蜀山人

蜀山人全集を読み始めたのだが、
全五巻あり、そのどこかに狂歌がまとめて載っているわけでもない。
連歌もあれば漢詩もある。
当然のことではあるが和歌について論じている文もある。

杏園詩集の巻頭

日出扶桑海気重
青天白雪秀芙蓉
誰知五嶽三山外
別有東方不二峰

要するに日本は海に浮かぶ良い国だ、
中国人は三山五嶽より外の世界は知らないだろうが、
東方の日本には富士山がある、というような意味。
「三山五嶽」は中国の名山で、
蓬萊・瀛洲・方丈の三山と、泰山・衡山・華山・恆山・和嵩山の五嶽であるという。
「五嶽三山」としたのは平仄あわせのためであろう。

押韻平仄ともにきちんとしている。
こういう詩を作るからにはまじめな人だと思う。
まあ普通の御家人だわな。旗本ではない。
武家で役人だから、当たり前といえば当たり前なように漢文が多い。

「めでた百首夷歌」というのがある。
蜀山人も「狂歌」とは言わず「夷歌」と言っているところが興味深い。
ただし「狂歌百人一首」とか「狂詩」などと言っているものもある。
「夷歌」はもとは「あづまうた」と訓んだのではなかろうか。

> 鎌倉の 海より出でし 初がつお みな武蔵野の はらにこそ入れ

蜀山百首の中の一つ。

> 武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ

を思わせる。
「武蔵野の原」という慣用句もある。「原」に月が入るのと、「腹」に鰹が入るのをかけているわけだ。
かなりひねった歌だ。

> 世の中は 我より先に 用のある 人のあしあと 橋の上の霜

> 今さらに 何を惜しまん 神武より 二千年来 暮れてゆく年

同じく蜀山百首。

> あなうなぎ いづくの山の いもとせを さかれてのちに 身をこがすとは

> 世の中に たえて女の なかりせば 男の心 のどけからまし

うーん。

> 富士のねの 表は駿河 裏は甲斐 前は北面 のちは西行

西行が出家する前は北面の武士だったことを知らないとわからないしゃれだわな。

> いたづらに すぐる月日も おもしろし 花見てばかり 暮らされぬ世は

> 寝て待てど 暮らせどさらに 何事も なきこそ人の 果報なりけれ

> 世の中は いつも月夜に 米の飯 さてまた申し 金のほしさよ

これは「それにつけても金のほしさよ」の原型だろうか。

> 呉竹の 世の人なみに 松立てて やぶれ障子を はるはきにけり

> 世の中は なにか常なる 飛鳥山 きのふの花は けふさくらん坊

> 遠乗りの 馬二三匹 隅田川 疲れたりとも 花につなぐな

> 黒髪も いつか素麺 としどしに 七夕のうた 詠むとせしまに

普通の和歌もあるはずだと探してみるが、

> 隅田川 堤の桜 咲く頃は 花の白波 寄せぬ日ぞなき

普通だ。うっかり普通の和歌を詠んだという感じ。

> あらたまの としのはじめの 初声は 春駒よりも ましらふの鷹

ましらふは「真白斑」。

> 鳥が鳴く 東の日枝の 山桜 咲くやゆたかに にほふ春の日

「鳥が鳴く」は「東」の枕詞なのでしゃれではない。
「東の日枝」とは要するに上野の東照宮のこと。
さすがに江戸っ子の幕臣、家康をネタに狂歌は詠めなかったようだ。

> たらちねの 手織りの羽織 常に着て 綿よりあつき 恵みをぞ思ふ

「ある人母の手織りの羽織の裏に歌を請う」とある。
これまたふざけるわけにはいかない。

> この春は 八重に一重を こきまぜて いやが上野の 花ざかりかな

どうして一ひねりしたがるのかなこの人は。
普通に詠めば良さそうなものだ。
この歌も、

> この春は 八重に一重を こきまぜて 上野の山の 花ざかりかな

とかすれば普通に和歌になる。
「こきまぜて」は歌語である。ただの口語ではない。
ただ上のようにするとあまりにも普通である。
つまらなく陳腐である。
蜀山人も自覚していただろう、
自分がまじめな歌を詠むと陳腐なありきたりの歌になってしまうことを。
だからついオチをつけてしまいたがるのではなかったか。
もともと狂歌を詠むのは得意だったからいつの間にかそちら専門ということになった。
もとはまじめな人なのだ、おそらくは。
ものすごく勉強した人だから、つい昔の歌をもじってしまう。
しかし自分のオリジナルの歌がなかなか詠めない焦り。
おそらく私生活もごく平凡な人だっただろう。
波瀾万丈からは遠い、江戸後期のいたって平和な江戸市中の暮らし。
漢詩や漢文だとまじめくさっていても別に変じゃないが、
古文であろうとも日本語でまじめなこと言うと照れくさい。
ついふざけたくなる。親父ギャグ言いたくなる気分。そういう気持ちだろうと思うが。

> たれをかも 仲人にせん 高砂の 松もむかしの 茶飲みともだち

> 豆腐売る 声なかりせば 朝顔の 花のさかりは 白川夜船

狂雲集

一生受用米銭吟 
恥辱無知攪万金
勇色美尼惧混雑 
陽春白雪亦哇音

狂雲真是大灯孫
鬼窟黒山何称尊
憶昔簫歌雲雨夕
風流年少倒金樽

まだ良く調べてないのだが、一休の漢詩集。
wikiによればこの中に

> 門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

という和歌があってこれのみが、一休の真作と認められているらしい。

まあ、和歌はともかくとして漢詩の方はどうやらかなりきっちり作られた七言絶句で、
韻を律儀に踏んでるし、平仄もまともである。
かなりの使い手と言っていい。
内容がかなり破戒的だから韻律的には完璧を期したか。

ググってみた感じでは、流通している本が書き下しのものばかりのようで、
群書類従にオリジナルがあるそうだから今度見てみなくては。
群書類従は大きな図書館にはたいていあるから助かるわな。
日本外史も書き下ししか出回ってないが、それはそれとして、
漢詩は白文がないとどうにもならんわな。

古今夷曲集

一休の和歌は「古今夷曲集」などにかなりの数採られているのだが、真作なのか。
これに採られている西行、慈円、道元、沢庵の和歌というのも同様だ。
中には松永貞徳や木下長嘯子のような普通に有名な歌人も混ざっている。
鎌倉時代の西行や道元や慈円、室町時代の一休の真偽はあやしいとして、
貞徳、長嘯子、沢庵は同世代の人だから真作かもしれん。
うーん、油断がならん。

「古今夷曲集」は生白庵行風という僧が編んだ日本初の狂歌集だということで、
それはそれなりに貴重なものだ。
行風は後水尾天皇とだいたい同世代、江戸初期の人。
「後撰夷曲集」「銀葉夷歌集」などの歌集も選んだようだ。

> 和歌は情淳にして風情をかざり、夷歌は俗語をもきらはず、心ただしく理にかなふをもはらとせり

なかなか良いことを言っている。
もともとは狂歌とは言わず、夷歌と言ってたというところが興味深い。
一休の号が狂雲であるので、もしかするとその影響で狂歌と呼ばれるようになった可能性もあるわな。

少なくとも行風自身の名がついている歌は真作だと考えてよかろう。
貞徳の歌が割と多いのは直接の知り合いだったからかもしれん。

一休

> 餅つかず しめかざりせず 松たてず かかる家にも 正月は来つ

うーん。
どうなのかこれは。

行風

> ともすれば 花の顔さへ 打ちちらす 風の手ぐせを 直してしがな

これは、たしかに狂歌ではあるが、ぎりぎり和歌と言えなくもない。
できも悪くない。

行風

> 野にたてる 夜風ひきてや 撫子の はなたれたりと 見ゆる朝露

これも斬新で良い。
風邪引いてはなを垂れるとかけているわけだ。

長嘯子

> 人ごとに 腰折れ歌を 詠みおきて あたら桜を 杖にこそつけ

ひどい歌だな。

宗祇

> ものごとに たらぬたらぬと 思ふこそ まよふ心の 作りやまひよ

本物なのか。

海老の絵に詠める
沢庵

> いかばかり えびを取り食ふ 報いあらば つひには老いの 腰やかがまん

ばかばかしいな。

布袋絵の賛に
沢庵

> この袋 あけてみたれば 何もなし 何もないこそ 何もありけれ

法然

> 口にある 南無阿弥陀仏の 味はひを 自力の人は 食ひ知らぬなり

法然

> ありがたや 障りのおほき 女人をば 弥陀ひとりこそ たすけましませ

本物なのか。

弘法大師

> 今ははや 後世の勤めも せざりけり 阿吽の二字の あるにまかせて

良く出来た偽物だな。

一休

> 作りおく 罪の須弥ほど あるなれば 閻魔の帳に 付けどころなし

一休

> 嘘をつき 地獄に落つる ものならば 無き事作る 釈迦いかがせん

一休

> すぐなるも ゆがめる川も 川は川 仏も下駄も 同じ木の切れ

一休

> たぞにたぞ たぞたぞにたぞ たぞにたぞ たぞにたぞとて 何もなきかな

おまえは誰だといろんな人に問い詰めた結果何もなかったということか。

うーん。釈教歌がやたらと多いな。
ありがたく使わせてもらうか。

増税

増税は悪い困る庶民が暮らしにくくなるという報道ばかりがなされる。
報道というものはそういう印象操作であってよいのか。
ちゃんと国会で審議されて法律が通っているのになぜそれをわざわざ蒸し返すのか。

増税に反対する人がいれば、
賛成する人もいる。
両者の意見を採り上げないのであればそれは公正な報道とは言えないのではないか。
いや、増税するのは官僚の利権であるとか、
政治家の秘密財源となるからだという。
庶民には決して還元されないのだという。
ほほう、なるほど、それは一見「良く訓練された納税者」の意見のようにみえるが、
マスコミが言っていることをオウム返しにしているだけではないのか?
マスコミがそういう一方的な事ばかりいうから反対側の発想が生まれてこない脳になっているのではないのか?
ちゃんと自分の頭で考えたのか。
税とは何か。

いやそれはおまえが政府陰謀論に対抗してマスコミ陰謀論をぶちたいだけだろと思われるかもしれない。
阿倍政権の肩を持つのもいい加減にしろと思うかもしれない。
そう思いたければ思うがいい。
そういう貧困な発想しか自分の脳から出てこないのが不幸だということに気づくまでは。
いや一生気づかないかもしれないが。
マスコミ以外のところから知識を脳にストックしないと、
そもそもストックされてもいないアイディアが出てくることはない。

そこらへんの子供を見てみたまえ。
まだ収入もなく納税もしていない子供のくせに増税ガー、といっている。
子供の言うことはすべてテレビのうけ売りだ。
ただの脊髄反射だ。
テレビが一斉に同じことを言い出すと子供はそのまんま信じる。
ちゃんと経済や政治について教育を受けてない年よりもそうなる。
頭を使わないとそういう意見になる。
同じ理由で日本は日中戦争に突入し大東亜戦争に発展したのではないのか?
戦争に反対すれば戦争は防げるのか?

子供でも増税に反対することはできる。
私たちは大人だ。
タックスペイヤーだ。
納税してない人たちのことまでは知らん。
一応働いて納税している一人の人間として言わせてもらえば、
増税すべて悪いと言う論調は迷惑だし、
政治家と官僚の陰謀だというパブロフの犬的な反応しかできない大衆が不憫だ。
実は日本という国はすごく馬鹿になりつつあるのかもしれない。
或いは、利口な人たちはますます寡黙になりつつあるのかもしれない。
それはどちらも決して良くないことだ。

納税することによって納税者の収入は減るが国の収入は増える。
プラスマイナスゼロだ。
誰が得する損するという単純な話ではない
(最近は共産主義者ですらそういう物言いはしないようだが、北欧型社会福祉国家とはようするにそんなもんだよな)。
誰だって自分の資産を投資する。
預金する人もいれば株を買う人もいる。
我々納税者は国に出資をしてインフラを整備してもらい社会保障してもらう。
役人や代議士を雇って政治をしてもらう。
いわずとしれた社会契約説だ。

だから、納税者というのは株主のようなものだ。経営者のようなものだ。
あんがい社会契約説も株式会社というのも根っこは同じだろう。
市民革命はオランダ独立と市民革命あたりから出てきたとかいろいろ言われるが
(アメリカ独立戦争は明らかにオランダ独立戦争の影響を受けている)、
東インド会社が出来たのと同じころだ。
株式会社を経営するのと同じ発想で国家を運営しようという、ただそれだけのものではなかろうか。

株主は配当金も欲しいだろう。しかし可処分所得を減らしてでも投資したいと考えるかもしれない。
納税者は国がどこからどのくらい税を集めてどこへ使うかということを考えるべきだ。
そういう発想を前提としてなければ要するに中世と同じじゃないか。
マスコミはもう少し出来る子だと思っていた。
非常に残念だ。

藤原為家

俊成の子が定家で、定家の子が為家なのだが、
為家は今までノーマークだったのだが、割と歌がうまい。
この三人、いずれも勅撰集の選者となった。
選者を三代独占したわけである。
かなりやばいことである。

俊成は感覚的な抒情的な歌を詠む。
定家は研究成果を実作として試してみましたみたいな固い歌を詠む。
為家は定家ほど固くない。
俊成や定家のいいとこ取りしたような優美な歌を詠む。
悪くない。
決して凡庸な三代目ではない。

結局、為家から二条派とか京極派とか冷泉家とか歌道の諸派や家というものがみな分かれていくわけである。
為家は知名度のわりにはかなり重要なロールプレイヤーでありキーストーンだと思う。
親子三代続く家系というのは後世に大きな影響を及ぼす。
伊豆の北条早雲・氏綱・氏康も三代英主であった。
菅原道真も博士を世襲したというが、父や子の名は知られてない。
紫式部も娘や孫娘も物語を書いたわけではない。
もし書いてたとしたら日本古典文学はどれほど違ったものになっていたことか。
貫之の子や孫が歌の名人だったらどうなったことか。

ともかく、俊成・定家・為家の親子三代はやばい。
過大評価されてもおかしくない。
日本文学を呪縛しているといってもよい。
もちろん彼らに負うところも大きいわけだが。

この三代の中では定家が一番名高いのだが、たぶんだが、歌が一番うまかったせいではなかろうと思う。
後鳥羽院が俊成より定家の方が良いなどと褒めたものだから、定家が一番良いことになっているが、
まあ、そういうふうに見える面もあるというだけ。
定家は膨大な日記を遺しているが、後世の学者はそういうのが好き。
万葉集も研究した。
歌も理屈で出来ている。
後世の人はそういう人の方が理解しやすい。
後鳥羽院も新古今集もわりと理屈で理解できる。
新古今は、あれはただ難しそうに見えるだけで、ある程度知識があればすらすらわかってしまう。
しかし、古今はわからない。
情報量が圧倒的に足りないからだ。
ぱっと見、わかりやすそうだが、調べれば調べるほどわからなくなる。
わかってないやつらがよってたかっていじり散らしているせいで余計手がつけられない。
新古今は積み上げ教育すればわかる。
調べるほどにわかってくる。
だから学者はそれが楽しくて仕方ない。

俊成や為家は理屈で説明つかない。
西行や和泉式部も説明つかない。
古今集はいろいろ理屈をつけようとして失敗している。
評論家は説明しやすい人が好きに決まってる。文章書きやすいから。
説明できないことを無理矢理説明する人もいるがそういうのはただのエッセイだからほっとけばいい。
でまあ、評論家が高く評価する人を世間の人はどうしても偉い人だと思ってしまう。
仕方ないことではあるが、それもまた文学というものをゆがめていると思うよ。

つまり何がいいたいかといえば、後鳥羽院や定家などは現代の評論家や学者には受けがよい。
ただそれだけだと思う。
頭で歌を詠んだという意味では紀貫之に近い。

この、俊成・定家・為家三代の周囲には強烈な重力場が存在していて時空をゆがめている。
後世の古今伝授や附会などの淵源もまたここにある。

定家の時代にはすでに仮名遣いが乱れていた。
発音と表記が乖離を始めていた。
古典文法が不安定にゆらぎはじめた。
日本古典文学の中で書き言葉と口語がほぼ理想的な形で一致していたのは、
やはり紫式部や赤染衛門、和泉式部の時代だ。
つまりは藤原道長の時代。
摂関政治の絶頂期。
日本語という言語に非常に厚みができた。質も高かった。
だから「正書法」が生まれ得た。日本語におけるサンスクリット、ラテン語、コイネーに匹敵する。
だから源氏物語も生まれ得た。
この時代だから。
この時代に勅撰集が編まれなかったのが悔やまれる。
たぶんそんなことをやろうという天皇も公家もいなかったのだろう。
あとは大鏡とか。
まあ読み物としては良いとして、
せっかく日本古典文化の最盛期であったのに。惜しいことである。

古今の頃も良いがまだ古代の雰囲気を引きずっている。
完成度は低い。

だから、古今が良いとか新古今が良いとか言うが、
ほんとは古今と新古今の間、てかもっと精密に言えば、
拾遺と後拾遺の間の和歌、
つまりは和泉式部や赤染衛門の和歌をお手本として和歌は詠むべきであると思う。
和泉式部日記を読むときのあのなんとも言えぬ陶酔感はおそらくそこに由来する。

拾遺と後拾遺の間には長いブランクがあった。
清少納言や紫式部みたいな個人制作はあったが、国家プロジェクトとしての編纂事業がなかった。
官僚や政治家にボトムアップから生まれる文化がわかってないから。
困った時代だ。
今の日本みたいだ(笑)。

古今や新古今を手本にするのは少し曲がる。
まして万葉集などは玄人が参考にするのはともかく初学者は避けた方がよい。
赤染衛門はものすごく平明でよい。
当時の口語にもっとも近い和歌で、仮名遣いにもほとんど乱れがない。
サンプル数も十分にある。
ありがたいことである。
もし数十首しか残ってなければ参考にしたくてもできない。
千近くまとまった数をみれば雰囲気は十分わかる。
それから語彙が広い。
紋切り型の表現がほとんどない。
花鳥風月から日常茶飯、写生から心理描写にいたるまでいろんな歌を詠んでいる。
自由自在な歌だ。
誰の歌にも似てない(検索してもフレーズがほとんど重複しない)。

> 昔より 憂き世に心 止まらぬに 君よりものを 思ふべきかな

> 憂き世には 何に心の 止まるらむ 思ひ離れぬ 身ともこそなれ

こんなふうに同じ気分を別の言い方に変えてる歌がたくさんある。
連作というのとも少し違うわな。
たぶんいくつか歌を詠んでそのうち良くできたやつを二つずつくらい残しているんだよ。
初学者(ただ和歌を学ぶというのではなく和歌を自分で詠もうという人)にはこういうのがありがたい。
良いエクセサイズになる。
赤染衛門が歌の推敲や添削をする雰囲気を味わえるからだ。
ここを起点にして古今や新古今を学び、万葉や近世の和歌を学べばいいと思う。

今から思うと明治天皇御製は江戸時代の庶民の和歌、
つまり堂上和歌ではなく、香川景樹あたりの桂園派の流れをくむから、
初学者にわかりやすかったのだと思う。
江戸時代にも文学の厚みがあった。その産物なのだ。
私がそうしたように、そこから始めるという手もあるかもしれん。

ひとつの仮説

> 飲む前は飲まじと思ふ 飲めばとくやめんと思ふ されどすべなし

特に最近の傾向だが、
酒を飲まずにいると血圧が 99-65 とかになる。
普通に低いのではなく、
アンカロンやアーチストなどの薬によって心臓を強制的に休ませているせいではないか。

だが、酒を飲んだ翌朝は 139-95 とかになる。
約40跳ね上がる。
この効果は約2日続いてまた血圧は下がる。

血圧と血中アルコール濃度に明らかな相関がある。
人間の体はみんなそういうもんかというとそういうわけではなく、
アルコールを飲むといったん血圧は下がるものである。
そこからやや上昇するということはあってもここまで極端ではない。

それから、酒をしばらく飲まずにいると、
何もしないのに体重は減少もしくは維持する傾向がある。

それでまあ一つの仮説なのだが、
薬を飲んで血圧が 99 くらいになっていて酒を飲んでさらに血圧が 80 とか 70 に下がろうとすると、
私の体はこりゃ大変だということで一生懸命無理に血圧を上げようとする。
同時にLDLコレステロールを大量合成して血中コレステロール値を上げてしまう。
コレステロールを合成しすぎるのは体に良くないがこの際血圧を維持するためには仕方ない。

さらに、ものを食べずに酒を飲むとさらに血圧が下がるというので、
体は余計にカロリー消費を抑制して、余計に痩せなくなる。

つまり、薬と酒の作用で私の体は飢餓状態・病気の状態と勘違いして、
いくら痩せよう、コレステロール値を下げようと思い、食事制限をしたり歩いたりしても、そうはならないのである。
だから体全体は痩せてきても最後まで腹の脂肪が落ちないのだ。
次の血液検査まで酒を抜いてみよう。
今までは検査の前日だけ酒をやめていた。それではだめなんだろう。
それでコレステロール値が下がっていれば、
まずその仮説で間違いないのではなかろうか。

寝る前に毎日ちびちび養命酒を飲む、という飲み方は案外間違いではないかもしれないが、
そもそもそんな飲み方は私にはできない。

異同歌

> 我が背子に またも逢はむと 思へばか 今朝の別れの かなしかりつる

> 我が背子に または逢はじと 思へばか 今朝の別れの すべなかりつる

明らかに同じ歌であるが、微妙にニュアンスが違う。
こういう歌が、調べ出すとかなりたくさんある。
最初のがおそらくはオリジナルだが、
二番目のほうが明らかにできがよい、と思う。

> 春立たば 咲かむと思ひし 梅の花 めづらしみにや 人の折るらむ

> 春立たば 咲かむと思ひし 梅の花 めづらしげにや 人の折るらむ

> 春立たば 咲かばと思ひし 梅の花 めづらしみにや 人の折るらむ

いずれも貫之の歌。
真ん中が現代人には一番わかり良いが、
三番目のが一番オリジナルに近いか。

こういうのは改変かもしれないしそうでははないかもしれん。
特に古い、詠み人しらずの歌などはそもそも異同歌があって当然だろう。
貫之のも詠草がそのまま残ったのかもしれんし。
後で変えたのかもしれんし。
或いは単なる転記ミスかもしれん。

赤染衛門

赤染衛門集を一通り読んだ。
実に不思議な歌を詠む人だ。
普通、歌とは、花鳥風月や春夏秋冬、恋や別れなどの、浮き世離れしたことを詠むものである。
ある意味やんごとなき、高尚なものであるという認識がある。
西行も「花鳥風月に感じて三十一文字をなす」というような言い方をしている。
紀貫之が屏風歌職人であったように、
古今集の時代から歌は「文芸」であると考えられていた。
当たり前のようだが、当たり前ではない。
万葉時代には歌は芸能、芸事というよりは、娯楽とか、余興に近かったはずだ。
今で言えば歌謡曲に近い。
江戸時代の都々逸には近いだろう。狂歌と言ってしまうとまた違う。
ある意味漫才や落語にも近かったと思う。

彼女の時代、歌と話し言葉にはほとんど違いが無い。

赤染衛門が「発掘」されたのは後拾遺集であるが、
彼女の時代はそれより少し前の、藤原道長や紫式部の時代である。
この時代までは、こういう素朴で野卑な歌を詠む人はざらにいたのだろう。
しかし身分が低すぎて、自分で歌集を遺したりしない。
そういう歌をわざわざ蒐集する人もいない。
だけど、赤染衛門は大江匡衡の妻だったから歌を記録してもらえた。
さらに後拾遺集の選者は変わり者だったから、
和泉式部や相模などの、
普通の勅撰集の選者ならば選ばないような歌を選んだ。
或いは白河天皇がそういう趣味の人だったかもしれない。
祇園女御と出会う前からそういう人だったのかもしれない。
いくつかの偶然が重なって赤染衛門の歌は奇跡的に後世に残った。

[やまとごころ](/?p=3987)にも書いたが、
後拾遺集

乳母せんとて、まうで来たりける女の、乳の細く侍りければ、詠み侍りける
大江匡衡

> はかなくも 思ひけるかな ちもなくて 博士の家の 乳母せむとは

かへし
赤染衛門

> さもあらばあれ 大和心し かしこくば ほそぢにつけて あらすばかりぞ

有名な話である。
匡衡は学者である。
博士である。
一方赤染衛門はおそらく浪速の肝っ玉おばちゃんみたいな、地頭(じあたま、ね)はすごいが、
教養はもともとない人だっただろう。
だから上のようなやりとりが生まれた。
漫才のようなものだ。
現代人がそのニュアンスを感じとることは絶望的に不可能だろう。
つまり、当時の雅語は現代人でもある程度理解できる。
しかし当時の自然な話しぶり語り口で赤染衛門のような歌を詠むのは、現代人にとっては自然どころではない。
超絶技巧である。
後世、歌語が口語から遊離してしまうと、歌語は人々にもはや教養としてしか理解できなくなってしまう。
教養であるから技巧によって、理屈によって歌を詠むことになる。
理屈抜きで自然に歌を詠むなんてことはできない。
それは技巧ではない。
超技巧である。
理屈が理屈でなくなるまで技巧をこらし技巧を極めて初めて到達できる、天衣無縫の境地。

「やまとごころ」という言葉が大鏡や源氏物語に出てくるように、
そして赤染衛門以外の人がほとんど歌に使ってないように、
「やまとごころ」は雅語ではない。
たぶん庶民が使う話し言葉だった。
学問をして身に付ける漢才とか、花鳥風月をもてあそぶ雅びな教養とは違う。
それこそ「浪速の肝っ玉」それが「やまとごころ」だったはずだ。

江戸後期になると小沢蘆庵が「ただごと歌」というのを始める。
良寛もそれに近い歌を詠む。
小沢蘆庵に影響を受けた香川景樹も、地下らしい素朴だが力強い歌を詠む。
庶民が歌を詠み始めた証拠であろう。
庶民の歌が復活するまでに、赤染衛門から七百年もかかったのだ。

赤染衛門が珍しいのではない。
現代人にはそう見えるだけなのだ。
彼女の時代には彼女のような庶民の歌の方が圧倒的に多かった。
しかし後世に遺されたのは一部の貴族が詠んだ歌だったのだ。

> 踏めば惜し 踏まではゆかむ 方もなし 心づくしの 山桜かな

千載集に載った、ぎょっとするほど美しい歌だが、
勅撰集には何千という赤染衛門の歌の中でもこういう特に歌らしい歌しか採られていない。
つまり、浪速のおばちゃんがごくまれにがらにもなく上品な言葉をぽろっと言ったりする。
それをわざわざ拾い上げて勅撰集に入れた。
俊成はもちろんわかった上でそうした。
しかし俊成より後の人はもうわからない。
在野の、庶民的な歌人はまもなく絶滅してしまうからだ
(俊成や西行は赤染衛門にかなり近いタイプの歌人だったと思う。
感覚的直感的に歌を詠む人、ただし洗練された教養を身に付けているが)。
赤染衛門というのは、とても雅びな女流歌人のように思ってしまう。
たぶんそれは赤染衛門の実態ではない。

> やすらはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

後拾遺集に採られ、百人一首にも採られたこの有名な歌。
風流きわまりない。
しかしそれは赤染衛門の実像ではない。
なんという大誤解!
真淵は「やまとごころ」という言葉を国学的に読みかえた。
近世や現代の人はこれほど古代や中世のことがわからんのだ。

恋の歌をみると良くわかるとおもうのだが、
彼女の場合剽軽な詠み口に味があるので、
よくよくみると深みがない。
ひねりがない、とも言える。

> この世より 後の世までと 契りつる 契りは先の 世にもしてけり

この歌など、ただの頓知だ。
ぞんざいに言い放っている。
歌という感じがあまりしない。
と、考えると他の、百人一首の歌なども同じような調子に思えてしまうのだ。
和泉式部の

> あかざりし 君を忘れむ ものなれや ありなれ川の 石は尽くとも

あるいは実朝の

> かもめゐる 荒磯の州崎 潮満ちて 隠ろひゆけば まさる我が恋

のような気の利いた比喩や暗喩表現は、赤染衛門には見られない。
情景描写も見事だが、ただ見たままをうまく歌ったとも言える。
和泉式部もあんまりもって回った表現はしないが、
赤染衛門に比べれば多少の技巧はある。

> 都にて あひ見ざりしを つらしとは とほき別れの 後ぞ知りける

> 忘れじと かたみに言ひし 言の葉を たがそら言に なして良からむ

> つらしとも 思はぬ人や 忘るらむ 忘れぬ我は なほつらきかな

> 忘れなば 我も忘るる わざもがな 我が心さへ つらくもあるかな

> 起きて伏し 伏しては起きぞ 明かしつる あはれやすぐや 人は寝つらむ

> 飛鳥川 淵こそ瀬には なると聞け こひさへふなに なりにけるかな

飛鳥川は淵が瀬になるほど流れが激しくて変わりやすいが、ならば鯉(恋)も鮒になるだろうと。
単なるだじゃれである。

> 我が歎く 心のうちを 記しても 見すべき人の なきぞかなしき

昔のつぶやき

2009年頃のつぶやきなんだが、
今更検索しても出てこないのでここに再掲する。
我ながらすっかり忘れている。

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勅撰集編纂

再び[民葉和歌集](/?page_id=4504)編纂にはまり始めたのだが、
一応これは、新続古今和歌集で途絶えた21代にわたる勅撰集を孝明天皇が復興して、
つまり22代目の勅撰集を作るという設定で私個人が歌を集めているわけ。
[仮名序](/?page_id=4505)によれば万延元年十二月三日(西暦1861年1月13日)奏覧という設定で、
なんで万延元年かと言えば、良く覚えてないが、
安政の大獄があって桜田門外の変があった直後ということで、
たぶん水戸浪士の歌まで入れちゃおうという気分だったと思う。
ただし私が詠んだ歌は万延元年より当然後で、
選者である田中久三がその時代に生きているはずはないんだが(笑)、
そこはフィクションとして許してもらう。
むろん江戸時代に詠んだとしておかしくない歌だけを入れている。
なぜ孝明天皇にしたかというと、たまたま孝明天皇の御製集を読んでいた時期だったからとしか言いようがない。
最初は明治天皇が勅撰集を編纂したらという企画だったが、時代が新しすぎる。
だって石川啄木とか若山牧水とか与謝野晶子まで入ってきてもうわけわかんなくなる。
孝明天皇は万延の後、文久、元治、慶応と存命だったから、も少し後にずらすこともできた。
しかし、万延元年より下るともう完全な幕末維新となって、
有象無象な武士の歌が沸いてくる。
それも私には何か気持ち悪い気がする。

まあそれは今となってはどうでもよくて、
1438年から1861年までの和歌ならどれを入れてもよい。
1438年以前の歌でも、21代集に採られてない歌ならどれを採ってもよい。

近世の歌、後水尾天皇以後の歌で十分数がそろうかと思ったらそうとも言えない。
もっとちゃんと探せば良いんだろうが、良い歌人の良い歌だけ選ぼうと思うとなかなか無い。

それで応仁の乱より前の良い歌というのはたいてい勅撰集に採られてしまっている。
新葉集にも良い歌がたくさんあるが、これも南朝の勅撰集であるからには、ここから採るわけにはいかぬ。
万葉集や新選万葉集などが勅撰集ではない根拠は何もないのだが、
一応、古今集以来の(実際には後拾遺集から確立したと考えられる)やり方で歌を選んでみる。
つまり万葉集の歌はすでに勅撰集に採られていないかぎり自由に採ってよい。

それで[和歌データベース](http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_kigo_search.html)
で検索かけながら、
勅撰集にもれた古い歌を探しているのだが、
これが割とあるのである。

俊成、定家はめちゃくちゃたくさん歌を詠んだので取り切れてないよい歌がまだだいぶある。
多作の人ほどまだまだ採れる。
後鳥羽院とか順徳院もまだ余裕あると思う。
和泉式部も多作だ。

亀山院もたくさん歌詠んでるんだが、割と良い。
亀山院の秀歌はほとんど勅撰集にはもれているように思われる。

宗良親王も新葉集に入りきらないほどたくさん歌を詠んでいて、
梨花集というのに入っているのだが、今回きちんと読んでみるとなかなか良い歌が多い。

良い歌だなと思いデータベースで検索かけるとすでに勅撰集に採られていた、
なんてことはよくある。
惜しいなと思うと同時に、自分の目利きもまんざら間違ってないと思えるのだ。
たとえば、

> 年を経て 燃ゆてふ富士の 山よりも あはぬ思ひは 我ぞまされる

これは寛平御時后宮歌合のよみ人知らずの歌で、新選万葉集には

> 年を経て 燃ゆなる富士の 山よりは 飽かぬ思ひは 我ぞまされる

と出る。
寛平御時后宮歌合の歌で古今集に採られてない歌はたいてい後世忘れ去られている。
しかしなんと詞花集に採られているのである。

藤原俊頼もものすごくたくさん詠んでいるんで、
たいてい漏れているのだが、

> 秋来れば 宿に泊まるを 旅寝にて 野辺こそつねの すみかなりけれ

これは千載集に採られている。
やられた。

大江千里

> うぐひすの 鳴きつる声に 誘はれて 花のもとにぞ 我は来にける

これは後撰集。

> 照りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の おぼろ月夜に しくものぞなき

これは新古今。

> 暑からず 寒くもあらず 良きほどに 吹きける風は やまずもあらなむ

これ、大江千里なのか山辺赤人の歌なのかどっちかわからん。

> 神さびて ふりにし里に 住む人は 都ににほふ 花をだに見ず

これ、後撰集には「宮づかへしける女の、いその神といふ所にすみて、京のともだちのもとにつかはしける」と詞書きがあって、詠み人知らず、
新勅撰集には赤人(あの藤原定家が重複して歌を採るなんて!)、
また大江千里の歌集にも見える。

> あと絶えて しづけき宿に 咲く花の 散り果つるまで 見る人ぞなき

これは新千載集。
惜しい!

勅撰集にもれた歌をこれは良いこれは悪いと選別する作業は、
たぶんかなり難易度が高いタスクだと思う。
普通の人は百人一首や勅撰集の歌だけ見て、貫之が選んだから、
定家が選んだから、
勅撰集に採られているんだから良い歌だと考えるだろう。
そこには当然判断停止がある。
自分で歌を詠んでみて、さらに自分で勅撰集を選んでみて、
初めて見えてくるものがある。
そうして初めてものすごく、真剣に和歌と向き合える。
昔の選者たちの気持ちがわかる気がしてくるのである。
自分の目利きが正しいかどうかなんてことはわからん。
そもそも「正しい」とか「正しくない」なんてことは一意には決まらない。

何度も書いていることだが、
なぜ後水尾院は(類題集ではない)勅撰集を復活させなかったか。
なぜ明治天皇は勅撰集を復活させなかったのか。
いまだに不思議に思っている。