たまたま江戸の古地図を家族が買ってきたので見ると、
甲府藩邸が日比谷門の外に描かれていて、
しかも永代橋がまだない。
赤穂浪士は永代橋を渡って吉良邸に討ち入ったのだから、
赤穂浪士事件よりは前だとしれる。
良く見ると元禄六年と書いてある。
永代橋ができたのは元禄十一年、
赤穂浪士の仇討ちは元禄十五年。
甲府藩邸にはまだ綱豊という名前の家宣がいたはずだ。
溜池も心なしか大きく描かれていて、畔には山王神社がある。
年を取るといらん蘊蓄ばかり増えていくなあ。
こんな地図を眺めているだけでけっこう楽しめるのだから。
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