フリーランスとか自由業というのも完全に一人で仕事をしているわけではない。
フリーランスの多くは、専門学校を出て、いったんどこかに就職して、
固定給から年俸制になり、
よその会社の仕事もかけもちするために退社して独立するわけだ。
つまり会社に属していようが、
フリーで仕事してようが、
業界というものに寄生して生きていることには違いない。
作家もそうだ。
仕掛け人が必ずいる。
プロデューサーという人だ。
資本家から金をもらってきて自分の育てた作家を売り出して、
金を増やして資本家に戻し、自分も分け前をもらう。
松山千春も限りなくフリーランスだが、音楽業界というものは厳然としてあり、
そこから自由なわけではない。
会社に雇用されている形は取らないが業界に依存し、拘束されている。
業界とか人脈というのは明らかにある。
kdpだと業界というのは胴元のアマゾンくらいだが、
賭場を開いているだけで別に個別にプロデュースするわけじゃあない。
新たに出版社を立ち上げるとしても既存の出版社と競合するだけだわな。
つまり電子書籍というものができても、
業界というシステムは残った。
残ってしまった。
出版業界。流通業界。
個人が書いて個人に読んでもらうような形態には全然なってない。
プロデューサーという仲介業者が介在してくるほうがまだものは売れる、というわけだ。
仕方の無いことかもしれん。
個人にできることには限りがあり、
会社組織は個人事業主に出来ないことができる。
ただ昔に比べりゃ個人の裁量も少しは大きくなってきたかな。
でも昭和の頃のように個人商店街が飯を食えてた時代のほうが、
個人の裁量は大きかったかな。
今じゃなんでもモールだからな。
業界と個人と。
作家の質の問題ではないように思う。
出版業界の作家にも、すごい人と全然面白くない人がいる。
なんでこんな本が出版されちゃうのとか、
なんでこんな本がこんなに売れるのとか思う。
その直感はたぶん間違ってない。
もちろん選りすぐりのすばらしい作家もいるが、
同様に個人作家で埋もれている優れた作家もいるだろう。
ようは、お金を動かす力は、個人よりも業界のほうがはるかに勝っているのだ。