後撰集

朱雀院の兵部卿親王。
後撰集に一度だけ出てくるが誰のことだかさっぱりわからない。
朱雀天皇の皇子?
或いは醍醐天皇の皇子(朱雀天皇の兄弟)か。
朱雀天皇に男子はいない。女子も少ない。
醍醐天皇の皇子で兵部卿になったのは、
克明親王と有明親王があり存命期間から言えば有明親王か。
しかしはっきりしない。

> 梅の花今は盛りになりぬらん頼めし人の訪れもせぬ

法皇って誰。
後撰集の勅撰は村上天皇。今上も村上天皇。
村上天皇は在位中に崩御したので院でも法皇でもない(以後珍しいケース)。
後撰集は村上天皇崩御の十年近く後に成立した。
未刊との説もある。

> 白露の変るも何か惜しからむありての後もやや憂きものを

いろいろ調べてみると、後撰集の中で詞書きに法皇とあるのは、
妃が七条妃とあり、
宇多天皇しかあり得ないようだ。
こうしてみると、この時代には宇多天皇だけが固有名詞的に「法皇」
と呼ばれていたらしいことがわかる。

つまり、宇多天皇が「法皇御製」、次の醍醐天皇が「延喜御製」、
次の朱雀天皇は「朱雀院」(本人の歌は無い)、
次の村上天皇が「今上御製」。
村上天皇以後の歌は採録されていない、というか、
次の冷泉天皇や円融天皇や花山天皇が法皇あるいは院として出てくると今上より後になってまずいわな。

ああ、やっぱりそうだった。
確認とれた。

桂内親王。誰。
桂子内親王か。

> 唐衣着て帰りにし小夜すがらあはれと思ふを恨むらんはた

宇多天皇の皇子・敦慶親王の妃・均子内親王かとも思ったが、
こちらは別の歌で名前が出ている。

> 我も思ふ人も忘るな有磯海の浦吹く風の止む時もなく

わからん。

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