続後撰集 だが、西園寺入道前太政大臣というのが西園寺実氏で、単に前太政大臣というのが若死にした九条良経であろうか。この二人は太政大臣だから入選が多いのだろうが、非凡な歌もあるようなので、よく調べてみる必要がある。定家がダントツに多いように見えるが、定家は巻頭・巻末には一つもないのにたいして、俊成はなんと春上巻頭、春中巻末、春下巻末、夏巻末、冬巻末に置かれていて、別格の扱いを受けていると言ってよい。
年のうちに 春たちぬとや 吉野山 かすみかかれる みねのしら雪
これはまあ巻頭歌なんでこんなもんだろうが、
つらきかな などてさくらの のどかなる 春の心に ならはざりけむ
ゆく春は 知らずやいかに 幾かへり 今日のわかれを 惜しみきぬらむ
鳴る滝や 西のかは瀬に みそぎせむ いは越す波も 秋や近きと
なかなかに 昔は今日も 惜しかりき 年やかへると 今は待つかな
そうそう。これが俊成。平明で抒情的で優美。さすがに為家はわかっている。でもなんで「西の川瀬」なんだろう。深い意味はないのか。たまたま滝の下流が西だったのだろうか。てことは東山だろうか(追記。鳴滝とは京都の西、嵐山のことであろう。愛宕山の中腹に鳴滝という地名がある)。
思うに、定家は俊成の子だから、俊成のような素直な歌も割と詠んでいる。為家はわざと父のそういう歌ばかりみつくろったのではなかろうか。たとえば
こころあてに わくともわかじ 梅の花 散りかふ里の 春のあはゆき
あとたえて とはれぬにはの 苔の色も 忘るばかりに 花ぞふりしく
小倉山 しぐるる頃の あさなあさな 昨日はうすき よものもみぢ葉
など。あまり定家らしくない(追記。いや、かなりひねくれていると解釈することもできる)。「見渡せば花も紅葉もなかりけり」とか「駒とめて袖打ち払ふかげもなし」みたいに、ひねくれてもいないしいじけてもないし世をはかなんで落ち込んでもいないし、モノトーンでも幽玄でもない。いわゆる、素直な「優なる姿の歌」である。俊成の歌に似ている。
後鳥羽院ほか、順徳院、土御門院など、承久の乱で流された人たちの歌が多いほか、選者の為家、為家の子の為氏の歌も若干入る。
はる風の ふかぬ世にだに あらませば 心のどかに 花はみてまし
これを入れているのもうれしいよね。これ宇多上皇の歌なんだよね、醍醐天皇に間違われてるけど。
ざっと見ただけだが、センスの良い歌の選び方だと思う。さらに詳しく読んでみる。