ブログ回帰

最近のツイッターは急速に劣化し始めていると思う。昔はツイッターはツイッターであり、フェイスブックはフェイスブックだった。

ところが今はツイッターもtiktokもinstagramもみんな同じになってきている。昔はフォローしている人のツイートだけ読み、フォローされている人から読まれるのが普通だった。しかし今は誰彼かまわず読まされる。そうするとみんながそれに感化されて、誰彼かまわず読まれるようなツイートばかりするようになった。これは要するにツイッターの tiktok化であり、instagram化である。別にもうツイッターである必要はない。

instagramなどはもうどこに誰が何を書いているのかすらわからない。勝手に読みたくも無い記事をだらだらと読まされる。facebookも最近はそれに近い。勝手に見たくもないコンテンツが流されてくるのであればもはや地上波テレビと同じではないか。

それで読みたい人の記事だけを読むというのであれば昔はブログだった。最近はnoteなどもそうかもしれない。twitter難民がnoteに流れているというのもなんとなくわかる。twitterでぶつ切れのツイートを読んだり書いたりするのが苦痛だったから、今私はブログに回帰してよかったとおもっている。twitterをやらずずっとブログだけやっていればよかったとさえ思う。わざわざレンタルサーバー借りて自分のブログだけ維持するのは面倒すぎるけれども、それ以外の雑用もあるからなんとか復帰できたのだ。昔からサーバーいじっていた私でさえそうなのだから、普通の人がわざわざ私と同じようなやり方でブログを書くはずがない。

では私がせっせとブログを書いたからと言って読みに来る人がいるだろうか。独立系ブログをやめてnoteで書けば読みにくるだろうか。そんなことがあるはずないってことはわかりきっている。以前booklogやカクヨムで書いていたことがあったが、何の効果もなかった。hatena には少し書きたい気持ちもあるが結局あのシステムとコミュニティが好きにはなれない。hatena やカクヨム、noteのシステムは悪くはないが、自分の好きなようにカスタマイズできるわけではないし、だんだん細かいところが気になってきて、結局自分で wordpress 立ててやるのが一番気楽ということになる。

いずれにせよ人に読んでもらいたいのならtwitterやnoteに書くしかない。私の場合当面読んでもらわなくてもけっこう。自分が現時点で書きたいことをリアルタイムで記録して公開できればそれでよい。

noteの投げ銭で儲けようという気持ちがまったく無いわけではないがたぶん儲からない。kindleのコンテンツでは『エウメネス』しか儲かってない。noteで何か自分の好きなことを書いてもkindleと同じことが起きるだけだ。自分が好きでもないことを書いて儲けようという気はないし、もし書いたとしても労力にはまったく見合わないと思う。

主権在金

「選挙は独裁よりも良い」という命題には、多少疑問の余地はあるものの、まあそれはそうなんだろうということにしておいてもよいが、「投票率は高ければ高いほど良い」に至ってはまったく何も立証されていないのに、そう信じ込んでいる人が多いのは非常に疑問だ。なぜ投票率が上がれば今まで選挙に行かなかった人たちが、自分が支持する人や政党に入れてくれるはずだと思えるのだろうか。

選挙に行かない人の心理は選挙に行く人には理解しようがないのであって、選挙に行く人、投票率が上がれば良いなと思っている人の心理も、そうでない人には理解できないのじゃないか。

戦後日本の選挙は一人一票でこれが主権在民、民主主義というものだと説明されてきた。税金を多く払おうが全然払ってなかろうが国民は一人一人投票する権利があるとされてきた。しかしながら今まで政党というものは、企業の政治献金で支えられてきたから、実は一人一人の主権が政治に反映されてきたというよりは、大企業が政治家を選んできただけだ。

では企業献金というものが裏金呼ばわりされて否定されたとして、しかしながら選挙に金がかかるのは変わりないのだから、結局金を持っているやつが候補者を立ててメディアを操作して自分が好きな候補を勝たせているだけではないか。最近では動画コンテンツで多少受けが良く、クラファンで金を集められるやつが選挙に当選しているだけではないか。

単なる主権在金、金主主義と呼ぶべきではないか。

なるほど確かに政治的にまともな発言をしている人もいないではないように見えるけれどもそれらの人に票が集まっているようには思えない。

政治献金というものがあったおかげで日本では日本という国をしょってたつ大企業が事実上の主権者となって国を運営し指導してきた。それはそれで、悪いところもあっただろうが良いところもあったに違いない。愚民が直接ああだこうだ政治に口出しするよりはずっとましだったに違いない。日本は誰がなんといおうと工業立国だ。電子立国だ。企業が国家経営を舵取りしたからこそ日本はここまで繁栄した。紛れもない事実だ。そのことによって日本国民がこれまでどれほど恩恵を受けてきたことか。これを善政と言わずしてなんといおうか。

しかし企業献金を殺し、パーティー券を殺し、企業主権、企業独裁の時代はとうとう終わりに近づいたようだ。これからどうするのか。一般市民に政治なんてできるのか。

「選挙の正統性」というものに疑義を挟むつもりは今のところ私にはない。少なくとも日本国民は普通選挙という制度を承認しているし、選挙で決まったことだから仕方ないと諦めがついている。みんなが諦めのつかないやり方で為政者を決めるよりは諦めが付くやり方で決めたほうが良いに決まっている。別の言い方をすれば、選挙よりもすんなりと万人が諦めが付く方法がほかにあるのであればそっちのやり方で政治家を選んだ方が良いに決まっている。諦めが付かない人が多ければ暴力沙汰になり暴動になり内戦になり戦争になる。それは嫌だからみんなしぶしぶ諦めが一番つきやすいやり方を模索した結果、西洋から輸入した選挙という制度を今は使っているのだ。もし人々が選挙という制度を疑いだして諦めが悪くなってしまえばおおごとである。選挙結果に誰も納得しなければいわゆる民主主義なんてものが機能するわけがない。だからみんなが「選挙に行きましょう」とか「投票率を上げましょう」と言っている間はなんとか平和なわけだから、そうみんなが思い込んでいるほうが安全なわけだ。選挙制度なんて結局おおぜいのひとが現状正しいと信じている虚構に過ぎない。便利な虚構であれば信じておいたほうが無難なだけだ。科学では「信じる」ことはタブーで「疑う」ことが正しい。しかし政治ではみんなが信じていることが正しいことであって、論理的に科学的に間違っていようが虚構であろうがかまわない、ということになる。それは、みんなが信じているという状態が維持されている間だけ正しい。アメリカに押しつけられた「日本国憲法」というものも便利な虚構なわけだ。

追記。やっぱりこれはアレだよな。新しく正しく良い思いつきをした人がまあ、仮にいたとして、その人が誰よりも先にちょっと突破口を作ったとして、その後は、その人に直接票が集まるのではなくて、後出しじゃんけんで、それを横から見てて、もっと顔の良い人が、もっとそれっぽく、正確さとか根拠にはロジックにはあまりこだわらず(というよりもともと理解できず)ただ勢いと受け狙いでしゃべれる人のところに、金が集まり、票が集まり、人が集まり、一大勢力になるんだろうな。

近況

楽天マート(旧西友ネットスーパー)で政府備蓄米(古古米)5kg が 1980円(税込み2138円)で売られていたので買って食べてみた(【数量限定】楽天生活応援米(備蓄米))のだが、普通にうまかった。これで全然アリだと思う。スーパーやドラッグストアやディスカウントストアで備蓄米売っているところはほとんど見当たらない。どういうことなんだろう。政府から備蓄米を仕入れて、自分のところで精米して、パッケージ化してと一連の過程を独自でこなせるところとなると楽天とかイオンなどの大手にならざるを得ず、従来の流通を通して売っているところは大して値下がりしてないということだろうか。数量限定とあるがあとどのくらい買えるのだろうか。イオンのカルローズ米は売っているところではまだまだ在庫はありそうだ。

最近の楽天は良く頑張ってると思う。昔マイクロソフトは嫌いだったが今はまあぎりぎり我慢できるようになってきた。楽天も昔は嫌いだったが、今はけっこう好きになってきた(昔の楽天が好きなわけではない。今の楽天が許容範囲になってきたというだけ)。

最近は古い映画も(サスペリア2とか雲のように風のようにとか)オンライン配信で見れるようになって、しかしながら、ブルーレイも同時に発売されていて、値段も非常に安い。ほんとうになんども繰り返しみたいものはブルーレイで買っておく価値はあると思うのだ。

セブンイレブンは自分たちがコンビニという社会システムを作ってきたという驕りがある。自分たちが勝手にコンビニというものを定義して良いのだと思っている。イトーヨーカドーにも同じ匂いを感じるが、接客マニュアルが私にはまったく合わない。同じことは吉野家にも言える。こっちが接客を決めて客はそれに従えという態度が気に入らない。何が接客かということは客の側が決めるものだろう。あるいは、客の側が何を望んでいるかを予測してそれに合わせたものを提供するものだろう。客がどう感じているかなんてまるで無視して自分らの都合を最優先して、嫌なら来るな、と言っているように見える。

立花孝史が街頭演説で「NHKをぶっこわせ」と言っているのをNHKがニュースで流しているのをみて、政見放送ならともかく、ニュースでこれを流すとはずいぶん時代も変わってきたんだなと思った。NHK自身が変わらねばならんということを十分自覚しているのだと思う。それでも、今回の選挙の主たる争点は「外国人問題」とはNHKは口が裂けても言わない。いったい何を信じて何を参考にすれば良いのか。やはりオールドメディアは亡びるしかない。テレビなんて早く死ねばいいのにとしか思えない。

ちまちました研究

例によって吉原ビッグエー。イオンのカルローズ米「かろやか」4kg 2680円と、あかふじ「いつものお米」5kg 3480円の選択肢があり、今回は「いつものお米」にしておいた。普通の「こしひかり」が 5kg 3980円で売ってあったんだが、まあずいぶん安くなっては来たけれど、銘柄米とミックス米食べ比べても私は大した違いはわからない。今後は押し麦なんかを混ぜて食べようかとも思っていてそれだとなおさら違いはわかるまい。なんならオートミールを食べても良い。世の中の人はまだまだ旨い国産米というものにこだわり続けるらしく見える。しかしなぜ?

Youtube や twitter を読むのも無駄だが、このブログを書くのも時間の無駄には違いない。このところちと久しぶりに研究というものをやってみたが、論文書いたり実験したりしているとあっという間に時間が過ぎていき、おかけで youtube や twitter なんぞをだらだらみたり書き込んだりしなくて良い。

テレビに比べれば youtube はまだましだが youtube もみすぎるともう見たくなくなる。たぶん1週間に1度くらい、あるいは移動中にスマホかなんかで見る程度にしたほうが良い。部屋の中にいてだらだらみてるのはよろしくない。

都議選とか参院選とかみてると、NHK党が一番まともな政党に見えてくる。ましかしこの年になって政治に何か期待してもそれもまた時間の無駄だ。無駄をなくして時間を節約したからといって定年過ぎればその時間も持て余すのだろうが、死ぬ日が来るまで何もしないのが一番良い生き方な気がする(時間があるからと無理に何かしようとするのが良くない)。

住んでみてわかったが吉原のあたりはほんとうに交通が不便だ。雷門か蔵前、新御徒町あたりに住むべきだった。家賃も大した違いはない。新御徒町はつくばエクスプレスにも乗れるし、大江戸線にも乗れるし、御徒町か上野まででればどこへでもいけるし、とにかく便利だ。ただ定年後まで東京に住む気はまったくないが。

都会はなんだかんだでうるさくて困る。人も車もビルも多すぎる。ビルは建て替えたり修繕したりでうるさい。車はうるさい。普通の家とみせかけてときどき工務店みたいに騒音を出す家がある。自転車も多い。ランニンガーも多い。ほんとうに邪魔で危険だ。マフラーを改造した原付が真夜中走り散らかしたりする。とにかくいちいち気に障る。便利なのは良いが不快でもある。そんなわかりきったことを言っても仕方ないが。実は、新しい建物も立たず、新しい人も入ってこず、しかし昔作られた社会的インフラがまだ機能している地方都市なんかが一番快適に住めるのではないか。いや絶対そうに違いない。仕事をしているときは東京の引力に負けて都心に引き寄せられてしまうが、定年後はわざわざ東京に住む必要はない。今のうちせいぜい東京の娯楽を楽しんでおき、東京を離れよう。

私はもう30才くらいに自分の研究者としての才能を見切ってしまった。私は研究者としてアカデミズムの世界で一定の地位を保てる程度の研究はできる人間だろうと思う。ここはまあまあ居心地の良い世界だから、定年まではここに居続けるだけの努力はしてもよい。しかしそれ以上の努力をしたとしても、私の研究が世の中を変えたりすることはまずない。特に私の専門分野はCGなので、CGなんてものは個人の研究者がああだこうだする時代はとっくに過ぎてしまい、GAFAMみたいな大企業が、日本でいえば任天堂とかソニーなんかが大金を投資してよってたかって研究する時代になってしまった。恐竜が闊歩する時代に蟻ごときが何をしても無駄だ。企業にはできぬ、個人にしかできぬような基礎研究をやる才能が私にあるかといえば微妙だ。そういう研究は、もしかしたらできるかもしれないが、成果が出る保証がまるでない。

たとえばアインシュタインみたいな天才的な科学者がいたとしよう。しかし1年間南の島にバカンスにでかけて、再び研究の世界に戻ってきた頃にはもうとっくに別の誰かが相対性理論を発表し、別の誰かが「アインシュタイン」というアイコンになって世の中でもてはやされていたはずだ。アインシュタインという人がもしいなかったとしても、1年かそこらで同じようなことを思いつく人はいたはずだ。あの天才数学者ガウスにしても、せいぜい10年も待てば彼と同じことを思いつく人は出たはずだ。

自然科学にはそうしたむなしさがある。芥川龍之介もなんか同じようなことを言っていたような気がする。自分が書かなくても近い将来同じようなことを書くやつは出てくるに違いないと。

ま、ともかく今回、ちょっとばかしの業績が業務上必要になったので研究をやってみたけど、さらにその研究を進めるつもりはない。私がやらなくても誰かがいずれはやるに違いないからだ。そんなちまちました重箱の隅ほじるような研究に時間を費やすくらいなら、何もせずぼーっとしていたほうがいさぎよい。科研費当てたとか外部資金とか助成金をいくらもらったとか。そういうのは所属している機関には評価されるかもしれないが、自分にとっては別段面白くもなんともない。そういうのが面白いと思う人は単に自分が属している組織や学会や世間に評価されるのがうれしくてたまらないのだろうけど、私は全然うれしくない。

今の生成AIとか暗号資産とか、ビッグデータというのはみんな同じで、ただひたすら金をかけて計算力を消費すればするほどもうかるからやっているに過ぎない。資本をもっていればいるほど結果が出せる。そんなことやって何が面白いのかと思う。昔のアポロ計画の頃はいくら国家予算がでかくてもAIに予算をかけることができなかった。かけたとしても成果がでなかった。今はやっとその社会的環境が整った。

今のアメリカは明らかにAIバブルなのだが、このバブルがいつはじけるか。AI技術は結局大企業や資産家にしか利益をもたらさず、経済格差が広がり、治安は悪化し続ける。だがアメリカ経済というかアメリカの国力にはまだ余裕があるから、それがただちに社会不安にはつながらない。アメリカ社会がフェンタニルで崩壊していくのを、アヘン戦争で煮え湯を飲まされた中国はざまあみろという気持ちで見ているだろう。

中国も(おそらくインドも)アメリカと同じ道をたどり、それでも国力に余裕があるうちは今のバブルははじけない。だが私はそんな世界に住みたくはない。そんなに儲かってはいないが、世界から隔絶した日本に住んでいるのが結局一番楽だという時代に入りつつあるのは確実で、そうなった先にどういうカタストロフィが待っているのか。

天長節

天皇も庶民も江戸時代までは数え年で、正月をもって誕生日としていたのだから、明治より前に天長節などというものがあったはずがない。太陰太陽暦で閏月があり、月の長さも一定ではなかったのに誕生日などというものが重視されたはずがない。閏月に生まれた人はいったい何年に一回誕生日が来るのだろうか(笑)。

今の右翼はただ明治政府が西洋の猿真似で始めたことを伝統とか保守とか言っているだけで、ほんとうの保守を知らぬ。夫婦同姓しかり(左翼は左翼で、関東大震災の後に植えた、たかだか100年ばかりしか立たない神宮外苑の銀杏並木を切るのが環境破壊だのなんだのと騒いでいる。中野サンプラザに至っては何が気に入らないのかさっぱりわからん)。

まず、明治政府がやったことで良かったことを復活させ、まずかったことを廃止する。

次に徳川幕府がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

足利幕府がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

鎌倉北条氏がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

摂家がやってよかったことは律令であろうと復活させ、悪かったことは廃止する。

それでやっとなんとかまともな保守と言える。

そこから先は記録が残っていないか曖昧だから、だんだんに手を付けていけばよかろう。

大和言葉だけで日常会話ができるくらいでなければ真の保守とは言えない。

今の右翼の(左翼も)知能はAIレベル。何が正しくて何が間違っているかなんてまるでわかってない。世間一般で信じられていることを事実だと思い込んでいるだけ。

沢庵

沢庵にカビが生えた。冷蔵庫に入れておいたのにカビるとは思わなかった。大根に生える青カビじゃなくてなんか気持ちの悪い白っぽいぶつぶつの吹き出物みたいなカビだった(最初は塩がふいたのかと思ったが違った)。カビが生えたのは一種類だけでほかのは無事だったようだ。どこのメーカーのがカビたのだろうか。今となってはわからない。

沢庵は難しい。真ん中あたりはうまくても端のほうがまずい沢庵もある。試しながらだんだんに商品を絞り込んでいくしかないのか。東京はものがあふれているがまともな沢庵やまともな梅干しを買うのは難しいところだ。

alt und lebensgesättigt

創世記25:8

アブラハム遐齡に及び老人となり年滿て氣たえ死て其民に加はる

明治元訳聖書

アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。

共同訳

「年満ちて」もしくは「満ち足りて死に」と訳されることが多いようだが、「生きるに飽きて」と訳されることもある。マックスウェーバー著、岩波文庫版『職業としての学問』など。

『職業としての科学』

アブラハムは、あるいは昔の名もなき農民は、「年老い人生に満足して」死をむかえた。

と訳している。この箇所、原文は

Abraham oder irgendein Bauer der alten Zeit starb »alt und lebensgesättigt«, weil er im organischen Kreislauf des Lebens stand, weil sein Leben auch seinem Sinn nach ihm am Abend seiner Tage gebracht hatte, was es bieten konnte, weil für ihn keine Rätsel, die er zu lösen wünschte, übrig blieben und er deshalb »genug« daran haben konnte. Ein Kulturmensch aber, hineingestellt in die fortwährende Anreicherung der Zivilisation mit Gedanken, Wissen, Problemen, der kann »lebensmüde« werden, aber nicht: lebensgesättigt.

となっている。旧約聖書はヘブライ語で書かれているからヘブライ語まで遡ってもともとのニュアンスを調べるべきかもしれないが、それは私には不可能だし、私にとっては、マックスウェーバーがどういう意図でこの言葉(ルター訳か)を引用したか知れば十分である。

lebensgesättigt は leben に gesättigt したということだ。gesättigt は wiktionary では nicht mehr hungrig 「もはや飢えていない」「おなかいっぱい」という意味であると記述している。英語では saturated という。語源となっている sat はおそらくラテン語由来であろう。

「おなかいっぱい」は満ち足りている、満足している、と解釈もできるが、飽き飽きしている、もうこりごりだ、という意味にもとれる。両方だとしてではどちらの意味に近いか。

マックスウェーバーは lebensgesättigt を lebensmüde と対比させて使っている。müdeは飽きたという意味もあるかもしれないが疲れた、眠い、だるいなどとという意味だ。昔の人は十分に長く生きて、つまり天寿を全うして死ぬことができた。しかし現代人は、人生に疲れることはできても、やることがもう無い、すべてやり尽くして死ぬことはできない、とマックスウェーバーは言っている。

なるほど彼が生きた20世紀前半はそうだったかもしれない。世の中には未解決の問題が山積みしていて、自分の一生では、自分の能力では、とうていそれらのすべてに手を付けることもできないし、すべてを解決することもできないし、結論を見てから死ぬこともできない。そもそもすべての事象を把握することすらできない。自分の周りのごく狭い領域の問題を認識できるに過ぎない。

マックスウェーバーは56才で死んだ。まだまだやり残したことがたくさんあっただろう。

しかるに現代に生きる私はどうだろうか。もう60才になったが、まだ今のところ死にそうにもない。

80才まで生きられるとしてあと20年間でいったい私に何ができるというのか、今までの60年間の人生と比べてこれからの20年間にどれほどの意味があるのか、いったいどんな未知の可能性が残されているのか、残されているとしても、それをやり遂げる気力が残っているのか、と思う。死ぬのは嫌だから生きてはいるけどそのことに積極的な意味が見いだせない。

若者が良く、20年間生きてみたがもう人生に飽きた、などと良く言うのだが、年寄りが、60年間生きてみたがもう人生に飽きたというのとは少し違う。というより、若い頃は人生に飽き、年を取ると人生に未練がましく執着するのが人間の習性のように思える。

或る人が1回目の還暦を迎えた。3回目の還暦まで生きたい、などといっていたが、180才まで生きて何が面白いのだろう。実に不思議だ。

ところでアブラハムはユダヤ人の始祖であるはずが、どうして民に加わるとか先祖の列に加えられる、などと言うのだろうか。アブラハムが最初のユダヤ人であるなら加わるというよりは最初にユダヤの民になった、というべきではなかろうか。違うのだろうか。

ユダヤ教では死後霊魂は復活の日まで封印されることになっている。天国も地獄もない。民に加わるとはそのことをいうか。

定点観測に某ディスカウント店に行った。なんと、「いつものお米」5kg が 200円値上がりして 3680円になっていた。このタイミングで値上げ?どういうことなのか。イオンのカルローズ米も売っていた。こちらも余り気味。どうしてみんなイオンのカルローズ米を買ってあげないのだろう。備蓄米を売り出したら徹夜して並ぶくせに。結局こうした消費者心理のせいで米の値段は上がってしまうのだとしか言いようがない。

コーヒーもトップバリュの ChillBreakはあるんだが 1kg ではなくて 200g くらい?のもので、非常に高い。

コーヒーにせよ玉子にせよ、二度と安くはならないような気がする。国産米ももう二度と昔の価格には戻らないのではないか。

で、結局何も買うものがなく、トイレットペーパーを備蓄用に一つ買っておいた。

追記。某ドラッグストアに備蓄米が売られていた。私は備蓄米が売られているのを初めて見たのだが、販売者のところにシールが貼ってあり、どうもこれは、アイリスオーヤマが売り出した備蓄米の転売のように思われる。安いといえば安いがアイリスオーヤマが 5kg で 2000円で売っているのに比べるとかなり高い。アイリスオーヤマのネット販売は数量制限などかけてないらしく、転売ヤー(?)が買い占めたものを利ざやつけて売っているようにみえる。どうもこれを買うのは負けな気がした。

都議選

いろいろと面白すぎる(笑)

さとうさおりさん。普通にすごい。好きか嫌いかといわれれば微妙。深田萌絵さん的なキャラだよな。二人とも非常にあやうい感じだけど、どんどん世の中を引っかき回せば良いと思う。冷静に考えれば今回たまたま一都議になっただけだ。歴史上都議や府議や県議になった人なんて何万人もいる。まだその一人になったに過ぎない、とも言える。だけど普通の都議よりは期待値は高い。

さとうさおりさんといえばつい最近もクラファンで参院選の供託金集めようとしてたよな。たしか今年、千代田区長選挙で江戸城の天守閣再建を公約にしてたよね。もとはといえば菅義偉が言い出したことらしいが。それについては最近 twitter にも書いたのだけど、

2024年12月5日
江戸城再建(笑)

菅義偉が天守閣を再建しようって言ったのか。それで300億円くらい?
午前2:02 · 2024年12月5日

2024年12月5日
せっかくなので本丸とかもろもろも再建しよう。

2024年12月5日
ていうか江戸城を再建するんなら天守閣は無しのまま本丸だけ再建するのが筋なんじゃないの。
天守閣だけあって本丸は無い状態なんて江戸時代には一切なかったわけだし。

2024年12月5日
ついでに首都高を撤去してお濠も昔通りの姿にしようよ。

2022年8月10日
城(特に華美な天守閣)は贅沢品なので、戦時でなければ、財政負担を減らし領民を慈しむためにも、火事や雷で焼けたら再建しないっていうのが善政、という認識があったからではないかね。
江戸城の天守閣などもそう。むしろあるべきところに無いのが平和と治世のシンボルみたいなところあったと思う。

ま、だから、さとうさおりさんが減税党などというのであれば徳川幕府の精神を受け継いで、天守閣は建てないままにして、本丸などを復元して、博物館代わりにすれば良いと思うよ。天守なんてものは織田信長が発明したただのはったりに過ぎないよ。江戸城の価値はあの壮大な縄張り、内堀に外堀にある。だから本気で江戸城を再建しようと思うなら外堀を復活させないと。

天守再建に300億円かかるとして本丸を再建するにはたぶんもっと金がかかる。外堀復活にはもっと金がかかる。しかしそれ以上の観光収入があれば問題無いわけだよな。これ以上東京に観光客が来られても困るがね。だからまず首都移転を先にやって、首都高もみんな撤去して、外堀を復活させて、江戸城を江戸時代のままに戻す。それがほんとうの保守だよ。

さとうさおりさんみたいに積極的にガンガン選挙に立候補してネットに露出していれば今の時代けっこう効き目があるってことなんじゃないのかな。

自民の票が、大阪では維新に、東京では都民ファーストに流れて、全体的にばらけてきていて、ネットに露出している個人(元NHK党やその他のいわゆるネット政党などを含めて)が当選するケースが増えている。以前は自民がダメだから民主に流れたりしたがそれじゃダメだったことがわかったから、自民がダメなら分散するという傾向になっているように思える。私だって今の自民党には入れたくない(笑)。でもその代替で民主党にはもっと入れたくない。となれば第三の選択肢になる、しかない。自民がふがいなさすぎるのがよくない。自民が割れて政党が再編されるまでいってほしい。

自民党は保守とは言っているけども薩長政権がやったことを保守しようと言っているだけで、徳川幕府なんかがやってたことを保守しようと言っているのではない。今のネットウヨなんかはもっと混乱している。何を保守なきゃいけないかってことがわかってないように思える。もちろん明治政府は良い仕事もした。徳川の治世にも問題はあった。どれが良くどれが悪いと取捨選択すること自体が難しい。革新は古いものは全部ダメだといえばそれで済むから簡単だ。わかりやすい。それが良いかどうかはともかく。いっぽう保守は難しい。難しいにもかかわらず、革新と同じノリで、簡単にこれは保守しましょうというのが好きになれない。人は足利幕府のダメだったところしか見ない。室町時代は文化芸能だけが栄えて発展したなどと軽々しく言う。そんなことは全然無い。あの無茶苦茶な後醍醐天皇、南北朝にしても、ある種の、痛みを伴う改革だったと言えなくもないし、その反省から出てきたのが足利幕府で、あんまりうまく機能しなかったけれど当時としてはそれなりに成果は残したと思う。

ていうような話を司馬遼太郎なんかはまるでわかってないし、坂本龍馬好きな連中もわかってないし、いわゆる保守とかネトウヨという連中はみんなそのたぐいだから、保守は好きだけど保守と言われているもしくは自称している連中は好きじゃない。リベラルとかパヨクに対抗するためにネトウヨはある程度いるほうが良いと思うが、ネトウヨとは歴史認識が違うから賛同できない。

ともかく政治資金をクラファンで集めるのが主流になり、ネットで名前を売り人に知られさえすれば議員になれるとしたら、もはや自民党のような政党は不要で、タレント議員みたいにマスコミを踏み台にして有名になるまでもないということになるわな。

世間一般では、きちんと歴史を勉強して、和歌が詠めるようになってから保守になるのではない。そんな保守いるわけない。私だって子供の頃は歴史も知らなかったし和歌も詠めなかった。ただ保守の表面ではなく根っこのほうに興味があって好きだったから続けられたというのはあると思う。

それはそうと和歌についての本を書き終えてもうだいぶ経つ。和歌のことばかり考えていると和歌のことがわかるようになり歌も自然に詠めるのだが、歌にばかり集中してるわけにはいかないし、飽きも来る。他のことに集中し出すととたんに歌が詠めなくなる。詠もうと思って詠めないことはないが時間がかかるし、頭を無理矢理切り替えなくてはならない。良いものも出てきにくい。和歌が詠める人というのは要するに毎日和歌のことばかり考えて毎日歌を詠んでいる人なのだ。作曲も同じで、作曲のことばかり毎日考えているとそのうちそれらしきものが少しは作れるようになる。しかししばらく離れているとまた作れなくなる。研究も同じだな。ずっと研究し続けてないと研究はできなくなってしまう。ブランクが長ければ長いほどリハビリに時間と努力を要する。

ましかし、それで客観的に、冷静に、自分が書いたものを読めるようになるのは良い。

追記: やはりいよいよテレビの影響力が落ちて、ネットがそれに置き換わっていて、自民党はなんだかんだ、マスコミには攻撃されてはいても、与党であるからにはテレビへの露出は一番大きく、それが票につながり、組織票につながっていたのだろう。逆に自民党はネットの基盤がまったくない。今の若者なんて youtube どころか、tiktok や instagram なんかのショート動画しか見ない。タレント議員はノリがテレビタレントなのだろう。そういうものを今の若者は古くさいと感じるのかもしれない。

買い急ぎ

またまた浅草のアジトに戻ってきて、備蓄米でも買ってみようかと吉原のビッグエーに行ったところ、イオンのカルローズ米しか売ってなかったので、仕方なくこれを買った。すでにまいばすけっとで買って食べたことがあるので、他の違うやつが食べたかったのだがしかたない。この「かろやか」だが、普通に旨い。冷えてもそんなにまずくはならない。この品質で、ブラインドテストで品種や銘柄を当てられる人がいたら見てみたいものである。

ただし米粒の色や形が微妙に違うので(左が国産ブレンド米。丸くて少し黄色くて大きい。左がカルローズ米。やや細長く、白く、小粒)。

江藤拓(前)農水相が

ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ、買うコメの量を増やしている。そのためコメの価格が上昇し、品不足になっている

などと発言して更迭されてしまったのだが、これは私が以前、米不足近況などで書いたことと同じだ。江藤氏はさらに米の不作についても否定している。大臣ともあろう人が何も根拠が無くてそういう発言をするはずがない。彼自身は売られている米を買ったことがないという。それは親戚に米農家がいれば普通のことだ。私も、米が余っている年、つまり米の価格が安い時には、30kgの米袋をただでもらったりしたことがある。彼は個人的に親しく農家の実態を知っている上でああいう発言をしたのだ。それをマスコミに揚げ足を取られて、更迭に追い込まれてしまった。農家の実感とマスコミの思い込みは明らかに乖離している。

マスコミ向けの記者会見だったからマスコミ批判はしたくてもできなかっただろう。マスコミは真実はどうあれ大臣の発言は叩くのが社会正義だと信じ込んでしまっている。しかしながら、マスコミの煽りが米不足の一因になった、という反省がマスコミ側からまったく出て来ないのは不誠実というべきではないか。国家的な危機においてマスコミがまったく役に立たないどころか逆に危機を増大させていることが今回再び明らかになった。かつ、消費者は自分たちが一番の原因だという反省をすることもない。消費者が、一般大衆が聞く耳持たぬということはあるまい。一部識者による分析が語られていないわけでもない。知識の送り手と受け手が何者かによって壟断されている。これでどうやって今後の対策の検討につなげていくことができようか。マスコミはおそらく薄々わかっているに違いないのに消費者の無知につけ込んで消費者を煽りヒステリックにさせて政治家を陥れて世間の注目を集めようとしている。ジャーナリストが死んだ後に落ちる地獄というものがきっとあるに違いない。

木徳神糧「ステークホルダーのみなさまへ」では米高騰の原因を

記録的猛暑や豪⾬による収穫量の減少や、⽣産コストの上昇、インバウンドを含む消費の増加、ひっ迫感を受けた買い急ぎといった複数の要因が重なり、安定供給に対する不安が増⼤した現象があるものと考えられます。

などと分析している。要するに、主たる原因は、消費者による「逼迫感を受けた買い急ぎ」なのである。それをあからさまに言うと批判を受けるから、しかし事実を伝えようとしてこのような表現になっている。本来無知な(情報弱者、または一次ソースと無縁な生活をしている人たち、とでも言うべきか)庶民が勝手に逼迫感を抱くはずがない。逼迫感を煽った犯人がいるはずだ。「ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ」るようにさせたのは誰か。自明ではなかろうか。

米卸が意図的に値をつり上げたことはなかったのに違いない。単に市場原理に米価を任せただけだというのも事実であろう。消費者が買い急いで買いだめして値段が上がっているのは市場原理によるもので、売り手はできるだけ安く仕入れて高く売りたいに決まってる。それ以外のことはできようがない。

トイレットペーパーだってコロナのときのマスクだって消費者がちょっとでも買い急ぎ、買い溜めすれば流通はあっという間に破綻するのだ。そんなことはこれまで何度も経験してきたことではないか。私の親戚にも一部屋まるごとティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの備蓄に当てている人がいるのだが、それが消費者というものだろう。

備蓄米だが、おそらく国に備蓄米として買い取ってもらっているのは、米を作りすぎて、市場に出すと米価格が下がって儲からないからであろう。銘柄米として人気があって高値で売れるような米をわざわざ備蓄米として国に提供するなんてことはないはずだ。

米の品質が良くないので備蓄米に回しているのではないかとも思ったが、そういうこともあるかもしれないが、ごく普通の米を普通に作って余ってしまったから備蓄米にした、というケースが多いのではないか。そうした米は多少古くとも、保管状況が良ければ普通に食べられるのではないかと思う。本当に食べて旨くない備蓄米は最初から飼料用に回すのではなかろうか。そういう本音のところをちゃんと調べて報道してくれるマスコミはいないのだろうか?

日本の米農家はもう、高く売れる一部の銘柄米だけ作るしかないと思う。市場競争力の無い米を作っても仕方ない。私は普通の米の味に満足しているからわざわざ高い銘柄米を買う気はない。日本の農家が普通の米を作らなくなるとしたら外米を食うだけのことだ。国産米にこだわる気など無い。そんなことには何の根拠も必要性もない。

日本食はなるほど旨いとは思うけど、その中で銘柄米と和牛にこだわる気持ちは私にはない。どちらも高級志向だが、別に私は牛肉や米に一定水準以上の品質や高級感、ましてブランド力など求めてない。沢庵や梅干しだって高いから買うのではない。スーパーに売られている普通の梅干しや沢庵が安いから買わないのでもない。

私は、備蓄米を放出して強制的に米の価格を下げる、というのは決して良くないことだと思っている。外米を民間企業が輸入して、市場に流通する米の量を増やせば自然に米の価格は安定したはずだ。しかし日本人は国産米にこだわりが強すぎる。もはやそんなものにこだわる理由などないということは(ツイッターも含めて)何度も書いたつもりだ。結局消費者が、日本人が自分で自分の首を絞めていて、それをマスコミが煽っているというのが現実だ。だから多少高い米を黙って食えばいいのだ。

レギュラーコーヒーの高いのはそれとはまったく違う別の理由だ。これも困ったもんだ。

三社祭のハッピイオン外米米の値段いつもの米ベトナム米

沢庵なのだが、真ん中辺りはうまいのだが端っこが歯ごたえがなくてうまくないというものがある。これは困る。どこの何とはいわないがこれからは買わない。