北斗の拳

北斗の拳TV版をなぜか見たり。
日本リミテッドアニメーション妥協の産物、と思いつつ見ていたが、
ケンシロウに頭の秘孔をつかれて死んでいく男のビジョンがゆがんで見えるというエフェクトがだなー、
どうみてもセル画を直接くねくね曲げてるだけなのだな。
すげーよこのエフェクト。
今時学生の実験アニメにすらないと思う。
この一点だけでも北斗の拳は歴史に残ったな。
みんなに見せて笑おう。これは受ける。
出典はDVD vol.4「 第23話 第二部風雲竜虎編 俺を待つのは戦いだけなのか!!」。

映像産業覇権

民放もNHKもなんて情報が少ないんだろう。
時間が無限にある人はテレビを見るかしれないが、かかる時間のコストを考えると、ネットかDVDでピンポイントで情報を得た方が結局得。
テレビ流しっぱなしとか映画館一発勝負というのでなく、 DVDを借りるなり買うなりしてじっくり何度も見るようになれば、映像に対する需要も変わる。
作る側の作り込みもきちんとしてくる。
中身がすかすかのその場限りのごまかし映像ではなく、永久に残るような質の高い映像を作ろうということになろう。
そうなれば放送番組のクオリティがいかに低いかということがだんだん知れてくる。
映画館のその場の雰囲気というのがいかにまやかしかということがわかる。
まったくDVDってすばらしいね。

映像産業って重要だってことは、アメリカ政府とかハリウッドとかディズニーはもうとっくに気づいているのだが、なんとなくその意味がわかってきた気がする。
昔は軍事力が覇権だった。
それから電子工業や通信産業が覇権に変わった。
今は映像産業が覇権になりつつはないか。

misc

PSP版攻殻機動隊すばらしい。
PSPで FPS == first person shooting やってる無理矢理感が個人的にはけっこう気持ち良い。
こういう無茶はどんどんやって欲しい。
左手親指でアナログコントローラー、これで移動。
LボタンとRボタンで左右に向き変え。サルゲッチュPに近いかな。
サルゲッチュPも少し遊んでみるか。
OVA笑う男編はすばらしい。
PS2版の攻殻機動隊も、インターフェイスに難はあるがそれを補って良い出来。

アップルシードはすばらしい。
しかし正当に評価されてない。

FFAC。悪くないが私には気持ち悪いだけ。何度も見る気はない。

踊る大捜査線。
軍人がいかにあるべきかということは軍人が決めることではなく主権者である国民が決めることだ。
警察官がいかにあるべきかということも現場の警察官が決めることではない。
(今の)郵便局員がどうあるべきかということも郵便局員が決めることではない。
「踊る大捜査線」に感情移入する人が大勢いるのも、
郵便局員に同情する人が大勢いるのも、
軍人を嫌いな人が大勢いるのもナンセンスなことだ。
もし軍人が嫌いならばなくせば良いだけのことだ。
現場の警察官が自分の価値観で行動した方がよいと思えばそうすればよいだけのこと。
郵便局があった方がよいと思えばそうすればよい。
それが政治というものだろう。

ついでに。
庵野秀明、良い。しかしキューティーハニー酷い。その後泣かず飛ばず。
キャシャーン実写版、デビルマンムービーよりはまし。
しかし凡作。典型的凡作。

日本のアニメーション業界の未来は明るい。
私はそう思う。
アップルシードに代表される、若手が自分の作りたいように作った作品のクオリティは高い。
若手は健全に育ちつつある。
しかし正しく評価されてない。
団塊の世代が作った作品、関わった作品はことごとく駄作。というより悲惨。

アニメーションや特撮の質が下がっているというが、
10年前、20年前のアニメの方が質ははるかに低い。
劇場版ですらそうとう酷い。
ましてTV版など見るに堪えない。
私らが子供の頃はそれを想像力で補って見ていただけで、今みるとそうとう酷い。
なぜ今の方が質が下がっているなどといえるか。
意味不明。

「風のように雲のように」(原作酒見賢一「後宮小説」)は良くできている。
何度も見ているとよくもまあCGも何もない手書きのみの時代に、
おそらくとんでもない安い予算でここまで良心的なアニメを作れたものだと感心する。
見ればみるほどおもしろく飽きないという意味ではハイジに似ている。
ここらのアニメを見ていると、
確かにアニメの良し悪しと動画の枚数は関係ないという理屈もわからなくはない。

misc

Sugar Baby Love は Bay City Rollers ではなく、The Rubettes
というバンドの曲だった。
道理で BCR のアルバムには入ってないはずだ。
なんか勘違いしてた。

鈴木みそ「オールナイトライブ」読み始める。
ときどき取材無しででっち上げたつまらない回があるのと、
アングラエロ話が多いのをのぞけばすばらしく面白い。
特にきちんと取材した回のはとてもよい。

ハイハーバー攻略戦

未来少年コナンのハイハーバー攻略戦。モンスリーがもし斥候を出して敵情視察を十分行い、村の正面から電撃戦で決着をつけていれば、インダストリアは楽勝しただろうなぁとか。ていうか一度ラナやラオ博士を誘拐したときハイハーバーの地形や村の位置くらい確認しとけよとか。しかしコナンにガンシップを沈没させられれば長期的にはやはりハイハーバーが勝っただろうなあとか。しかしそもそも津波がこなければインダストリアが勝ててた可能性もあるしなとか。まそんなこたどうでもいいか。

秘境駅

「秘境駅」DVD見た。
いろいろ言いたいことはあるのだが…。
たぶんカメラマンやスタッフは半素人。制作費も極少。
ホームに降り立つカメラマンの手ぶれが哀愁をさそう。
あまり期待せず見れば吉か。
しかし無人駅というて駅員が居ないだけでなく乗降客も住民も居ないというのはすごい。
車でも徒歩でもたどり着けない。
無人島と同じ。
「奥大井湖上駅」とか。あり得なくねー。なにこれ。

「憲政会」「政友会」「大政翼賛会」などのような戦前の「~会」というタイプの政党名は、戦後では全く無くなり、もっぱらやくざの組名に使われるようになったように見えるのは面白いことだ。
戦前の政党は一種侠客や国士の集まりのようなところがあり、やくざ組織と未分化だったかもしれない。
しかし戦後は政治組織が西欧やソ連など海外の影響を強く受け、国粋的な雰囲気はやくざ組織の中に受け継がれたのかもしれない。
だいたい今時「~会」みたいな名前の政党を作ればなんとなく右翼っぽくて敬遠されるのかもしれん。

ゲバラ関連のDVDをだらだら見る。
原題は Fidel and Che だが邦題は「チェ・ゲバラ&カストロ」となっている。
日本では「ゲバラ」でなくては売れないのかな。
淡々とキューバ革命とか。
まー、もうちょっとアメリカ帝国主義的手法を導入しても良いのでは、と思った。

もう一枚の方は原題は Che, un hombre de este mundo となっており、よくわからんが「チェ 世界のための人」とか訳せるのだろうかな。
ドキュメンタリーだがはっきり言っておもろない。

FF7のDVDも見せてもらう。
ストーリー的にはさっぱりわからんがすごい映像ではある。
作りたい人が作りたいように作ったというか。
ハリウッドに丸投げしてハワイで制作して大コケしたから、今回は旧ファンに対象を絞り込んでオタクに徹したというところか。
なんちゅうか絵的には鬼武者とかデビルメイクライぽい。
ファンタジーとかそういう世界にはまるで感情移入できない私でした。

夜中に目が覚め混濁した意識で「なんで自分はこんなとこでこんなことやってんのだろう」と考えるのが嫌。

だんだん目が覚めてきた。
そしてだんだん腹が立ってきた。
金を使ったり人を使ったりするのが激しく馬鹿馬鹿しい。
みんな困っているはずなのだが、たいていとことん問題がこじれるまで放置する。
全員がはっきり問題を認識し、いらいらし始めると、やっとこさ物事が一挙に解決されていくが、人より先に問題を発見して心配する人間はむなしさを感じるだけ。
たぶんそれが私に馬鹿馬鹿しさとか虚無感を感じさせる元だと思う。
心配性で先読みしながら問題を回避するのが好きなタイプの人はきっと中間管理職には向いてると思うが、本人はたまったものではない。
そもそも人や金を動かすのがめんどうくさいから先読みしているだけのことで、先読みすればするほど手間が増えるのなら最初から知らんぷりした方がまし。

太陽のない街

徳永直「太陽のない街」とか読み始めたが、
これはやばくないか。
小石川に植物園があり、これに沿った谷に千川という川が流れているが、
ここが昔は「東京随一の貧民窟トンネル長屋」で、梅雨と秋の長雨には必ず千川ドブが氾濫し、
労働争議が起きた印刷会社は今も同じ場所に存在するらしい。
物語冒頭、摂政宮殿下(昭和天皇のこと。時代設定は大正末期)が行啓したという、
「高師」とは東京高等師範学校、つまり戦後の東京教育大学→筑波大学付属小学校辺りのことか。
「太陽のない街」は「蟹工船」と違いDVDが出てるらしい。
案外蔦屋で手に入るかも。

小泉劇場

「小泉魔術」とか「小泉劇場」とか本質の見えてない報道が多すぎる。
マスコミって相当馬鹿だな。
みんな公務員に嫉妬しているだけだよ。
官僚体制や役人天国をぶっつぶしたいだけ。
不況続きで鬱憤がたまってただけさ。
それをやってくれるなら民主党でも良かったのさ。
あとは、やはり、足して二で割って結局なにも判断せず、何も決断しない、みんなに責任を分散して誰も責任取らない、そういうやり方はいかんと思ったんじゃないの。
戦前の大政翼賛会や東条内閣がまさにそうさ。
難局をばっさり解決する勇気もなく、誰も責任取りたくなくて、ああいうものをこさえてしまったのさ。
寄り合い所帯の最たるもので、その総大将がどうやって判断したり、また責任をとったりできようか。

今の小泉内閣はおもしろいよ。
今までの日本のどの独裁政権とも違う。
きちんと国民の信任を得ているし、責任の所在も発言の出所もみな明確。
手順もきちんと踏んでるし逃げも隠れもしてない。
そういうのに誰もなれてないから怖がってるが、今までいかなる独裁政権もそうやって正面玄関から堂々と権力の座に着いてはおらぬ。
まあ大丈夫だろう。

小泉首相は憲政の常道を演じて見せてるだけで、首相就任以前の発言どおり行動してるだけなので、小泉周辺が不確定要素なだけで彼自身はきわめてわかりやすい。
ところがマスコミには魔術的に人心を操っているように見えるらしいな。
おもしろすぎ。
自分たちが普段策を弄し人心をもてあそんでいるから他人もそう見えるだけさ。

坑夫

夏目漱石「坑夫」も小林多喜二「蟹工船」も描いている世界は同じ、
作家によって描き方はだいぶ違うがな~と思った。

どうも夏目漱石の「坑夫」というのは、
反小説だとか、
漱石作品中では異質な存在だとか、
取材してたまたま他に題材がなくてうっかり使っちゃっただけとか、
軽視される傾向にあるが、私は夏目漱石の中では一番好きかもしれない
(他を全部読んだわけじゃないが)。
で、ごくかいつまんでいうと
「比較的育ちがよく教育もきちんと受けた自意識過剰な若者が若気の至りで失敗する」という、
「坊ちゃん」「三四郎」「こころ」などと共通のパターンでできていて、
おそらく一連の自画像的作品の一つであって、
特に「坊ちゃん」とはうり二つな構造になっている。
夏目漱石はああいう偏屈な人だから、あまりに小説っぽくないんで、
実は小説のつもりで書いたのでないとか言い訳してるのに過ぎない。
これだけの長編を時間と労力かけてただ埋め草に書くはずはなく、
やはり自分でおもしろいと思い人にも読ませたくて書いたに違いない、と思う。
虚心に読めばただそれだけのことに思えるのだが、そういう読み方をした人はあまりないようだ。

昭和史発掘その2

昭和史発掘を未だに読んでいるのだが。
ていうか昭和史を全然知らなかったことに愕然とするよ。
だいたい小中高で昭和史なんてやらんし。
やれないし。
トラウマだし。日本人の。
石原完爾は大それたやつくらいの印象しかないだろ普通。
東条英機は無能だから首相になってA級戦犯になったのだな。
だから彼がほんとうのA級戦犯じゃないというのは明らか。
田中義一はかなりやばい。
というか松本清張はよほど田中義一に恨みがあるのだろうな。
その怨念が伝わってくるよ。
今は戦争前の世相に似てるとか言うが、
似てなくはないと思うが、深刻さの度合いがまるで違うよね。
当時はプロレタリア運動やるのもそれを弾圧するのもどちらも理があった。
今は無い。明らかに無い。どちらでも良い。

小林多喜二「蟹工船」が無性に読みたくなってきた。
ていうかすでに映画化されているよね。
今更入手困難だと思うが。