半年ばかりkindleを観察してきたわけだが。
人は皆自分に足りないものを補おうとする。しかもできるだけ楽に。
だから、風俗嬢の話と、我が輩は猫であるが、同列に売れるのだ。
その辺りのテクニックが分かっていれば売れる本が書けるのかもしれん。
実際に読者に足りてないものを供給しても仕方ない。
読者が自分に「足りてない」と今まさに思っているものを供給しなくてはならない。
たとえばそれは知性であったり教養であったりする。
しばしばそれらが読書に求められる。
知性や教養を身につければ他人より優位に立てると思っているからだ。
知識欲によるものとは違うだろう。
お金の稼ぎ方、のようなものもやはり読書に求められるものだが、
やはり理由は同じ。
平凡な日常を送っている人々には非日常が求められる。
バイオレンスとセックス。ヒーロー。挫折と勝利、など。
それにしても、おかしな連中がわらわら出版しだしたのは誰かがそそのかしたせいか。
まあ自分もそのおかしな連中の一人なわけだが。
自分の書いたものの中で、ほんとうに読む価値があるのは、
『将軍放浪記』『将軍家の仲人』『巨鐘を撞く者』あたりではなかろうか、と思っている。
『エウメネス』が一番売れているが、これも悪くないんだけど、
少し短いんだよね。
ただまあ『将軍放浪記』『将軍家の仲人』『巨鐘を撞く者』を読んで分かる人というのはすごく少ないから、
私がこういうのを書いたということに気付かない可能性が大きい。
木炭にはいきなり火が付かないから着火剤を使うようなもんで、
木炭みたいのとは別に着火剤みたいな読みやすくてわかりやすい小説をいくらか書く必要がある。
そんなことは世の中の作家連中はみんなわかっていて、
自分やりたいことととは別に売れるための作品をまずは書く。作る。
夏目漱石で言えば『坊ちゃん』や『我が輩は猫である』『三四郎』なんかがそうだろう。
自然とそういうものが書ければいいんだろうが、
私には計算しないと書けないと思う。
なんかうまい方法はないかね。
いろいろ計算してると何も書けなくなってしまうんだよね。
逆に、なんも計算せずにたくさん書いてみて、そのうちどれか当たるかに賭けるとか。