氷川清話

氷川清話もじっくり読むとなかなか面白い。
勝海舟も面白いが、江藤淳の意気込みがまたすごい。

> 全体大きな人物といふものは、そんなに早く顕れるものではないヨ。
通例は百年の後だ。
今一層大きな人物になると、二百年か三百年の後だ。
それも顕れるといつたところで、今のやうに自叙伝の力や、
何かによって顕れるのではない。
二、三百年も経つと、ちやうどそのくらゐ大きい人物が、
再び出るぢや。
其奴が後先の事を考へて見て居るうちに、
二、三百年も前に、ちやうど自分の意見と同じ意見を持つて居た人を見出すぢや。
そこで其奴が驚いて、成程えらい人間が居たな。
二、三百年も前に、今、自分が抱いて居る意見と、同じ意見を抱いて居たな、
これは感心な人物だと、騒ぎ出すやうになつて、それで世に知れて来るのだヨ。
知己を千載の下に待つといふのは、この事サ。

今の人間はどうだ、そんな奴は、一人も居るまいがノ。
今の事は今知れて、
今の人に誉められなくては、承知しないといふ尻の孔の小さい奴ばかりだらう。

まったくそのとおりだヨ(笑)。
中途半端に有名になって、数十年で忘れられるくらいならば、
あくせくせず自分の好き勝手やった方がましだろう。

白南準は「芸術家には誰でもなれる」と言ったが、
誰もが白南準になれるわけではないのだがノー。

モーセと一神教

ジークムント・フロイト著、渡辺哲夫訳「モーセと一神教」筑摩書房、 勝海舟著, 江藤淳, 松浦玲編「氷川清話」講談社、など読む。

「モーセと一神教」はずっと読みたいと思っていたのをたまたま電車待ちの時間に本屋で見つけて買ったもの。フロイトは80才過ぎてからモーセ論に凝り始めたが、その主張するところは、「モーセはエジプト人」「主(アドナイ)はエジプトのアトン神」「出エジプトはアメンホテプ4世(イクナートン)以後の無政府状態のときにおこった(従ってエジプトの軍勢に追われたり、紅海が割れたというのはすべて作り話)」「ユダヤ教はアトン神(エジプト起源の唯一神)とヤハウェ神(火山の神)の融合」「モーセはユダヤ人に殺された」「割礼はエジプトの古い風習」などなど。アトンは、エジプトの歴史の中で現れた唯一神で、イクナートンの時代に完成され、一旦は破綻した。もともとは無色透明無形な抽象神なのだが、一方でヤハウェは怒りの神、嫉妬の神、えこひいきの神。その本来全く異なる相容れない二つの神が融合したことによって、精神性が非常に高められた一神教が生まれたのだという。フロイトの学説はすべてうさんくさいのだが、モーセ論だけはほんとうじゃないかと思う。多神教でも、すべての神様すべての神話を統合しようとして抽象的な神様を付け足すことはあって、日本神話だと天の御中主の神がそうで、具体的な人格もなければ自然現象や動物や植物などとも関連がない、ただ名前だけがある。しかし名前だけの存在だから、生き生きと動き出すことはまずないし、そもそも後世に人工的に作ったものだから、個別の神話から遊離している。抽象神なのに具体的で強烈な個性というか自我を持った神がどうやってできたのか、というのは実はまだよく解明されてないようだ。