國破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
高校の漢文の教科書の最初に出てくる、杜甫の「春望」だが、これは普通次のように訓み、また訳す。
国破れて山河在り 国は崩壊してしまったが、山や河は変わらず、
城春にして草木深し 城内では春が訪れ草木が青く茂っている。
時に感じては花にも涙を濺ぎ 時世の悲しみを感じては花を見ても涙がこぼれおち、
別れを恨んで鳥にも心を驚かす 家族との別れをうらめしく思っては鳥の鳴き声にすら心を痛ませる。
烽火 三月に連なり 幾月が経ってものろし火は消えることはなく、
家書 万金に抵る 家族からの手紙は万金にも値する
白頭掻けば更に短く 白い頭を掻けば掻くほど髪の毛が抜け落ち、
渾て簪に勝えざらんと欲す まったくかんざしを挿せそうにもないほどだ。
「感時花濺涙」の主語は「花」なのではないか。つまり、「花が時に感じて涙を濺ぐ」。
「恨別鳥驚心」の主語は「鳥」ではないのか。つまり、「鳥が別れを恨み、心を驚かす」。
教科書にはいろいろと解説が載っているのだが、上の箇所については何も説明していない。
おそらく、きちんと説明できないからではなかろうか。
「白頭掻けば更に短く」の読みも何か変だ。
「白頭掻」「更短」のように切れるわけがない。
「掻白頭」のように動詞の後に目的語が来るべきだ。
2-3と切れることはあっても、3-2と切れることは、詩の歌い方としてあり得ない。
従って、「白頭」「掻更短」と切れるはずであり、またそのように訳すべきだ、詩なのだから。
「掻更短」は、「掻」が主語、「更」が動詞、「短」が目的語、ということはなかろうか。
「更」を漢和辞典で調べると「更に」という意味の例は少なく、ほとんどは「更める」という意味だ。
直訳すれば、「掻くことは短くする」というような意味ではなかろうか。
「簪」は単なるかんざしではなくて、冠を止めるための留め具のようなものだろう。
「冠を止めるためにかんざしを挿す」という動詞で使われている可能性もある。
それで、「白頭掻更短 渾欲不勝簪」を敢えて訳せば、
「白髪は、掻けば掻くほどに短くなり、まったく冠をかんざしで止めておけなさそうだ。」となる。
英訳を発見した。
Du Fu: A Spring Scene in Wartime (From Classical Chinese)
A Spring Scene in Wartime
By Du Fu
Translated by A.Z. Foreman
The state in pieces, hills and streams endure.
The city’s springtime: grass and vines on rock.
Touched by the times, the flowers spread their tears.
Loathing to leave, the birds bolt up in shock.
The torch of war has filled three months with fire.
One word from home is worth ten tons of gold,
I’ve scratched so much of my grayed hair away
Even my hairpin weighs too much to hold.
ふーむ。やはり、花と鳥を主語で訳しているな。
最後の箇所はしかし、白髪をかきむしったので、かんざしがとまらなくなったと訳している。
いろんな意味で、伝統的な書き下し文で漢文を教えることには限界があるのではないか。
つまり、変な意訳をされてしまうと、鑑賞するだけならおもしろおかしくて良いかもしれんが、
いざ自分で漢詩を作ろうというときに、まるで勘が狂ってしまうというか、一から勉強し直さなきゃいけないと思うのだ。