宮崎市定によれば、宋の時代というのは、
コークスと製鉄の技術革新に基づく産業革命が起きていて
(日本の刀鍛冶などは家内制手工業で、優れてはいるが大量生産には向かない。
これに対して宋では基本的に今日の近代工業と同じであり、
陶磁器や農具、武器の大量生産が可能であった。
マルコポーロも、中国人が薪ではなくて石炭を使うのを驚いている)、
それが元による世界征服を惹き起こしたというのだ。
これは西洋では 17~20 世紀の帝国主義に相当する。
また、中東では 7~10 世紀の、
アッバース朝ハールーンアルラシッドを絶頂期とする、
イスラムによる文芸復興に相当するという。
モンゴル帝国というのは西洋ではたいへん残虐な、
破壊的な征服だったように言われている。
またはタタールの軛、などと。
でもそれは、冷静に考えれば、
西洋によるアジアアフリカアメリカの植民地化と大して違わない。
モンゴル族が剽悍でかつ組織力に優れ、
たまたまあの時代にそれを束ねる偉大な英雄が生まれたから、
なのではなく、単に、東洋の技術革新が他を圧した結果だったのだ。
中東やイスラムに関心が薄い日本人の場合、
モンゴルの支配というのは、極めて短期間に終わったと思っているが、
ムガール帝国やその他の群小のハーン国はともかくとして、
イルハン国、キプチャクハン国、ティムール帝国などは
1500 年くらいまで続いた。
これを宋からの一連の流れとしてとらえれば、
およそ 500 年の長きにわたったことになる。
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