「竹村健一の世相を斬る」に小室直樹が出ていたのは1980年代初頭だったはずで、
『ソビエト帝国の崩壊』が出版されたのが1980年8月5日、それからテレビに出始めたとして、
1983年1月27日以後は問題を起こしてテレビには出られなくなった。
1980年は私が中学三年生の頃であり、いくらなんでもまだ当時は小室直樹を知らなかったはずだが、
高一から高三まで、つまり思想的に一番影響を受けやすいころに、
私は小室直樹からもろに影響を受けたことになる。
彼の特異なキャラクターについては、
ウィキペディア[小室直樹](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9)にも、
[ymo1967氏](http://d.hatena.ne.jp/ymo1967/20090913/1252818380)
の話にもあるとおり。
今読み返してみると、
やはり小室直樹という人はとても変な人だ。
当時とは違って、活字を読んでいるだけで、本人に直接面とむかってまくしたてられている気分になる。
天才肌の人だったのは間違いない。
非常に面白いことを書いている。
しかし誤りも多いし、どうでもいいことをくだくだ書いている部分もある。
私が彼の編集担当だったらさぞ困ったと思う。
今主に読んでいるのは『天皇おそるべし』というネスコ(文藝春秋系列?)から出た新書
(当時の新書はカッパブックスみたいに少し厚めだった)だけど、
> 天照皇大神の神格、および彼女と天皇の関係の組織神学 (systematic theology)
がどうのこうの(p.30)などといきなり述べており、当時、鴨川つばめなどもこっちの方にのめり込んでいったようだが、
平田篤胤的、三島由紀夫的な神道に、かなり影響されていたのは確かだと思う。
明治維新は慶応四年に、明治天皇が勅令によって、崇徳上皇に讃岐から京都にお帰り願ったことから始まる、という思想は、確かにあったと思うが、
決してメジャーとは言えないし、本質的問題ではないと思う。
保元の乱で後白河天皇が義朝に父為義を斬らせたことによって天皇は倫理的に破綻し日本は戦乱の世となった、
と、北畠親房も言い、小室直樹も主張する。
義朝と為義の関係をそんなに重く考えたことがなかったので、少しとまどう。
そういえば最近のセンター試験の古文で保元の乱が出たときも、義朝と為義の愁嘆場が出題されたのだが、
もともと日本ではこの源氏父子の悲劇というものが、ついでに崇徳院の悲劇というものが、よほど大きな意義を持っていたのだろうか。
崇徳院・魔王説というのはもちろん今もあるのだが、どちらかといえば伝記小説的な部類だろう。
そういうところは別に私はどうとでも良いのである。
世界を見れば王族や武士が親子で殺し合うことは普通であり(これこそ小室直樹の受け売りであり、彼にはそういう著書もある)、
それだけで倫理が破綻するとか、王権が崩壊するとか、
権威が失われるとか、そんなことはあり得ないはず。
むしろ王族というものは、そうした戦乱によってより庶民から超越した権威をまとっていくのだと思う。
保元の乱もそんな怨霊とか祟りとかは抜きにごく普通の歴史的事件として解釈できると思うのだが、
小室直樹には違うらしい。
[小室直樹氏逝去の報](http://d.hatena.ne.jp/ymo1967/20100912/1284263311)
のコメントに、
> 彼の著書は安心して読める。
とあるが、私も昔はそういう読み方をしていたが、
今は、嘘も本当もまぜこぜにぶちまけた、気を抜けない著作だと思って読んでいる。
そういうふうに読んだ方がずっと面白い。新鮮だ。
頼山陽だって『日本外史』の中でときどき今の目で見ると間違ったことを書いている。
史実と違うことを書いている。
そういうものは現代人として補って読めばよい。
小室直樹もまたそうだ。
古典というのはそうしたもので、古くなったり時代遅れになったりはしない。