敷島の道2

敷島の道の続き。

定家の「拾遺愚草」を拾い読みしてたら、飛鳥井雅経が自分の子・教雅の歩き初めに

あとならへ 思ふおもひも とほりつつ 君にかひある 敷島の道

定家かへし

敷島の 道しるき身に ならひおきつ 末とほるべき あとにまかせて

意味は分かりにくいのだが、雅経が教雅の歌の指南を定家に頼み、そのお礼に書道の手本を贈った、それに対して定家は雅経にならって教雅に歌を教えましょうと言った、ということらしい。

歌の配置からみると、定家の子・為家が元服した後の話らしいから、とっくに鎌倉時代に入っているが、承久の乱よりは前だろう。

どうも雰囲気としては「敷島の道」というのは「歌道」というよりも、も少し広く漢学や仏教に対する、日本固有のことについての知識や学問や芸能、つまり国学という意味で使われているような気がする。まあ、国学の中心は、当時としては和歌だったわけだが、神話とか神祇とか祝詞とか、歌物語など国文学全般、仮名文字の書き方、大和心の使い方のようなものまでを包含していたかもしれん。

とか思いつつ広辞苑を調べるとどうやら初出は千載集の序らしい。つまり定家の父俊成だわな。よく調べましょう自分。和歌に出た最初の例はしかし上に挙げた飛鳥井雅経と藤原定家の贈答歌かもしれん。

春の花の朝、秋の月の夕、思ひを述べ心を動かさずといふことなし。ある時には糸竹の声しらべをととのへ、ある時には大和もろこしの歌言葉を争ふ。敷島の道も盛りに興りて、心の泉いにしへよりも深く、言葉の林、昔よりも繁し。

うーん。やはり「もろこし」に対する「大和」であり、漢学に対する国学、という意味に使われている可能性は否定できないよね?文脈的には「大和もろこしの歌言葉を争ひ」とは和漢朗詠集や新選万葉集のように漢詩と和歌を並列にあつかったようなものだよね。俊成・定家・雅経には共通認識があったかもしれんが、ちゃんと説明してもらわんとわからんよね。つまり、俊成が作った言葉というより、もともと和歌に限定されない「敷島の道」の用法があって、それを俊成が和歌集の序に使ったかもしれんわけで。

秋成

秋成の擬古文は、宣長のような堅苦しさもなく、なめらかですばらしい。

みかどに立てば、世をまつりごち、庵のどかに住みなしては、あまねく病に験ある薬を舐めわきて、惻隠とかの心をいたせしとや。

「まつりごち」は「まつりごと」を活用させた語だが、源氏物語に出る。「あまねく病にしるしある薬」とは酒のことであるらしい。なんかしびれるな、こういうのを美文というのだろう。やはり秋成はちゃんと読まねばならぬ。馬琴とか春水とか京伝とかは差し置いてまず読まねばならぬ。秋成は文法とか仮名遣いなどがやや乱調なのだが、そこもまた彼の味か。秋成と宣長の長所を合わせれば完璧な擬古文ができあがるだろう。源氏物語の文体を現代にそのまま復活させることはできない。秋成や宣長の文体は近世なので、なんとか現代風にアレンジすれば、今でも使い物になるんじゃないか。そのうちこのブログでも実践してみるか(笑)

それはそうと、しばらく酒を飲まずにいると低血圧になるようだ。血圧計で測ってみてもそうだし、朝寝起きが悪くなるし、立ちくらみもする。おそらくついでにコレステロール値も下がるのではないか。毎日何キロも歩いてみたり、断食まがいのことをしてみても、あまり効果がなく、結局酒をやめれば体調が良くなるということか。

血圧高い方が寝覚めも良いし活発に動けるが早死にする。低血圧なくらいな方が長生きする。

まあこれまで人の何倍も酒を飲んできたから、そろそろ週に一度たしなむ程度にするのもよかろうか。このへんで酒池肉林とか言ってるのを見るとうらやましくもあるが。

なんて素敵にジャパネスク

氷室冴子はマンガやアニメの原作者としてはすでに知っててまあ好きなほうだから、小説も割といけるかと思ってためしに『なんて素敵にジャパネスク』を読み始めたのだが、いろんな意味で驚いている。

まず、こんな昔からラノベって1センテンスごとに改行してたのな。

第一印象としては人間関係がわかりにくい。官職名がいきなりぽんぽん出て、これ、読むひとほんとに理解して読んでるのかという感じ。権少将とか大納言とか出てくるんだが、官位が書かれてないからどっちが偉いのかもわからん。そんなこと考えなくていいんだろうけど、気になる。むしろ、そうやって、よく分からない単語であふれさせることによって、無理矢理平安時代の雰囲気を出しているのかもしれん。

だがまあこれは明らかにラノベだ。腐る前の時代のラノベ。ドタバタラブコメが主流だったころの、八時だよ全員集合時代のラノベ。あるいは、防腐剤として古典的教養らしきものがふんだんにまぶしてあるが、それらを取り去れば自然に腐って現在のラノベになるのだろう。今のラノベはこんな難しかったら読まれないんじゃないかと思う。

ヒロインの弟が融というのだが、この時代、融と言えば源融。だが、父親は藤原氏。だから、藤原融というのだろうが、これがものすごく気持ち悪い。漢字一字の名前というのはだいたい嵯峨源氏。藤原氏の名前はほぼ例外なく二字。まあそんなことどうでもいいわけだが。

高彬という名もなんとなく変な感じ。幕末ころの武士の名前だろうとか思う。島津斉彬とか。醍醐天皇の皇子のつもりかな。第十皇子に源高明というのがいるわな。

ざっとネットを検索しただけだがこの作品には次のような和歌が出てくるらしい。

瀬を早み 楫子のかじ絶え ゆく船の 泊まりはなどか 我しりぬべき

春立つと 風に聞けども 花の香を 聞かぬ限りは あらじとぞ思ふ

心ざし あらば見ゆらむ わが宿の 花の盛りの 春の宵夢

うーん。どれもダメだ。大人げないが全然ダメ。単なるパロディなら笑って許せるが、割と狙ってるところがダメ。つか、パロディ(蜀山人の江戸狂歌みたいな)作るにはそれなりにわかってなきゃだめだからな。百人一首のうろ覚えプラス歌謡曲レベルだわな。逆の言い方をすれば、普通の人には和歌なんてものはこの程度で良いということだろう。

人虎伝

「山月記」はなぜ国民教材となったのかというのを書いたせいで気になって調べてみた。山月記の中で、中島敦は虎に

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い

などと言わせているのだが、私はこの台詞がすごく好きなんだが、これが原作の人虎伝にすでにある文句なのか、それとも、中島敦が独自に挿入したものなのか。

人虎伝の原文現代語訳も、今では簡単にネットでみることができる。当該箇所を読んでみると、それらしきことは書いてなくて、

於南陽郊外、嘗私一孀婦。其家竊知之、常有害我心。孀婦由是不得再合。吾因乘風縱火、一家數人盡焚殺之而去此。爲恨爾。

つまり、女の家に放火して、一家数人をことごとく焼き殺した、などということが書いてある。それでさらに検索してみると、なんと中島敦の本家本元筑摩書房でその箇所について解説しているではないか。

なるほど。「山月記」は国語教科書の定番なので、「人虎伝」までさかのぼって深読みし、指導の助けにしようという教師は少なからずいて、筑摩書房もその要望に応えたというわけだ。

「人虎伝」を読めば明らかなように、人が虎となったのは、密通放火殺人の罪による。中島敦はここをすべて捨て、代わりに、己の詩業に熱中するあまり、妻子を顧みなかったから虎になった、そう読み変えたのだ(家庭をないがしろにする男などいくらでもいる。そういう男がみんな虎になったらたいへんだ。中島敦もだから虎になった理由は明記してない。そんな説得力のある理由じゃない。だから思わせぶりな記述になった)。自分なりにストーリーを書き換えてみたい、あるいは多少のオリジナリティをもたせたいと考えるのは自然で、芥川龍之介もやっていることだ。

この筑摩書房のサイトの解説がなかなかおもしろいのだが、

李徴の詩は、微妙な点において欠けているものがあるから一流になれなかったということなのですが、

李徴の詩が、微妙な点において欠けている、と感じたのは中島敦本人なのである。そう感じたからストーリーを改変した。中島敦はおそらく李徴に自分自身を投影したのだ。しかし中島敦自身は、李徴のような鬼畜な人間ではない。作者は感情移入できない。「妻子とか、生業などに煩わされながら、物書きをしている自分」というものを主人公にしないとそもそも話を物語ることができない。李徴に遭遇した袁傪はただの脇役なのでやはり感情移入しにくいわな。

この微妙な点を生徒の多くは「愛」に求めます。妻子への愛がなかったからいい詩が書けなかったというわけです。私が「では、愛があればいい詩が書けるの?」と問えば、躊躇なく「はい。」と答えてきます。本気で「愛があればなんでもできる。」と信じ込んでいるわけではないのですが、生徒たちは小説・物語はそう読むということに慣れ親しんでいるのだと思います。テレビ・アニメ恐るべしです。

ここで「私」と言っている人が誰なのかと探してみてもよくわからない。署名記事ではなさそうなのだが、いかにも高校国語教師の感想という感じでほほえましい。

妻子への愛があれば良い詩が書けるとは中島敦も考えてなかっただろう。そんな雑な結論を導かれちゃ困るだろう。読者は自分の好き勝手に誤解したがるものだ(そしてそれが当然の権利で正しい行為だと思っている。自分が作者よりもよい解釈をしてやったとすら考えている)。作者の意志などどうでもいいのだ。作者は(と言いながら自分のことを書くが)、そんなありきたりの、誰でも思いつく、誰が書いても同じな、毎日テレビで垂れ流されていてわざわざ自分で書く必要すらない、つまらないストーリーなんか書きたくない。普通の恋愛、普通の推理、普通の歴史小説なんて書きたくない。二重三重に意味を持たせた、トリッキーなストーリーを書きたい。はぐらかしたりだましたりしながら、ちゃんと読めばちゃんとわかるように書いてあるのだ。しかし最初のトリックにつまづいてそこで読了した気持ちになっている読者を見るとがっかりする。

思うに、山月記が説教臭い教材になってしまった理由は、普通の高校生とその教師と親がそういう解釈を好んだためだとしか言いようがないと思う。中島敦が山月記を書いた理由?おそらくは自分の著作活動における自問自答、葛藤のようなものをそのまま書いたのだろう。教科書会社は売れるから載せているだけだ。文科省の役人は特に現状を変更する理由がないから放置しているだけ。「なぜ国民教材となったか」と言われればそれこそ「国民が望んだから」としか言いようがない。文科省の官僚や教科書出版社や指導要領の作成者のせいにするのはよろしくない。

おそらく「人虎伝」で種明かしをされてしまうと怒り出す高校生や国語教師がたくさんいるのではないか。そんなの俺の「山月記」じゃねえ、とか言い出して。アニメとかラノベのファンなんてみんなそうだ。

追記。やや嫌らしいが、教育指導要領の方もみておこう。

李徴が虎になった原因が三点も記されていることについて考える。

それは、中島敦が、本来の理由を削除して、自分なりの解釈に改変したが、その解釈を読者に押し付ける自信がなかったからだわな。

李徴が詩に執着した理由を考える。

詩人が詩に執着して何がいけないのか。

現代小説に特徴的な主題を読み取り、現代小説に親しむ。

ていうか現代小説を書いているつもりの私にも「現代小説の特徴」なんかわからんよ。主題を読み取るというが、この小説に何か明確な主題なんてあるのか。元の伝記小説にはあったかもしれんが。つか小説なんてのは、特に近代や現代の小説てのは(漫画とかアニメとか娯楽物でない限り)、何か具体的な主題に沿って書かれるものじゃないだろ。無理に高校生に主題を読み取らせようとするから筑摩書房のサイトに書かれているような頓珍漢な答えが出てくるんじゃないの(それとも自己流に解釈すればそれはそれで、自分で頭を使ったからよいということか)。

さらに、「山月記」なんか読んで現代小説に親しめるか?

現代小説独特の表現に親しみ、その特性を理解する。

同上。

表現とそのリズムに親しむとともに、表現された心情を考えながら音読・朗読する。

音読、朗読か。なぜわざわざそんなことをさせたいのかよくわからない。それって必要なのか。てか、朗読させたければ詩にすればいいんじゃないか。

運命に対して無抵抗であり、理由の分からないものをただ受け入れざるを得ないという不条理、人間という存在に対する嘆きがあります。人間がこの世界に投げ出された状況とは、まさにこういうことでしょう。理由などないのです。それを人間は、自分たちの物語に理由づけようとして悪戦苦闘しているのです。

いろんな理由を考えさせて、高校生を悩ませておいて、結論はこれなのだろうか。答えは「理由はない」。世の中は不条理だ。人間は苦しんでいる。それが現代小説の特徴なのだろうか。はて。うーん。ニーチェとかサルトルみたいなもん?(笑)

なんか、もっともらしい理由づけではあるが、高校生に読ませる教材なんだよね?もっとほかにふさわしいのがありそうなものだが。いやいくらでもある。やはり、いろいろ生徒に悩ませておいて、最後にこうですと、手の内をあかして、けむに巻いてみせたいだけなんじゃないかと勘繰りたくなる。

ネット時代の今、そんな手口はもはや高校生には通用しないんじゃないのかなあ。一時期「ポストモダン」な人たちが風靡してたころはそんなわかったようなわからないような禅問答的解釈でよかったかしれんが、今はググればごまかしはすぐばれるよ。

追記あり〼

西行

小林秀雄「西行」を読んでいて思うのだが、小林秀雄は、知ってか知らずか、西行の歌の真作、偽作かまわず、西行の歌と言われている歌すべてを対象にして、西行という人を鑑賞しようとしている。その態度はある意味潔いが、当然のことながら西行の実像を濁らせてもいる。小林秀雄ですらそうなのだからそれ以外の人たちは、ほぼ皆、西行の伝説に惑わされている。あまりにも古びて改変されてしまっていて、江戸時代の古い写真や、中世のはげかかったフレスコ画を見ているようなものだ。それは生きている西行からはほど遠い。ごく一部の疑い深い学者しか西行の歌の真偽については考慮してない。

西行の歌はいくつか分類して考えねばならない。出家前に詠んだ歌(もしあれば)、出家直後に詠んだ歌、晩年の歌、そして後世の偽作。

西行は多作だったので、確実に真作であろうと思われる歌を集めるのはそんな難しくない。

詞花和歌集に初出の歌は33歳までに詠んだわけである。

身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ

小林秀雄はこの歌を「作者の自意識の偽らぬ形」「こういうパラドックスを歌の唯一の源泉と恃み」などと言っている。つまり禅問答的な形をとった過剰な自意識の発露だといいたい。詞花集には読み人知らずとして載ったわけだが、もしかするとそのころはまだ俗名で、しかも勅撰集に名を出すにはおそろしく身分の低い武士だったのだろう。

「捨てぬ人」とはまだ出家してない西行自身のことであって、自分は在俗のまますでに身を捨てたようなものだが、出家して世を捨てたと言っている坊さんたちは、ちっとも世の中など捨ててないように見える(権力や名誉に執着している)、ということか。「身を捨つる人はまことに捨つるかは」という強い言い方、おまえら、ほんとに身を捨てたのかよ、そんなんじゃ身を捨てて救われようとは思えんね、みたいな軽蔑の感情を感じるのは私だけだろうか。あなた方は行い澄まして世の中を捨てたなぞとうそぶくが、私のほうこそ、俗世の中にいて、深い絶望を抱いているのだ、と。

あるいは、出家することを身を捨てるというのは間違いで、身を捨てない人の方が、後生に障るから実は身を捨てているのだ、と解釈する人もいる。「身を捨ててこそ 身をもたすけめ」が西行の真作ならば、その解釈であっているかもしれない。「身を捨つる人はまことに捨つるかは」はその場合お坊さんが檀家の人に説教をしている口調、身を捨てるというのは、ほんとうに身を捨てたことになりますか、いえ、ちがうんです、みたいにも思えてくる。西行がただの坊さんならばこの解釈であっていると思うのだが。西行は、坊さん臭い、説教臭い和歌は詠まなかった人だと、私は考えている。

勅撰集に「詠み人知らず」としか載らない身分の低い私でも出家すれば名前がのこるようになる、と解釈する人もいる。なるほどいろんな解釈があるものだ。

西行の他の歌も参考にしつつ考えると、西行は出家はしたものの普通の人と同じような生き方をした。花をめで、歌を詠み、京都市内に住んだりした。出家した後も悟りは得られず、一生悩み苦しんだ。そのことと関係あるんだろうが、よくはわからん。

まともかく西行は普通の坊さんと違うので、解釈が難しい。「パラドックスを源泉」と言えばそうなのかもしれない。

追記: 以前に似たようなことを書いていた。西行の歌。そうだな。この歌は変に説教臭いし、同時代の人がこれを西行の歌と認めたのならともかく、どうも「西行物語」に詠み人知らずの歌が西行の歌として載ったから、西行の歌ってことになった、と解釈した方が話は簡単だ。少なくとも確実に真作とは言えないだろうな。ま、これ以上この歌だけに関わっても仕方ない気はする。

彼ほどに真に悟りを必要とした人は、その当時にも滅多にはいなかっただろう。それほど深い苦しみを抱いてた。早く楽になりたかったが、なれなかった。そこへいくと慈円なんかは何の悩みも迷いもなく僧侶となり、のほほんと一生を送ったのに違いない。

世の中に未練のあるような歌は他にもある。

はらはらと 落つる涙ぞ あはれなる たまらずものの 悲しかるべし

物思へど かからぬ人も あるものを あはれなりける 身の契かな

捨てたれど かくれてすまぬ 人になれば 猶よにあるに 似たるなりけり

数ならぬ 身をも心の もち顔に うかれてはまた 帰り来にけり

捨てしをりの 心をさらに あらためて みるよの人に 別れはてなん

まどひきて 悟りうべくも なかりつる 心をしるは 心なりけり

など。こういう歌を、小林秀雄は「西行が、こういう馬鹿正直な拙い歌から歩き出したという事は、余程大事なことだと思う」などとからかっている。しかし果たして、「馬鹿正直な拙い歌」なのだろうか。

世の中を 捨てて捨て得ぬ ここちして みやこはなれぬ 我が身なりけり

などは、確かに誰にでも詠めそうな、しかし西行にしか詠めなさそうな歌ではある。普通の僧侶はこんな歌は詠まない。同時代の慈円なんかは絶対詠まない。

心なき 身にも哀は しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕ぐれ

世をいとふ 名をだにもさは とどめおきて 数ならぬ身の 思ひ出でにせむ

うらうらと 死なむずるなと 思ひとけば 心のやがて さぞとこたふる

そらになる 心は春の かすみにて よにあらじとも おもひたつかな

世のなかを そむきはてぬと いひおかん おもひしるべき 人はなくとも

山里に うき世いとはむ 友もがな 悔しく過ぎし 昔かたらむ

古畑の そはの立つ木に ゐる鳩の 友よぶ声の すごき夕暮

ここらも、未練を断ち切った、というより、未練たらたら、という感じの歌。まあ先の歌と同じ心境を詠んだもの。意味もさほど難しくない。西行には大胆な字余りの歌があって驚く。

世の中を 思へばなべて 散る花の 我が身をさても いづちかもせむ

わきて見む 老木は花も あはれなり 今いくたびか 春に逢ふべき

吉野山 やがて出でじと 思ふ身を 花ちりなばと 人や待つらむ

花みれば そのいはれとは なけれども 心のうちぞ くるしかりける

春風の はなをちらすと 見るゆめは さめてもむねの さわぐなりけり

春と桜の歌。最後のやつは宣長の

待ちわぶる 桜の花は 思ひ寝の 夢路よりまず 咲きそめにけり

にも似るが、両者それぞれの個性が出てるわな。

いとほしや さらに心の をさなびて 魂ぎれらるる 恋もするかな

こころから 心に物を 思はせて 身をくるしむる 我が身なりけり

あはれあはれ このよはよしや さもあらばあれ 来む世もかくや くるしかるべき

わればかり 物おもふ人や 又もあると もろこしまでも 尋ねてしがな

はるかなる 岩のはざまに 独り居て 人目思はで 物思はばや

恋の歌。

おそらく偽作と思われるのは

何事の おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

うき世をば あらればあるに まかせつつ 心よいたく ものな思ひそ

惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をもたすけめ

その他、聞書集に載る、

うなゐ子が すさみに鳴らす 麦笛の 声におどろく 夏のひるぶし

すさみすさみ 南無ととなへし ちぎりこそ 奈落が底の 苦にかはりけれ

たらちをの ゆくへを我も 知らぬかな 同じ焔に むせぶらめども

などはほぼ間違いなく後世の創作であろう。説教臭く、坊さん臭い。おそらく西行は「たらちを」とか「うなゐご」にはほとんど何の関心もなかったと思う。小林秀雄はそこに後の良寛を見るが、良寛と西行は坊さんで歌人という以外には何の共通点もない人たちだと思う。

脚注とか。

昨日はまた飲みすぎた。いまだにアルコールが体の中に残っている。こんな飲み方をしてはいけない。

フローニも脚注を使おうとしたらmobiでもepubでも書き出せずに一太郎フリーズ。脚注のせいかと思い、エウドキアでもやってみると普通にできる。わけわからんが何か謎のエラーらしい。

しょうがないのでフローニの脚注は今のままで一太郎の機能は使わないことにする。

脚注の設定ではページごとと巻末にまとめてが選べる。脚注専用の領域を指定できないのが痛い。mobi で出力すると結局一番最後にまとめて脚注が出力される。

フローニの表紙と挿絵がもうじき上がってくるので改版することにする。ええっとつまり更新に関してお客様に通知てのを初めて依頼してみようかと思う。

フローニの改版と同時にエウドキアの無料キャンペーンをやるつもりです。エウドキアを校正しながら、まだまだ文章はいじれるってことに気づいてしまう。こういう女一代記みたいなものは、75年間もあって長いから、すきますきまにいくらでも小話を挿入できてしまう。このままどんどん書き足して長編小説にもなるかもしれん。きりがない。カラオケでいうところのビブラートとかこぶしのようなディテイルを付け足したりとか。それやってると永久に終わらんし、誤植も入り込むし、ぎっとぎとな文体より、シンプルなほうがましという人もいるかもしれんし、この辺でやめないと。

藤原通俊という人は、歌があんまりない。もともとあまり詠んでないのか、失われたのか。後拾遺集をみてもそんな面白いのはないから、誰かが意図的に隠蔽した、というわけではなさそう。歌の目利きではあったが自分ではあまり詠めなかったということか。白河院も「大井川古き流れをたづねきて」くらいしか有名なのがない。この人も実はあまり自分では歌は詠まなかったのかもしれない。だが勅撰集編纂には普通でないこだわり方をした。すこし不思議だ。

自分の書いたものをいくつか読み返してみると、全然今書いている文章と違っていて我ながら驚く。「エウドキア」と「将軍家の仲人」は全然違う。なるほどなあと。書いてるときは作中の人物になりきって書いてるから書けるのであって、一度離れるともう書けない。漢詩も和歌もそうだが、その世界に入りきってないと詠めなくなる。なんかよくわからんがある集中力が持続している間しか作れないんだが、それに似たところはあるわな。絵を描くのもそうだわな。

これ、前半部分で新井白石の説明長すぎるよね。たぶんここで読者は飽きるだろうなあとか。

将軍放浪記は蘊蓄多すぎだよね。蘊蓄を物語に落とし込みきれてない感じ。調べたものを全部書いてるよなあ。

smart tv boxその後

1TBの外付けHDDだとやっぱりあっという間に録画一杯になっちゃいますよ、お客さん。
そんで3TBのHDDを買って来たが、なぜか認識しない。
あれっと思ってもとの1TBのに付け替えてたが、認識しない。
答えは、挿す場所を間違えた。
USBポートは何箇所かあるんだが、その一つしかつながらない。
なんでこんな仕様になってるのかと問い詰めたい。

説明書には1TBから2TBまでのセルフパワーのHDDしか使えませんよと書いてあり、
じゃあ3TB買ってきた私の立場はと思ったがなぜかちゃんと2.7TB認識している。
じゃあ3TBでもふつうに動くんじゃね。
しばらく使ってみる。

あとUSB3.0のセルフパワーのハブは必須。
4台まで同時につなげるので5ポートのハブ買ってくれば良いわね。

そんでまあ、これまではインターネットはbflets使ってたわけだが、
これはインターネット専用線で固定IPだっただけあって安定してた。
smart tv box はテレビと電話とインターネット兼用である。
全部パケット通信なわけだから、インターネット専用線と違わないように思うのだが、
たまにおかしくなる。
テレビの回線もごくたまにおかしくなることがあるがあれの巻き添えなのか。
今年も去年も正月にいきなりCATVが見えなくなることがあった
(正月くらいしかテレビ漬けにならないからでもあるが。ふだんはほとんどテレビ見ないし)。
去年はある特定のチャンネルだけが受信できなくなって電話して一応直してもらった。
今年の正月は朝の11時からいきなり受信できなくなった。
たぶんこれは回線がパンクしてるんだろうな、そうとしか思えん。
昔ADSLとか使ってたときにはときどきつながらなくなってまたつながったりしてた。
固定IPにしてからはほとんどそういうことなくなった。
今はダイナミックアドレスなはずだから、
ときどき切れてるんじゃないかと思うんだ。
そのときIPアドレスの付け替えが発生するから、余計につながってない感があるのじゃなかろうか。
固定IPだと一時的に切れてもそのまんまのアドレスでつながるわけだから、
たまたまパケットがどこかで混雑して届かなかっただけの場合と違いないわな。
専門家でもないのに文句を言うのは怖いから、少しだけこそっと書いてみる。
でもまあルータとか光回線の終端なんてめったにいじらないわけじゃないですか。
でも smart tv box はときどき電源切ったりするわけで、
そのとき一時的にネットもつながらなくなるのは仕方ないよな、ある意味。
我慢して使うしかないんですよ。セットにしたことで出費が減る分は、
文句言えないですよ。

リモコンが使いやすいとは言いがたい。
GUIはまあまあ。
リモコンをタブレットで代用することもできるが大差ない。
アプリの操作性とレスポンスがいまいちなんだなあ。
期待外れだった。
つかゲームコントローラとかで操作できないんですかと言いたい。
リモコンじゃFPSはできないでしょ。
そうねマウスとキーボードでも良いけどさ。
そういう選択肢は欲しいよね。

国語教科書の闇

ついでに読んでみた。

これを読んでまず思ったのは、小説を読んでもらうなら、高校国語までの教養で理解できる範囲のことを書かなきゃならないということだ。普通の日本人は「こころ」「羅生門」「山月記」を読む。そこから先は読まない。大学に入ると専門に分かれるから、定番の読み物なんてものはない。大学に行かないひとも多いし、行っても勉強しない人が大半。だから、(総体としての)日本人の教養といっても高校止まり。

おそらく放送業界や出版業界のマーケティングもそうなっているはずだ。無難に高校教育までの範囲で本を出していきましょう。それ以上の冒険をしても売れませんよ、と。日本の高校教育までで必要十分な教養が身に付くという考え方もあるが、それはあまりにも狭い世界で、定番で、既視感で、予定調和で、昨日もどこかのテレビでみたような話、となる。そこから一歩出れば新しい珍しい話もいろいろある。しかし、結局、発展途上国へ旅行するのを取りやめて、せいぜい海外といっても先進国、或いは国内旅行に切り替えるようなもの。

別にね、ハリーポッターとか、シャーロックホームズとか、高校生の男子と女子がどうしたこうしたなんて話を、私は読みたくはないんです。そういうラノベを中学生や高校生が読むのはいい。ラノベは読みやすい。読者も多い。従ってそういうのの作者になろうとかそういうのを商売にしようという人も多いだろうと思うよ。

私が書いているものは、そんなに難しいものじゃあない。半導体理論や量子力学に比べればはるかに簡単だ。それでも理解できないのは、普通の人の教養が、高校教育までで閉じていて、その外の世界の存在を想定してないからだろう。

それから今回初めて森鴎外の舞姫を読んでみたのだが、なんじゃこりゃという感じ。

げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、學問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ變り易きをも悟り得たり。

は?それが何か、としか言いようのない陳腐な擬古文。擬古文を読ませたいならば、他にもいくらもあるだろうが、擬古文はたいてい国学つまりは右翼思想が混じっている。やはりこれも戦後、GHQのチェックが入って、なんとなく鴎外ならよかろうということになっただけの話じゃないのか。こんなもの勉強させられても何のやくにもたたないよ。

たぶん、検定教科書作ってる出版社の人も、検定している文科省の人も、そんなことは言われなくてもわかっている。しかし、教科書を最終的に採用するのは地方自治体の教育委員会とか日教組とかPTAとか校長先生だろ。そうすると「舞姫」みたいな、衒学的な話を好む。なんかかっこよさそう。それから、なんかよその学校も同じこと教えてるから安心、みたいな。鴎外の雅文体教えられる俺かっこいい、みたいな。「山月記」あるいは「羅生門」「こころ」にも、そんなところはあるだろう。そんで戦後GHQの時代のことはともかくとして、教員もPTAも世代交代して、俺が私が子供の頃はこんなの読まされました、だからうちの息子娘にも読ませよう、みたいな怪しげな一子相伝・免許皆伝みたいなものが形作られてくる。時代に合わせて変えるのは大変だがそのまま残すのは簡単だから出版社もじゃそれでいいわとなる。

「舞姫」と「山月記」に共通するのは、頼山陽や本居宣長といった本物を隠蔽して、その代用品を提供するというところにあるわけ。最初から頼山陽や本居宣長を読めばいいんだよね、明治時代みたいにさ。或いはそういう右翼思想が嫌なら、永井荷風がやったように、為永春水や山東京伝を読めばいいんだけど、仮名遣いがむちゃくちゃだし、しょせんは江戸時代のラノベだから、教材にはなりにくいわな。

さらに、菊池寛とか楽しくておもしろいのにわざわざ「こころ」とか「羅生門」を読ませたがる。ねじけてるよね。戦後左翼思想だよね、典型的な。そこまでねじけたければ葉山嘉樹でも読ませりゃいいのに。

今年のセンター国語センター試験「国語(古文)」を解いてみる。などにも書いたことだが、今の高校国語なんてセンター試験で高得点出すための手段にすぎないわけ。だから教材も定番なほうがいいに決まってる。どれが正解でもいいようなどうでも良い選択肢のうち一番間違ってないやつを選ぶ技術を競うだけ。法律や契約書の文言解釈にはこういう技術が必要なんだろう。或いは特許とか?曖昧に書かれた文言の中にある真意を読み取る駆け引き。実用性はあるっちゃあるが、しかし文芸とは関係ない。そんなら最初から民法や刑法の条文を試験に出せばいい。著作権関係の法律なんか特に役立つに違いない。あるいは本物の契約書を読み解く試験をすればいいだけじゃんか。最初からそう割り切らないと良い点取れないんだわ。

「山月記」はなぜ国民教材となったのか

私は中島敦が好きなのでこの本を読ませてもらったのだが、まず、高校国語教師というのは、おおよそただの人である。指導要領もなしに授業などできない。では指導要領を作るひとたちはどうかと言えば、別に彼らが特に中島敦を理解できるわけではないだろう。だから「山月記」が高校の国語の教材として採録されれば、このような「誤読」や間違った「教育」が行われうるのは当たり前であって、国語教育批判はたとえば丸谷才一の『日本語のために』などが古くからあるのに、今更わざわざ怒ってどうするのかと思う。

次にこの作者は『山月記』がわかっていてこれを書いているのか。いや、わかる必要はない。自分なりの解釈、自分なりの思い込みがあればそれでよい。しかし、結局言っていることはこれは古潭という連作の中から切り取られて、わざと短編小説となって、わざとらしいお説教臭い教材に仕立てられたというだけだ。

中島敦生誕百年ガス抜きとしての中島敦に書いた通りだが、ドナルド・キーンがなんといおうと中島敦の作品は戦争小説ではない。あれは、南洋の現地人に日本語を教育するための教科書の教材として自ら書いてみたものだ。

「山月記」がなんで漢文調かっていえば、それは漢文をいきなり教えるのは難しいが、
漢文は日本語教育に不可欠だから、わざと漢文調の文章をこさえたのである。

それからみんなだまされているが中島敦は必ずしも漢文は得意じゃない。漢学の家に生まれたわけでもない。商人の祖父が趣味で漢詩をかじってただけで、中島敦よりも漢詩がうまい人は明治時代にはざらにいるし、江戸時代ならもっといる。昭和だとそんな多くなかったかもしれないが、少なくとも永井荷風は中島敦よりちゃんとした漢詩を作った。中島敦も彼の叔父も漢詩は平仄がむちゃくちゃ。「山月記」に出てくる漢詩も中島敦には決して作れないまともな詩だ。

それでまあ考えられるのは中島敦は、山月記とか李陵なんかは、わざと、擬古文みたいにして、難しい和漢混淆文を書いたのだということ。もともと教科書の教材として書いたものだから教科書と相性が良くてもおかしくない。

山月記自体は面白い教材だと思うが、私ならちょっと悪趣味だが「山月記」と一緒に原作の「人虎傳」を読ませるだろうと思う。

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

というところは

隴西李微博學弱冠從州府貢焉時號名士天寶十五載春於尚書右丞楊門下登進士第後數年調選補尉江南微性疎逸恃才倨傲不能屈跡卑僚

の訳である。「才穎」「虎榜に連ね」などという表現に若干のオリジナリティーがあるが、
だいたいは同じである。いきなり「人虎傳」を教材にしては難しすぎるから、中島敦が多少現代風にアレンジした、というあたりが真実だと思う。

追記: 人虎伝中島敦の書簡と日記

歌と音楽

アリストテレスの詩学を読んで思うのだが、散文は文字によって言葉が記されるようになった後に現れた文芸形態であり、それ以前の口承文学はすべて韻文によって表されていた、と考えて良いだろうと思う。つまりかつては単なる意志を伝達するための(一時的な)会話と、記録を後世に遺すための(保存用の)韻文の二種類があった。韻文とはつまり暗記しやすく唱えやすい形態の言語、ということになる(韻文が会話、たとえば演説などに使われることはあったかもしれない)。

それで韻文、詩、或いは呪文とか祝詞とかお経とか歌と言っても良いのだが、これらがいわゆる音楽と不可分なものなのか、そうではないのかということを、ずいぶん考えてきたのだが、少なくとも日本の和歌の歴史を見る限り、歌は独立した文芸の形であって、音楽と不可分であるとか、或いは音楽に従属するものであるとは思えない。万葉集の時代でもそうだし、それ以前の歴史に残ってない時代にさかのぼってもそうだと思う。

あくまでも想像だが、イリアスやオデッセイなども、古事記などの成立と同様、最初はごく短いばらばらに伝承されてきた詩だったのだが、文字を獲得した時期に、誰かが、或いは大勢の人たちによって、集められ、つながれて、整えられて、韻文としての形式も同時進行的に発達してきて、あのような形になったのだろう。

延喜式の祝詞などはだいぶ散文的だが、反復や対句などが使われていて、やはり一種の韻文であろう。勅撰集の仮名序も祝詞によく似ている。掛詞や枕詞などが多用され煩雑だが、口承文学時代の名残なのに違いない。たとえば中国で完全な韻文が成立したのは唐代である。詩経の詩は韻文としては未発達である。万葉時代より以前の記紀歌謡もあまり韻文的ではない。そうすると昔には会話と韻文の区別さえ定かではない時代があった、と考えるべきだろう。

漢詩は非常にわかりやすい例だが、リズム(句の長さ)とメロディー(平仄と韻)がある。これらはどちらかと言えば音楽的要素だが、さらに対句があり、起承転結がある。これらの文書構造は必ずしも歌曲には必要ではない。しばしば邪魔ですらある。唐詩では短い詩形に情報を凝縮するために同じ字の反復を嫌うがこれも歌曲にするにはかなり大きな制約である。さらに暗喩や省略、倒置などと言った修辞があるが、これらは音楽的な要素とは言いがたい。おそらく今日的な自由詩の方が曲に合わせやすい(というより曲に合わせて手直しされる)のであろう。詩は自己完結しているので、必ずしも曲との相性が良いとは言えない。

また和歌の場合には、本歌取りというオマージュを盛り込む手法や、返歌という気の利いたやりとり、題詠で即興で詠むなどという遊び方がある。それを書としても楽しむ。これらも音楽的とは言いがたい。ただしこれらの趣向は今日ではほとんど忘れられてしまったが。カルタ取り以外は。

今の歌詞は字数や押韻などが割と自由で、曲を合わせることで初めて完成する。むしろ曲のないただの歌詞は不完全であって曲と合わせることで命を与えられるように見える。それからの類推で、韻文が未発達だった太古には、詩を音楽で補完していたのではなかろうか、と考えるかもしれん。そこから詩と音楽は不可分という発想も出てくるのかもしれない。しかし詩が未完成な時代には音楽もまたそうだったはずで、詩を補えるほどのものですらなかったと思う。

たとえば画賛とか歌合わせというのは、歌を絵画に結びつける。歌は音楽にも絵画にも舞踏にも結びつけられる。もちろん物語や軍記にも使われる。しかし、それらのどれにも従属していないし、それらのどれも歌に不可分な要素ではない。たとえば墓碑銘は詩である。しかし墓碑銘に何か曲が付いていると考える人はいるまい。念仏も俳句も詩である。
しかしそれらのごく短い詩に曲をつける必然性はほとんどない。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、私を誘惑から遠ざけてください、一夜一夜に人見頃、良い国作ろう鎌倉幕府、いずれもフシ回しは特に必要ない。

語源的に言えば歌は訴えること、唱うこと、謳うことであって、そこにはまず音声があり、リズムや調べも付随しただろうが、音楽的要素はむしろ、そこから派生していったというべきであって、歌の本質とはやはり言葉そのものである。読経を音楽ということも不可能ではない。だがお経はお経であって、ドラや木魚と不可分ではない。

歌を音楽や絵画や演劇と合わせるのはメディアミックスであり、それはそれでけっこうなことなんだが、私は歌はあくまでも歌だと言いたい。

ギリシャ哲学は忽然とギリシャに生まれたものではない。オリエント世界でたまたまアレクサンドロス大王がヘレニズム世界を作り、その文化をローマが継承した。その他の伝承はすべて失われた。近代、ヨーロッパが世界を征服した。だから、ギリシャにだけ哲学者がいたように見えるが、そういう見方はたぶん間違いだ。エジプトにもシリアにもペルシャにも哲学者はいた。自由な精神を持ち、自由な思索を楽しむ人たちがいた。ただ彼らはディオゲネスと違ってアレクサンドロスと出会わなかった。ただそれだけだ。