おもちゃの刀をいじっていてふと気づいたのだが、
椿三十郎の最後の立ち会いの場面で、
三船敏郎は、左手で左にさした刀を外側に向かって抜き、
右手を左手と刀の間に入れて、
右手で刀の背を押し出すようにして、相手の右脇腹を押し切りしている。
ということは、刀を最初から、刃が下になるように挿していたということになる。
刃が上向きならば自分の右手が斬れてしまう。
通常、刀は刃が上になるように挿す。
剣道でも竹刀には上下の区別がある。目印として上に弦が張ってある。
左腰に竹刀を持つときには弦を下にする。
竹刀を抜いて構えると、弦は上にくる。
鞘に収めたとき刃が痛まないように、刃を上向きにしているのだと、そのように納得していたのだが、
古くは刃を下向きにしていた。
というのは、やはり、刀が湾曲している場合、刃を下に向けた方が安定するわけだよ。
刃が痛むというのは誤差の範囲だと思う。
刃を上向きにしたのはやはり居合抜きなどの理由で、振りかぶったときにすぐに敵を切れるには、
刃を上向きにしておかねばならないからだ。
或いは、左から右へなで切りにするには、刃を外向きにしなくてはならない。
しかし、上向きから左向きに刀を回すのはそれほど困難ではない。
しかし、椿三十郎の立ち会いでは、最初から、刃を下向きにしていたと考えざるを得ない。
わざわざ刀を抜くとき刀を180度回転させてから抜くだろうか。
いやいやあの一瞬の勝負でその時間的余裕はない。
思うに、椿三十郎の立ち会いは、西部劇の一対一の決闘のシーンなどに影響されたものだと思う。
黒澤明が一方的に西部劇に影響を与えたのでなく、黒澤明もやはり西部劇から影響を受けているのだ。
一発の銃撃で勝敗が決まるというのは、レボルバーが開発される前の話ではないか。
単発しか拳銃が撃てなければ二丁拳銃の方が有利だっただろう。
何発でも撃てるレボルバーの方が絶対有利に違いない。
しかし、椿三十郎では、一発で決着を付けるシーンがとりたかったのだ。
だからあんなに近い間合いで抜き打ちの勝負となったのだが、
ああいう立ち会いはそもそも日本にはもともとあり得なかったと思う。
一対一の勝負というものはあっただろうが、そもそも居合抜きというのは不意打ちで敵をたおす技であり、
お互い立ち会うつもりで、
ああいう形で刀を抜かずに最初から間合いに入って向かい合うということは、まずなかっただろう。
剣道の試合の形からしても全然違う。
で、問題なのは、三船敏郎は、最初からああいう近間の抜き打ちの決闘を想定していて、
最初から刃を下に向けていたのかということだが、状況的にはあり得ないことだ。
もしかするともっと遠間で立ち会うことになったかもしれん。
刃を下に向けて他方の手を添えてすばやく斬るというのは、たしかにカムイ伝などの忍者の斬り方に似ているかもしれん。
片手で抜いて片手で素早く斬るわけだが、それでは力が入らないから、もう一方の手を添えて押し斬りにするわけだ。
もう一度コマ送りで確かめてみないとわからんが、もしかすると、刀を抜くとき、
左手で180度刀を回してから抜いたのかもしれん。
ちと考えにくいが。