世の中何もしないことが大事だ。何もせずに、しかし生きているうちは何事かをなす必要がある。矛盾しているようだが、年を取った今、そのことを余計に感じるようになった。HDDも30%くらいまで使ってあとはあけておいたほうが安定して動く。70%、80%くらいまで詰め込むと良いことは何もない。
誰が総理大臣になろうと私の残りの人生には何の関係もないことであって、そのことで頭を使うのは無駄だ。今の自分にとって意味のないことはやらない。
youtube動画にブッダの教えで、年を取ったら人に親切にするな、徳を積もうとするな、静かにしていろというのがあって、そりゃそうだよなと思う。年を取ると、付き合いは増えるし、ある程度の社会的地位やら貯金などが得られるからどうしてもそれを使って何かしたくなるのだが、そんなことをしたところでたかがしれているのであって、それよりは自分の心の平安のほうが重要だ。よかれとおもってやっても他人にはただおせっかいなだけかもしれないし、どうしても向こうから頼まれればそのときはじめて考えればよいのであって、それまでは知らんぷりしているのがよい。何かしゃしゃり出て老害呼ばわりされてはたまらないが、何もしなくて老害呼ばわりされるかもしれない。その見極めは難しいけれども、何もしないのは何も私に限ったことはないので、私も周りのやってるように何もしなくてそれで世の中つまんなくなってもそれは私ばかりのせいではあるまいよ。
職務上やらなくてはならないことはもちろんやる。問題は、職務上やらないよりはやったほうがよさそうなことをやるかどうかだが、これはもうきっぱりやらないことにする。ただし、暇つぶしにちょっとくらいは善行の可能性を探ってみても良いかもしれない。何か世の中のためになったほうが精神衛生的によいかもしれない。まったくさぼってたわけじゃないんだよとあとで何かのときの言い訳になるかもしれない。
SNS (特に twitter だが)、見ず知らずの人の発言に反応したり、絡んだりするのはもうやめる。中島敦の山月記に空谷に吼えるというのがあるが、twitterだろうとブログだろうと他人とはかかわりをもたずただ自分の書きたいことを書く。
もう私がこの世にしてやれることの9割はしてしまった。あとはのんびりやる。
久しぶりにもののけ姫を見たのだが「生きろ」と言われても困ってしまう。しかし私が勝手に死ぬと周りが迷惑するから死なないけれども、もうこれ以上生きても私には何もできない。あと望むことはできるだけ苦しまずに死ぬことくらいだろうか(「生きろ。」というキャッチコピーは糸井重里によるものだそうだ。だからなんか作品とあんまり関係なくて浮いてるのかなあ)。
エウメネス3を手直ししていたのだが、古代ペルシャにはボートの刑というものがあり、罪人を縛って小さなボートに寝かせて中を蜂蜜で満たし、さらにもう一つのボートで蓋をする。首は外に出しておいて砂漠のアリ塚か何かの上に放置すると、アリが蜂蜜ごと罪人の体を食べてしまう。そんな話を書いていたのだがもうすっかり忘れてしまっていた。
身動きがとれない状態で無数のアリに体をかじられながらゆっくりと、苦痛に耐えながら死んでいくというのはどれほどつらいだろうか。そんな死に方はしたくない。
とかなんとか、言っておきながらちょろっと言いたいことを書くが、ある人が「明治時代に井上毅のでっち上げたプロパガンダ」などと某ブログで書いているのだが、実際、井上毅はとんでもない歴史捏造をした人なのだが、彼一人の舌先三寸で、あるいは勅語の発布で日本人がみんな騙されたというわけではない。明治の天皇崇拝というものは多くの人々がかかわって長い時間をかけてできてきたものだ。どこかの国の将軍様のようにごく一部の独裁者が十年か二十年かそこらで急にこしらえたものではない。
それは明らかに江戸時代の国学や水戸学によって整えられたものだ。井上毅はそのあまり出来の良くない生徒だったにすぎない。井上毅は確かに天皇を絶対化しようとしたけれども、しかし生身の天皇が普通の人間であることもわきまえていた。天皇を絶対化した上に超人化しようとしたのはどちらかといえば伊藤博文だった。伊藤博文は常識人ではあったけれども明治天皇に対しては恐るべき迫害者だった。野蛮人で反逆者であったと言っても良いくらいだ。星飛雄馬の父一徹のようなものだった。
一方で井上毅という人はちゃんと欧米の論文を読んで理路整然と歴史を捏造した人だった。才子とか策士とでもいうタイプの人。彼は確かにすばやく嘘をでっちあげ国の公文書にねじこむことができる能吏ではあったけれども(彼自身は人をだますつもりはなく、彼が考えた歴史が事実だと思っていたフシあるけれど)、彼のロジックを利用しようとした人たちが相当数いなくては彼の理論が世に広まるはずがない。
追記: twitter に書いたことをここにまとめておく。
AIが出てきてますます私が面白いと思うコンテンツを探すのは容易ではないってことが明らかになってきた。
世の中の流行り廃りとは関係なく、個人の主観で、他人が思いつかないようなことを、ひたすら追求しているようなブログを教えてくれと言っても見つけてくれない。AIがみつけてくれるのは、今世の中ではやっていて、新聞とか地上波で流れているようなニュースで、みんながよく読む小説とか映画とかスポーツとか政治の話題を扱っているようなブログなのだが、私はそんなものには何の興味もないのだ。
そんなものにはもうあきあきしているから、いままでみたこともきいたこともないようなことを言っているブログが読みたいのだが、そういうものをAIは探し出してはくれない。
twitter にしても、今のトレンドとかトピックを知るには向いているかもしれないが、今まで見たことも聞いたこともない、誰もまだ言ってないことを探すことには向いてない。
それで、google gemini にはアマゾンのレビューでも読んでろと言われたのだが、それもそうだなと思い直し、レビューを読んだりしている。