俊成の子が定家で、定家の子が為家なのだが、
為家は今までノーマークだったのだが、割と歌がうまい。
この三人、いずれも勅撰集の選者となった。
選者を三代独占したわけである。
かなりやばいことである。
俊成は感覚的な抒情的な歌を詠む。
定家は研究成果を実作として試してみましたみたいな固い歌を詠む。
為家は定家ほど固くない。
俊成や定家のいいとこ取りしたような優美な歌を詠む。
悪くない。
決して凡庸な三代目ではない。
結局、為家から二条派とか京極派とか冷泉家とか歌道の諸派や家というものがみな分かれていくわけである。
為家は知名度のわりにはかなり重要なロールプレイヤーでありキーストーンだと思う。
親子三代続く家系というのは後世に大きな影響を及ぼす。
伊豆の北条早雲・氏綱・氏康も三代英主であった。
菅原道真も博士を世襲したというが、父や子の名は知られてない。
紫式部も娘や孫娘も物語を書いたわけではない。
もし書いてたとしたら日本古典文学はどれほど違ったものになっていたことか。
貫之の子や孫が歌の名人だったらどうなったことか。
ともかく、俊成・定家・為家の親子三代はやばい。
過大評価されてもおかしくない。
日本文学を呪縛しているといってもよい。
もちろん彼らに負うところも大きいわけだが。
この三代の中では定家が一番名高いのだが、たぶんだが、歌が一番うまかったせいではなかろうと思う。
後鳥羽院が俊成より定家の方が良いなどと褒めたものだから、定家が一番良いことになっているが、
まあ、そういうふうに見える面もあるというだけ。
定家は膨大な日記を遺しているが、後世の学者はそういうのが好き。
万葉集も研究した。
歌も理屈で出来ている。
後世の人はそういう人の方が理解しやすい。
後鳥羽院も新古今集もわりと理屈で理解できる。
新古今は、あれはただ難しそうに見えるだけで、ある程度知識があればすらすらわかってしまう。
しかし、古今はわからない。
情報量が圧倒的に足りないからだ。
ぱっと見、わかりやすそうだが、調べれば調べるほどわからなくなる。
わかってないやつらがよってたかっていじり散らしているせいで余計手がつけられない。
新古今は積み上げ教育すればわかる。
調べるほどにわかってくる。
だから学者はそれが楽しくて仕方ない。
俊成や為家は理屈で説明つかない。
西行や和泉式部も説明つかない。
古今集はいろいろ理屈をつけようとして失敗している。
評論家は説明しやすい人が好きに決まってる。文章書きやすいから。
説明できないことを無理矢理説明する人もいるがそういうのはただのエッセイだからほっとけばいい。
でまあ、評論家が高く評価する人を世間の人はどうしても偉い人だと思ってしまう。
仕方ないことではあるが、それもまた文学というものをゆがめていると思うよ。
つまり何がいいたいかといえば、後鳥羽院や定家などは現代の評論家や学者には受けがよい。
ただそれだけだと思う。
頭で歌を詠んだという意味では紀貫之に近い。
この、俊成・定家・為家三代の周囲には強烈な重力場が存在していて時空をゆがめている。
後世の古今伝授や附会などの淵源もまたここにある。
定家の時代にはすでに仮名遣いが乱れていた。
発音と表記が乖離を始めていた。
古典文法が不安定にゆらぎはじめた。
日本古典文学の中で書き言葉と口語がほぼ理想的な形で一致していたのは、
やはり紫式部や赤染衛門、和泉式部の時代だ。
つまりは藤原道長の時代。
摂関政治の絶頂期。
日本語という言語に非常に厚みができた。質も高かった。
だから「正書法」が生まれ得た。日本語におけるサンスクリット、ラテン語、コイネーに匹敵する。
だから源氏物語も生まれ得た。
この時代だから。
この時代に勅撰集が編まれなかったのが悔やまれる。
たぶんそんなことをやろうという天皇も公家もいなかったのだろう。
あとは大鏡とか。
まあ読み物としては良いとして、
せっかく日本古典文化の最盛期であったのに。惜しいことである。
古今の頃も良いがまだ古代の雰囲気を引きずっている。
完成度は低い。
だから、古今が良いとか新古今が良いとか言うが、
ほんとは古今と新古今の間、てかもっと精密に言えば、
拾遺と後拾遺の間の和歌、
つまりは和泉式部や赤染衛門の和歌をお手本として和歌は詠むべきであると思う。
和泉式部日記を読むときのあのなんとも言えぬ陶酔感はおそらくそこに由来する。
拾遺と後拾遺の間には長いブランクがあった。
清少納言や紫式部みたいな個人制作はあったが、国家プロジェクトとしての編纂事業がなかった。
官僚や政治家にボトムアップから生まれる文化がわかってないから。
困った時代だ。
今の日本みたいだ(笑)。
古今や新古今を手本にするのは少し曲がる。
まして万葉集などは玄人が参考にするのはともかく初学者は避けた方がよい。
赤染衛門はものすごく平明でよい。
当時の口語にもっとも近い和歌で、仮名遣いにもほとんど乱れがない。
サンプル数も十分にある。
ありがたいことである。
もし数十首しか残ってなければ参考にしたくてもできない。
千近くまとまった数をみれば雰囲気は十分わかる。
それから語彙が広い。
紋切り型の表現がほとんどない。
花鳥風月から日常茶飯、写生から心理描写にいたるまでいろんな歌を詠んでいる。
自由自在な歌だ。
誰の歌にも似てない(検索してもフレーズがほとんど重複しない)。
> 昔より 憂き世に心 止まらぬに 君よりものを 思ふべきかな
> 憂き世には 何に心の 止まるらむ 思ひ離れぬ 身ともこそなれ
こんなふうに同じ気分を別の言い方に変えてる歌がたくさんある。
連作というのとも少し違うわな。
たぶんいくつか歌を詠んでそのうち良くできたやつを二つずつくらい残しているんだよ。
初学者(ただ和歌を学ぶというのではなく和歌を自分で詠もうという人)にはこういうのがありがたい。
良いエクセサイズになる。
赤染衛門が歌の推敲や添削をする雰囲気を味わえるからだ。
ここを起点にして古今や新古今を学び、万葉や近世の和歌を学べばいいと思う。
今から思うと明治天皇御製は江戸時代の庶民の和歌、
つまり堂上和歌ではなく、香川景樹あたりの桂園派の流れをくむから、
初学者にわかりやすかったのだと思う。
江戸時代にも文学の厚みがあった。その産物なのだ。
私がそうしたように、そこから始めるという手もあるかもしれん。