天才は後世の人が祭り上げたもので偶像崇拝個人崇拝の一種。
昔は聖人とか教祖様とか。
弘法大師も聖徳太子も日本仏教徒が布教に都合の良いように作り上げた偶像。
聖徳太子に至っては存在すらあやしい。
空海はもちろん優れた人物だっただろうが普通の人間。
レオナルド・ダ・ヴィンチも19世紀が捏造した偶像。
同世代の人間が死に絶えると同時に歴史も人物評価もどんどん後世の人間に都合の良いように変わっていく。
明治維新や大東亜戦争も同じ。
最近は情報過多になってごまかしもだいぶきかなくなった。
こういう世の中ではいくら誰かが意図的に祭り上げても天才というものは生まれにくい。
ものすごく有能で優秀な人でも天才まではいきにくい。
情報が誤っていたり欠落したところにこそ天才は生み出される。
坂本龍馬も似たようなもの。
良い研究良い作品はたとえ同時代では理解されなくても、
長い年月をかけて淘汰されて歴史に残るんだと昔は考えていたが、
そういう例もあるがそうでない例もたくさんある。
一握りの天才ではなく無数の無名な有能な人物たちによって今が成り立っているのだと思えば、
少しは気が楽だ。