arXiv

日本の研究者で arXiv を活用している人はあまりいないのではなかろうか。

今の学会とか査読システムには限界がある。昔の Mathematische Annalen など見るとヒルベルトやペアノなどが好き勝手に自分の書きたいことを書いている。実に自由だ。

しかし今の論文誌や査読というものは、要するに、従来手法に対して何パーセント改善できたかというところでしか新規性を見ない。料理しやすそうな従来手法を見つけてきてそれをちょっとだけいじったような論文が一番通りやすい。そんなことでは学術的な進歩などはむしろ阻害されてしまうだろう。しかし多くの研究者にとってはそうした無味乾燥で菓子パン工場のラインのような世界のほうが居心地がよく業績を出しやすいから、自然と学会というものはそちらのほうへ流れてしまう。

たぶん論文というものは、arXiv のようなところへ好き勝手に査読無しに投稿して、それをいろんな人がリアルタイムで読んで、引用したり追加実験したりして、それでインパクトファクターを測ったりして、良い論文かどうか、世の中のためになったかどうか判断する仕組みにしたほうが良いのだ。査読者の言いなりに書いた論文でなければ掲載されない今のシステムは良くない。これは明らかなことだ。

学会というものも最初は気のしれた仲間どうしで立ち上げたとしてもそのうちすぐにいろんな人が集まってきて、居心地の悪い、自分と相性の悪い組織になってしまう。人間社会というものはみんなそうだ。

私はもう年寄りでこれ以上業績を作っても仕方ないので、何か思いついたら査読のない arXiv などにそのまんま投稿しようかと思っている。今の生成AIはものすごく英語が得意だから私が書いた日本語の論文でもそれなりの英文にしてくれるだろう。LaTeX で書いたほうが良いらしいのだが、昔はそうしてたので特に問題ない。

学会のことを書きながらかつて二次創作とパブリックドメインと生成AIというものを書いたのを思い出していた。日本の学術界にもこういうことはあるし日本社会のさまざまな組織にもあるし、日本以外でもあるのかもしれない。だから arXiv みたいな仕組みが自然と生まれてきたのだろう。研究者はみな自分のアイディアはまず arXiv で公開すれば良い。そうすれば盗用という問題もなくなるし、肩書だけで仕事している無能な研究者は淘汰されるしかあるまい。

今までは他人にアイディアだけ盗られないように、まず査読無しの全国大会などのようなところで発表し、次に国際会議などに出してそれから論文にしていた。ざっと1年くらいかかる。アイディアが出てから1年たたないと収穫できない。デジタル出版というものが一般的でなかった昔ならそれも仕方なかったかもしれないが、今は違う。数日で DOI (Digital Object Identifier)が付く論文を掲載できる。arXiv が流行れば多くの学会はその存在価値を失うだろう。それだけの価値しかなかったのだからそれもまた仕方あるまい。そうやってそもそも存在する価値のなかった学会や研究者が居場所を失ってくれるとありがたい。がしかし私はもう老人なので、私がそのメリットを享受することはない。それは残念だ。

こういう論文投稿システムは理系よりもむしろ文系のほうがメリットがあるかもしれない。理系ではまがりなりにもピアレビューという制度が機能してきたが、文系の学術誌にそんな機能があるとは正直信じられない。だがデジタル媒体の論文になって、それを多くの人がレビューすることができるようになれば、学閥にも属さず、学会にも属さず、文壇や出版界のしがらみや印税にも左右されず、何かの権益も享受できない、本当にものを書く才能のある人が発掘される時代がくるかもしれない。

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