アジア史概説 2

投稿者: | 2010年12月5日

宮崎市定の『アジア史概説』を読み直したのだが、
「パルチアはペルシャと同語の異音で」などという記述があって、私はまんまとそれを信じていたのだが、
パルティアの語源は Parthava であり、現在のトゥルクメニスタンの首都アシュガバード辺りである。
ペルシャの語源は Parsi であって、現在のイランの Fars 州のことである。

思うに、ペルシャとイランを同一視するのはまずい。ペルシャとは歴史的には現在のファールス州を故地とする国家を言うべきであり、
アケメネス朝やサーサーン朝などをさす(近世のサファヴィー朝やガージャール朝、パフラヴィー朝などについての解釈はひとまずおく)。
パルティアはホラサーン州で興ったイラン人の国。もう少し絞り込めば、おそらくはソグド人ないしバクトリア人の国であろう。
イラン人とはパシュトゥーン人やソグド人、パンジャーブに進入したアーリア人、
さらにはクシャーナやバクトリア、大月氏を含めて言うべき言葉だと思う。
ペルシャとイランとパルティアはそれぞれ意味が違う。
違うんだってば。

かのアジア学の創始者にして権威である宮崎市定ですらこの三者を混同していたのであるから、現代日本人に区別が付かないのはまあ仕方ない。

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