私はKDP作家や同人作家や個人出版作家を自称したことはないはずだ。
それはあきらかに事実と異なる。
私が小説を書き始めたのは『剣豪将軍義輝』を読んで、自分も南北朝や室町時代の小説を書いてみたくなったからだ。
『剣豪将軍義輝』というよりも腰越公方の息子の茶々丸の話(『将軍の星 義輝異聞』収録「前髪公方」)が面白いなと思った。
こういうものが小説になるんだと思った。
そして自分にも書けるかもしれないと思った。
それまで個人的に『日本外史』の現代語訳などはやっていた。
人の作品を読んでも面白くない。古典とかそういう歯ごたえのあるものしか面白いと感じなくなり、
どんどん古くて難解なものを読むようになっていった。
そういうものを自分なりに現代文で書いてみて、需要があれば良いなと思った。

今から思えば、腰越公方の話が一般受けするわけはなかったのだ。
足利将軍が主人公の剣豪小説が珍しくて受けていただけだ。
南北朝のマイナーな話が好きな人などいるはずもなかったのだ。

私は手当たり次第に新人賞に応募した。
出版社に知り合いがいないわけではなかったが、恥ずかしくて相談できなかった。
新人賞に落ちたやつをPubooで公開し始めた。
そのあとPubooからKDPに引っ越してきた。
新人賞に応募するのはすっ飛ばして新作もそのままKDPに出すようになった。

私はそれまでも紙の本を書いていた。
しかし単著ではなく、共著で名前を連ねているというだけだった。
私がほとんどすべて書いていても、自分の名前が最初に来ることはなかった。
内容も別に自分が書きたいから書いたわけではなかった。
その上、書けば書くほど、自分の文章が嫌になった。
自分にはものを書く能力がないと思った。
小学生の頃にも同じようなことを感じた。

論文などはわりとたくさん書いてきた。
私は要するに、その辺に良くいる、売れない物書きの一人に過ぎない。
今は結局出版社の知り合いのお世話になって、やっと単著の本を二冊書くことになった。
ただそれだけの人間だ。
少しイメージチェンジをしていかなくてはならないのかもしれない。
KDPにまた戻ってくることは大いにあり得る。

或老人之歎歌一首並反歌四首

我が書きし ふみのかずかず 我が詠みし 歌のかずかず

うつせみの うつし人にて あらむ間に 残しおかむと

たくめども ときのまにまに いそとせは むなしくすぎて

身とともに 心も老いて あたらしき 思ひも出で来ず めづらしき ものも見出でず

名をのこす 人はさはにあれ かなしくも 我はさにあらで

なにはえの うもれぎとなり 後の世の 人にわすられ

いまさらに 何をか残さむ ことさらに 何をかうたはむ このうつし世に

反歌

うつし世に 見るべきものは すべて見つ 詠むべき歌も 詠みや果てつる

うつし世の 人はたのまじ ただ神と のちの人にぞ 歌は詠むべき

あきらけく をさまりし世の おほ君に 学びしならひ 忘るべしやは

しぬまでの よはひにかへて のこさまし わがかきしふみ わがよみしうた