頼山陽の和歌

昔書いた喀血歌など見ると頼山陽が香川景樹から薩摩産の牛肉をもらって食べたなどとあって、事実なのかフィクションなのかはなはだあやしいのだが、頼山陽と香川景樹がごく親しかったのは確かで、それは山陽の母飯岡梅颸頼が景樹の門人であり、山陽自身も景樹に入門している。ウィキペディアには頼梅颸となっているが、江戸時代の武家や公家は夫婦別姓だったのだから旧姓で飯岡梅颸もしくは飯岡静子と称するのが正しいはずである。近衛家の娘が天皇の后になっても近衛のままで皇族にはならないし、徳川家に嫁しても近衛のままであって、徳川氏になるわけではない。それが公家、武家本来の規範であって、庶民や商家の屋号などが苗字として使われ夫婦同姓のごとき風習があったとして、それが戦国武将や江戸時代の武士に遡及してたとえば、明智玉子を細川ガラシャと書くなども同様の間違いである。

市島謙吉 『頼山陽:随筆』「山陽の和歌」によれば山陽もわずかであるが和歌を詠んだらしいが、叔父や母の付き合い程度であったことがわかる。

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