武士の家訓

桑田但親著「武士の家訓」を読む。
少し面白い。

北条時重(義時の子):
> 力があり、持ち得る自信があっても、あまり大きな太刀や、ことさら目立つ具足を持ってはならない。他人に恨まれることになるからだ。

朝倉敏景:
> 名作の刀とか脇差などというものは、とくに欲しがるべきではない。その理由は、たとえ万疋の太刀を持っていても、
百疋の槍を百丁求めて、百人の兵士に持たせたならば、攻防にも大いに役立たせることができるのである。

朝倉宗滴:
> 内の者に侮られているなどという気持ちが主人に起こってきたとすればそれはもはや自分の心が狂ってきたと悟って良い。

武田信繁:
> 敵に向かう場合、千人でもって正面から当たるよりも、百人でもって横合いから攻めた方が、よほど効果が上がるものだ。

毛利元就:
> 我らは、思いの外多人数の者を殺しているのである。それ故、この応報は必ずやって来るものと、あなた方に対しても、
内心気の毒に思っている次第であるが、あなた方も十分この点を考慮して、何事に限らず常に慎んでいただきたいのである。
万一、元就が存命中にこの報いが来るとすれば、別に申し上げる必要もない。

北条早雲:
> 何事も、しなくてよいことは他人に任せれば良い。
わずかでもひまがあれば、何かの本でも懐に入れておき、人目を遠慮しながら読めば良い。

北条氏綱:
> 大将だけでなく、およそ侍たるものは、義をもっぱらに守るべきである。
義に違ったならば、たとえ一国二国切り取ったとしても、後の世の恥辱はどれほどかわかったものではない。

> 侍から地下人や百姓に至るまで、それぞれ不愍に思うべきである。

> 侍たるものは、高ぶらず、てらわず、それぞれ分限を守るのを良いとする。

> 万事について倹約を守るべきである。

> 手際の良い合戦をやって大勝利を得て後、おごりの心ができて、敵をあなどり、不行儀をすることは必ずあるものである。
慎んだがよい。こんなにして滅亡した家は昔から多い。勝って兜の緒を締めよ、ということを忘れてはならない。

ふおおっ。これが「勝って兜の緒を締めよ」の出典か。
天文十年(1541)五月二十一日、後北条氏二代目当主氏綱遺訓。

島津忠良:
> 無勢とて敵を侮ることなかれ多勢を見ても恐るべからず

> 敵となる人こそはわが師匠とぞおもひかへして身をも嗜め

>少なきを足れりとも知れ満ちぬれば月もほどなく十六夜の空

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