始祖オスマンの父はエルトゥールルというが、彼はすでにアナトリアに進出していたらしい。
エルトゥールルで検索かけると「エルトゥールル事件」ばかりがひっかかる。
英語版wikipediaによれば、エルトゥールルは1230年にメルヴからアナトリアまで400の騎馬とともに移動した。
そこでルームセルジュークの王によって武将に取り立てられて、東ローマ帝国との国境を任地として与えられたという。
1230年ということは、フビライが死んでオゴデイがモンゴルのハーンになったばかり。
バトゥによる西征が始まるよりも前である。
あるいは、1230年というのは概数であって、
エルトゥールルはバトゥのヨーロッパ遠征軍の中にいたのかもしれない。
なんか面白いなあ。
だいたいこんな具合ではないか。
エルトゥールルはバトゥとともに西へ向かった。
1241年にオゴデイが死ぬと、エルトゥールルも故郷のメルヴに帰ろうと思った。
しかし、バトゥがカスピ海沿岸のサライを都としてキプチャクハン国を建てると、
エルトゥールルも帰国を諦めてアナトリアで同族のルームセルジュークに仕えることにした。
まあ、曖昧な伝承しかないそうだから、このくらい脚色してもよかろう。
1157年にサンジャルは死去する。
彼には女子しかいなかったことになっているが、
その娘の中の一人がエルトゥールルを産んだ、とかいう話にすると面白そうだな。
『セルジューク戦記』の続編で『オスマン戦記』でも書くかね。
たいへんだなあ。
ある意味、チムールみたいな人だな。
エルトゥールルとチムールを対比させながら書いてみると面白いかもな。
あ、時代がまったく違ってた。
チムールの方が百年後だわ。
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