頼山陽 日本外史

安藤英男著「頼山陽 日本外史」を読む。
これはなかなか愉快な本である。
頼山陽自筆の原稿の写真など掲載されている。
なるほどこんな筆跡だったのかなどと思う。

頼山陽の没年が1832年だというので、
没後150年の1982年にこの本は出版されている。
この本の大部分を占めるのは、日本外史の中から特に序論と論賛の部分だけを抜き出し、
現代語訳し、その原文の写真を掲載しているというもので、また著者の意見を解題として載せている。
その解題の言っていることは、ようするに、
岩波文庫「日本外史」や中村真一郎「頼山陽とその時代」などで書かれていた解釈とは真反対の、
いわゆる戦後の価値観では「危険思想」とみなされていることなどである。

山本五十六が日本外史をどう読んでいたかなど引用されていて興味深い。

山陽の壮烈なる、区々たる身命を惜しむにあらずと雖も、直書、憚る所なければ、
其身、罪を得るに止まらずして、外史、亦後世に伝ふべからざるを慮りしがためなり。
嗚呼、徳川氏、圧世の甚だしき、遂に山陽をして、其の筆権を曲しむるに至りしは、実に慨嘆に堪へざるなり。
然りと雖も、山陽の健筆、忌諱に触れずして、能く正義を鼓舞し、
赤誠塁積、徳川の僭越を風刺して、人心の迷夢を醒まし・・・
此書をひもとく者、誰か一読憤慨し、志を惹起せざるものあらんや。
彼が精忠、能く鬼神を泣かしめ、気概、山嶽を抜き、唯、尽忠報国の責務あるを知って、
身命あるを知らず。遂に維新の偉挙を築き、文明の端緒を開きたる明治の元勲をして、
蓋世の士気を激励したる、此書、与って力あると言ふべし。

などと書いているのだが、
まあ、山本五十六は学者ではないので、
「当時の有為の青年」らが一般的にそのように解釈していたことはわかるのだが、
徳川氏を直接攻撃することなしに、暗喩によって、島津・毛利・鍋島などの雄藩をそそのかし倒幕に向かわせたとか、
その辺りが山陽の真意だったとは、後付けの理屈のように思える。
また、よほどの空想家でないかぎり、古代の天皇親政・国民皆兵が理想の政治形態だと言いたいのだとは思えないし、
ではどうすれば良いかとの何か建設的な提案があるのでもない。
自分の時代に都合の良い解釈をするのは戦後民主主義の連中のやってることと同じで感心できない。

また、「外史というのは、既成の熟語ではない」などと言っているが、
すでに「儒林外史」などの前例がある。
「正史」に対して個人が勝手に編纂した歴史、もしくは個人的な史論という意味だろう。

中公バックス日本の名著28頼山陽(1984年発行)の付録に中村真一郎が寄稿しているが、
「ところが、この数年、またもや化政天保の頃、京都で生を愉しんでいた文雅な一文筆家を、もう一度、
超人的な政治的慷慨家たらしめようという、私などには辟易する傾向が再燃しはじめている」
などと書いていて、これはあきらかに安藤英男の著作に対して言っているのだろうと思われる。

ついでに見延典子の「すっぽらぽんのぽん」(2000年)「頼山陽」(2007年)も読み始めている。

また、菊池寛「新日本外史」もちらと読んだ。あまり面白くなさそうだった。

平家物語

通勤や旅行などに平家物語の文庫本を持ち歩くようにしている。
というのは、比較的安くいつでも手に入るからである。
移動中に本を読むのは良いとして汚損したり紛失したりもする。
その点、平家物語は無尽蔵と言ってよい。源氏物語くらい入手しやすい。
これが同じ軍記物でも保元物語や太平記となると、ハードカバーのものしかない。
保元物語は昔岩波にあったかしれんが、事実上文庫本は入手できない。
昔は、日本外史も割と入手しやすかったが今では絶版。
かつ、オリジナルの漢文の完全版はどこで入手・閲覧すれば良いのやらという状態。

あちこち図書館を見て回ったが、吾妻鏡は割とおいてある。
続古事談というのが、なかなか入手できないので、わざわざamazonで古本を買ったのだが、
某図書館に古事談・続古事談の合冊があって、なんだわざわざ買う必要もなかったか、と思ったりもした。

ま、ともかく、重要な本は二三冊まとめ買いし、古本屋で見かけたら予備に購入すべきだなと思った。

それはそうと平家物語だが、
こうくどくどと、今昔物語風の仏教説話が混ざってたり、ほとんど関係ない中国の歴史が混ざってたりするのは、
成立までにかなり長い期間をかけて琵琶法師らがよってたかって改編し増補したからだろう。
もともとはもっとシンプルなものだったのではないか。
むしろそれが読んでみたい。
同時代の人がリアルタイムで書いたものと、
後世の人が想像で追加したものが、まぜこぜになっている感じだよな。

野党

自民党は初めて野党になったのではない。
1993年からしばらく、日本新党なんかから総理大臣が出てた。
自民党は社会党(笑)と連立して与党復活。
日本史でたとえれば(笑)、南朝と北条時行が組んだみたいなものだ。
いやまてよ、たとえになってないな。組んでも北朝には勝ってないわけだから。
なんかうまい歴史的前例はなかろうか。
漢族が蒙古や満州族の王朝の官僚として仕えている感じの方が近いか。
いやいやそれもちと違う。
そういうアナロジーを探してみるのは、実は重要な作業なのではないか。

自民としては、社会党に総理とか議長だけやらせてやって、
実質を取るという戦略だったわけだ。
しかし村山談話とか、いくらなんでもというので、小渕からずっと公明党と連立してた。

思うに、1993年の段階で、二大政党制に移行していれば、
もう少しすんなりいけただろうな。
やはり、自民党が社会党とか公明党と連立して余命を無理矢理延ばしたのがまずかったのではないか。

民主党は右と左に分裂して右が自民党と組むだろう。
左は左で組んで、やっと、二大政党制に落ち着くんかな。
自民は右とか保守とか言ってたが今まで全然保守じゃなかった。
まあ、寄り合い所帯だけど由来としては保守というか。
麻生総理が敗戦の弁で言ったように「守るべき保守」がまずあって、
それを守るために大胆に改革していくのが保守というもの。
それをきっちり言って掲げたのは良かった。
それを、次につなげて欲しい。

二大政党制になって初めて、政党が行政スタッフをきっちり抱え込めるようになり、
官僚制と拮抗できるようになる。
自民長期政権だと、与党と官僚がべったり癒着するだけ。
弱小政党だらけだと、やはり官僚が政治をやるしかない。
今の民主党では、行政スタッフもいなきゃ政権経験者も足りないわで、
マニフェスト実行どころじゃないだろう。

私の記憶では、自民党は野党な方が破壊力が大きい(笑)ので、
しばらくガンガン民主を破壊してみて欲しい。
かなり痛快だろう。

漫画について熱く語られているので反応してみる。

[須賀原洋行氏のご批判について](http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-6c8a.html)。

うーんと、つまり、出版社があり編集長が居て編集者が居て作家があるというシステムと、同人誌みたいにそんなものがまったくない形態と、併存しているのだが、同人誌とかブログとかそういうゲリラ戦術的なものが有効な場合もあるし、技術の進歩で急に発展することもある。ていうことではないのか。

発端は佐藤秀峰のサイトだと思うのだが、ここは余りに特殊すぎて、ただ話がややこしくなるだけな気がするなあ。

ブログの世界でかつて起きた変化、つまり、同人レベルの発表の場が、なんか自己組織化していって、いつの間にかオンライン化して収益も上げてきて、既存の出版形態の脅威になるにはまだ時間がかかりそうで、そのプロトタイプとして佐藤秀峰のサイトがあるとはちと思えない。

それはそうと最近金が無いので、通勤時間つぶしに雑誌を買うという、長年続けた習慣もやめようかと思っている。

亦不知其所終

ブログタイトルを変えてみた(笑)。
「不確定申告」ははてなに残しておこう。
ちなみに「亦不知其所終」とは、北条高時の息子、時行が南朝側について高氏と戦い、
「どこで死んだかわからない」と言われている(洞院公賢の日記園太暦、今川了俊の難太平記)ことによる。
ただし、捕らえられて斬首されたという記録(鶴岡社務録)もある。

いずれにせよ、
無名の一兵卒がどこかでのたれ死んでも「不知所終」などという記録が残るはずもなく、
或る程度有名な人でいつ死んだかわからないからそのように歴史に記されるのだろうと思う。

ネットで調べてみると「不知所終」は墓碑銘に使われることも多いようだ。
もちろん、歴史書にもかなり出てくる。

[アンサイクロペディアの北条時行](http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%99%82%E8%A1%8C)が秀逸すぎる件について。
これもやはり極楽丸氏が主に執筆しているようだ。

範頼@アンサイクロペディア

[アンサイクロペティアの源範頼](http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%BA%90%E7%AF%84%E9%A0%BC)
の記述が異様に詳しくて笑えた。

主な執筆者は[極楽丸](http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%A5%B5%E6%A5%BD%E4%B8%B8)という人のようで、
他にも
[源頼家](http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%AE%B6)
などを書いている。

なるほど、義経とか頼朝とか北条政子辺りの有名どころだといろんな人が編集に関わりあってくるのだが、
範頼とか頼家などのどっちかいえばマイナーな人物だと、
一人の編集者の単独執筆のようになるわけだよなあ。

千早城と吉野城

新田次郎の「新田義貞」をさらに読んでいるが、あまり気持ちの良い話ではない。
いちいち作者が解説をしているのもいらいらするし、
太平記が元々小説だから、自分も小説家として同じような解釈はしたくない、
などとどうでも良いことを書いている。

千早城がなぜ落ちなかったという理由の第一に、寄せ手にやる気がなかったから、
というのがあるのだが、これもやはりおかしい。
たとえば同時期の戦闘では、笠置城が落ちて、後醍醐天皇は捕らえられて、大塔宮護良親王は落ち延びて、
吉野山金峰山寺にたてこもるが、やはり激戦の末あえなく落城している。
それからさらに高野山に匿われ潜伏することになる。
またそれより先、北条高時が得宗の時代に蝦夷の反乱が起きていて、やはり鎮圧されている。
従って当時の鎌倉幕府の御家人どもがまるでやる気がなくてそれで小さな山城一つ、一年近くも落とせなかった、
と結論付けるのはやはりおかしいだろ。
護良親王は素人同然だったから負けた、
しかし、楠木正成は、功名第一で利己的で猪突猛進な関東武者を翻弄するような、
ある種の才能があったと考えるのが自然ではないか。

まあしかし、天皇か親王であれば、戦は素人で、
ちょっと攻めればすぐ落ちる、
功績もわかりやすい。
しかし、田舎侍の山城を落としたところで、
ほんとに報償があるかわからんし、
万一負ければ大損だし、
と思えば戦意は衰えるかもしれんわな。
しかしそこが楠木正成のねらい目で、
だんだんに幕府を切り崩し、離反する勢力が出てくれば目的は達したわけだから。

楠木正成があっさり湊川の戦いで戦死するのは不思議で、
南朝挽回の機会はその後何度もあったと思うのだが、
まあよくわからん。
楠木正成の戦術は常に劇場的な効果をねらったものだから、
一番劇的に死ねるタイミングだったから、
つまり生き延びるより死ぬ方が効果が高いと思ったから、死んだのではないかとさえ思えるよな。

営業なのか。

なんか、店長がバイトをどなる声を客に聞かれちゃまずいだろ、さらに言えば、
店長が客を説教しちゃいかんだろ、
みたいな意見を言うひとが多いようなのだが、
どちらかといえば普通のサラリーマンか営業職とかそういうたぐいの人たちが、自分の境遇を居酒屋業界に投影して、
勝手に腹を立てているように思える。

私の知る限り、居酒屋というところでは、店長なり店員なりが、
客をたしなめたり、説教したり、しかりとばしたり、あるいは出入り禁止にしたり、
警察に通報したりするのが日常茶飯事な場所ではあるまいか。
酔っぱらい客というのは、普通の意味での顧客(笑)ではない。
ある種の珍獣である。
しらふならともかく、飲んで酩酊してるわけで、
かつ、気が大きくなっているので、
何かしら不埒なこともやりかねない。
男ならまあともかく女性店員などはいろいろひやかされたり、ちょっかいだされたり、
つけまわされたり、とかまあ、何があってもおかしくない世界なわけでしょ。

たとえば酔いつぶれたり、寝たり、騒いだり、暴れたりすれば、当然怒られるだろう。
いろんなケースがあり得る。
私自身、記憶をなくしていることはしょっちゅうだし、
それでもなんとか他人に迷惑をかけないよう、
あぶなかっしい飲み方をしていると思う。
そういうなんというか、修羅場なケースを想定した上で、
ビジネス論とかマーケティング論みたいなことを語っているのだろうか。

[バイトしている居酒屋の持ち込み対応で板挟みになりました : キャリア・職場 : 発毛小町](http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090819/izakaya_banana)

法住寺合戦

[法住寺合戦](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BD%8F%E5%AF%BA%E5%90%88%E6%88%A6)。
これはひどい。
義仲も家人にいさめられ、
後白河法皇も公家らに諫められているが、どちらもひかなきゃこうなる罠。
首都を制圧している者としてはクーデターに出るしかなく、
また義仲に最後通牒を出しておき、
平知康なる宮廷人に比叡山と園城寺の僧兵を率いて義仲を討伐させようとしたとすれば無謀としか言えない。
なんかまあめちゃくちゃな市街戦だったようだな。

平家が都落ちはしたものの、南海道に天皇を擁して勢力を保っている。
源義仲が京都を占拠しているが、乱暴者でかつあまり武力もあまりあてにならない。
鎌倉には頼朝が居て、さらに奥州には藤原氏がいる。
このような状況において、もし自分が後白河法皇の立場だったらどうするか。

うーんと。
たぶんだが、平氏と休戦して安徳天皇に京都に戻ってもらう条件で、平氏全員恩赦。
かつ、義仲と頼朝の仲裁。
院政が平氏と源氏をうまくコントロールできるとわかれば、
自然と院政が強化されて、しばらくは安泰だったのではないか。
義仲と全面戦争に発展し、頼朝の介入を受け、ゆくゆくは平氏も藤原氏も滅亡し、
権力が幕府に集中するというのが最悪の選択肢だったわけだが。
まあ、時代の流れとしてはそうなるしかなかったのかもしれんが。