アルダ

アルダの父ソロスは[Baldwin I of Jerusalem](http://en.wikipedia.org/wiki/Baldwin_I_of_Jerusalem#Count_of_Edessa)によれば、

> When Thoros was assassinated in March of 1098

とあって、1098年に死んでおり、アルダとボードワンが結婚した1100年にはすでに死んでいることになる。
しかし、[Thoros of Marash](http://en.wikipedia.org/wiki/Thoros_of_Marash)や
[Arda of Armenia](http://en.wikipedia.org/wiki/Arda_of_Armenia)などを読むと、
ボードワンがアルダと離婚した1105年より後も生きていて、マラシュがエデッサに滅ぼされた後はコンスタンティノープルに居て、
アルダは修道院からコンスタンティノープルの父のもとへと逃げたことになっている。
なんじゃそりゃ。

[ボードゥアン1世 (エルサレム王)](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_%28%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%8E%8B%29)や
[エデッサ伯国](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%B5%E4%BC%AF%E5%9B%BD)
を読むと、これではボードワンがエデッサ伯ソロスの娘と結婚してソロスの養子になってエデッサ伯を継いだように思える。
いやそのようにしか読めない。
しかし実際にはソロスの領地はマラシュであり、マラシュはエデッサに滅ぼされて、ソロスはそのとき死んだか、
コンスタンティノープルに逃げたことになる。
つまり英語版に従えば、ボードワンは、養子となったからエデッサ伯になったわけではない、ということではないか。

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