見える澄んだ山の井のような浅い心では私は思っていないのです
小学館の「日本古典文学全集」など
いや、なんか違うんじゃないかなこの現代語訳は。井戸をのぞきこんだとき自分の姿が映って見えるほどに浅い井戸、水鏡の代わりになるほどに浅い井戸、そんなあさか山の井戸のように浅い心で私は思っているわけではないのだが、と言っているのだと思うのだが。
そもそも井戸の水が澄んでいるのは当たり前だと思うが。「澄んだ井戸の水のように浅い心」では意味がわからんだろ。
なんだかなあ。どうしてこう精神論的な解釈をしたがるのか。もっと感覚的・映像的に考えれば良いだけだと思うが、国文学者というのはそういう言語による視覚的表現にうといのではないかとしか思えない罠。万葉時代の歌を新古今的幽玄な解釈をして失敗している典型の一つか。
三船敏郎主演「上意討ち ― 拝領妻始末 ―」というのを借りて見たのだが、想像と違って陰々滅々としたやな感じの映画。こんなのだれが好きこのんでみるのかと思った。養子に入って何十年も嫌みな妻に我慢してついにぶち切れてお家断絶、息子も嫁も全部死んで最後は自分も死ぬ。
終わりのほう、仲代達矢との立ち合いは椿三十郎のエンディングに似たデジャブ感。その後鉄砲隊に三船敏郎は殺されてしまうという落ち。
というか、こういうのを上意討ちというのか。つまり主人公が上意討ちにあったということなのだよな。主君の命で上意討ちにいく侍が主人公なのかと思うじゃないですか。
今日はいつもの飲み屋で喧嘩した。 とにかく速く帰りたくて勘定すませて釣りももらわず帰った。
それはそうと。
匿名の製作委員会というのが今ははやりらしく、「踊る大捜査線」で当たったのが始まりだという。
思うに、日本には健全なベンチャーキャピタルが育たず、シリコンバレーでは毎年何十兆円もの投資が行われていると。 しかし、匿名製作委員会というのはつまりベンチャーキャピタルのことですよね。ファンドのようなものかもしれない。
日本でも一部ではすでにベンチャーキャピタルが育ちはじめているのかもしれないなあと。
それはそうと「踊る大捜査線」は大嫌い。現場の公務員が職務規程に従わずに自分の判断で行動するなど許せない。 226事件とどこがちがうんですか。 公務員が上司に従わないということは国会に従わないということ、つまりは納税者に従わないということ。 国民に、警察組織の問題を訴えたければ、国会議員に立候補すべきで、選挙で正当に選ばれた代表を通じて行動すべきであって、現場の判断で勝手に行動してよいことにはならない。
身内の警察官が死んだり怪我をしたら本気で敵討ちですか。 つまり民間人が犠牲になったときは相対的に本気で仕事してないということだよね。
状況的に公務員が機密をリークしなくてはならないことはあるかもしれん。しかしそんな国家の利益がとか切迫した状況ではなくただ現場の公務員が自分勝手に暴走しているだけではないか。こんなドラマが大ヒットしたこと自体許せない。 一国民として許せない。
まあ、これは主観の問題なのだが、と一応前置き。
17:00から始まる某報道番組をだらだらと見ていたが、テンポが速く要領よくて小気味よくこれが民放地上波の報道番組かとびっくりした。テレビも捨てたもんじゃないなと思った。同時にこの時間帯にテレビでニュース見てるやつって誰だろうとか、誰を対象に放送しているのか不思議に思った。
ところが18:00台になるとタレントコメンテイターなどが出てきて、たぶんそれだけじゃないんだがとたんにつまらなくなった。マスコミ特有の腐敗臭を放ちはじめた。
なるほど、17:00台は前座なのである。18:00ともなると田舎の役場勤めなどだと自宅に帰り着いて家族そろって夕食を食べてる時間かもしれん。
テレビ局は実はすごい会社なのだと思った。ものすごく良い人材が集まっている。そりゃそうだろう。いろんなしがらみにしばられないはずれた時間帯や前座みたいのやケーブルテレビではとても良い番組を流す。おそらく若手が実力を認められようと真剣に作っているに違いない。しかしタレントが出てくる時間帯、みんなが好んで見る時間帯は俗悪。もうどうしようもないのでないか。
マイキーというDVDを見たがこれはテレビ東京系らしいが、素人くさく見せているが明らかにプロ。テレビ局の機材を使い、まっとうなスタジオで、プロのカメラを使い照明あて、大道具さんや衣装やメイクの担当がいる。売れてはなさそうだがちゃんとプロの役者を使っている。音響もきちんとしてる。金のかかり方が違う。テレビ局的にはすでにあるものを使い回しているから特に金はかけてないのかしれんが、結果的に金がかかっている。こういう深夜番組とかには良いものがあるのだなと思った。
こういうのみてるとほんともう、テレビなんてインターネットなんかよりもずっと可能性があるんだろうが、実にもったいないなあとか思ってしまう。
フジテレビ721で流してる俺たちひょうきん族なんてみてると今よりずっとおもしろい。あのころの俗悪はほんとの俗悪だったが、今のは気持ち悪い俗悪。腐敗臭がする俗悪。煮え切らない俗悪というか。懐古主義者にはなりたくないが。