画家

日本の画家でエッセイもたくさん書いて残した人は、岡本太郎と岸田劉生の二人くらいしかいないと思う。画家でエッセイを書く人は多いがたいていは画家が自分のアートについて熱く語っているというだけのもので、その文章の内容や質というものは、文芸作品としても、或いは芸術論としても、取るに足りないものが多いと思う。文芸、ではなくてアートしての文章というものはあるのかもしれない。なので、文芸ではないがアート的な何かという意味での文章を書く画家は、少なくはないと思う。

それで、岡本太郎の書いたものを少しまとまった分量読もうと思って読んでみたが、やはりこれもまた、芸術家が自分の作品について、或いは芸術というものについて、熱く語っているというたぐいのものであって、結局、岡本太郎は芸術作品で評価される人であり、たまたまそういう大家が書いた文章だから珍重されているに過ぎない、という程度のものだと思うのだ。

まったく同じことは逆にも言えて、たとえば小説家として、詩人として、或いは評論家として評価の高い人がいて、その人がたまたま絵を描くのも好きで、まあそれなりにうまかったとしても、結局その人は絵で評価されたわけではない。この例としては正岡子規あたりを挙げることができようか。

だが、岸田劉生は違う。彼は絵も描いたし、文章も良い。彼よりも文章のうまい人は、文人にもそうはいないと思う。岸田劉生は詩人になろうか画家になろうか迷って、画家として認められたから画家になったが、文章も書こうと思えば書けた人だし、彼の芸術論は一味違う。だから彼がもう少し長生きして、絵を描くのに飽きて文章も書くようになったら、評論にせよ、詩にせよ、小説にせよ、すごいものを書いたのではないかという気がする。少なくとも岡本太郎とは全然違うし、その他の画家とはなおさら違う。だがそのことを指摘している人は皆無だと思う。

芸術論に関しても、岡倉天心や柳宗悦などより岸田劉生が上だと思う。岸田劉生は油絵も描いたが南画も描いた。日本画と洋画の比較論など極めて貴重だと思う。

追記。なぜか最近この記事がよく読まれているようだが、おなじようなこと(岸田劉生全集)をすでに書いていたのでリンクしておく。

日本画批判についてはとりあえず想像と装飾の美 それを持つ特殊の個性によって生かさるべしを読めばよかろうと思う。

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