この年まで立ち飲み屋とか居酒屋とか焼き肉屋ばかり開拓してきたので、
いざ食事をしようとしてもどこも知らない。
もしかしたら自分に合った料亭とかあるのかもしれんが、まったくしらん。
しらんものはしらん。
投稿者: kelvint
シチリア
ノルマン人がシチリアを征服したときにシチリアはすでにアラブ人とギリシャ人による海運立国であり、同じ海洋民族でもありかつ傭兵でもあったノルマン人がその支配者として乗っかった形になったのだと思われる。
ノルマン人の数はおそらくそんなに多くはなく、
太守や提督という仕事はだいたいがアラブ人、ギリシャ人などの豪族。
現地人もほとんどはアラブ人とギリシャ人。
なんのことはない、ギリシャ人やフェニキア人が地中海を支配していたころと住民には大差がないのだ。
言われているように、ローマ教皇がノルマン人に命じて南イタリアやシチリアを征服させたのではなかったのではないか。
ノルマン人が自然と現地のギリシャ人やアラブ人と抗争しつつも宥和していって、
その支配者となった、というあたりが真実ではないか。
イスラム教国が急にキリスト教国に切り替わった、
というようなドラスティックなものではなかったはずだ。
どうようにそれは第一次十字軍で成立したイェルサレム王国やアンティオキア公国などでも同じだったはずだ。
のちのイベリア半島のレコンキスタも、実は徐々にイスラムからキリスト教に切り替わっただけではないのか。
オスマン帝国でもキリスト教徒とイスラム教徒が混在していた。
ヨーロッパ側からの史観では、そういう構図が見えにくい。
南イタリアはともかくとして、シチリアは、
ノルマン人が征服したが実質アラブ人の国であったと見ても不思議ではなく、
キリスト教国から見ると実際そのように見えただろう。
だから、神聖ローマ皇帝による十字軍が派遣されたりもした。
産業は、もっぱら海運、それから聖地巡礼などの観光業だっただろう。
聖地巡礼という風習がキリスト教にあったとは思えない。
もともとはイスラムの風習であって、
イスラムをまねてヨーロッパのキリスト教国がやるようになって、
海運にはアラブ人やノルマン人、ギリシャ人が得意であって、
特にノルマン人の勢力が地中海で伸張した結果、第一次十字軍という結果になった、
と考えるのが自然だ。
当時の地中海は今考えるよりはるかにアラブ人の勢力が強い。
アラブ人を統治できなくてはシチリアを統治することはできない。
イスラムがキリスト教徒の子供を捕まえてきて奴隷にした。
しかしイスラムでは奴隷は大切に扱われるから、
ムスリムとして育てて政治家や戦士にもなる。
それがマムルークである。
マムルークの逆もあったはずである。つまり、
もともとアラブ人であったが子供の頃にキリスト教徒に育てられて、
のちに戦士になったり、政治家になったりした者が。
マムルークほど有名ではない。
改宗者、などと呼ばれることもあるようだ。
しかし、マムルークと同じくらいにたくさんいたはずだ。
アデレードやロジェールの部下にはそういう連中がたくさんいたはず。
なぜ彼らがノルマン人に従ったのか、ということには注意しなくてはならない。
酒
しばらく昼の三時とか四時くらいから、遅くても五時六時飲み始めるみたいな生活をしていたのだが、
仕事が後ろに移ってきたせいで、飲みに行くにも八時九時となってきた。
そんでいつもの飲み屋をのぞくともうたくさん客がいて、はいりにくい。
あけたばかりのすいてる店のほうが好きなんで、木曜金曜のごちゃごちゃ混んでる店の遅い時間帯とかもう、
自分には合わない気がする。
外で酒を飲んでいても嫌なことばかりなので、もう酒飲むのやめようかなと思うくらいだ。
なんか全然違う良い飲み方があるのかもしれんが、よくわからん。
だんだん良くわからなくなってくる。わかってきたのかもしれないが。
まあ、ふつうの作家も、自分の作品全部が良いできばえだとは思ってないだろうけど、
しばらく時間をおいてみると、
できのよしあしが感じられてくるようになる。
将軍放浪記、将軍家の仲人、エウメネス、巨鐘を撞く者、この四つは、まあおすすめできる。
おもしろいと感じるかどうかは人によると思うが。
基本的に将軍放浪記の流れでできている。
安藤レイと紫峰軒は現代もので、これも好みはわかれるかしれんが、普通に読めると思う。
アルプスの少女デーテ、川越素描、司書夢譚は、
たぶん読みにくい。長編、なんだよね。読んで読めなくはないと思うが。
読みにくくてもおもしろいところだけ拾って読める人にはいいかもしれん。
墨西綺譚は習作なんで、これはもうどうにもしがたい。このまま読んでもらうしかない。
西行秘伝と、古今和歌集の真相は、まあ、悪くはないが、
ここのブログと同じでうだうだだらだら書いている箇所があって、
それもまあ味だと思って読んでもらえればいいんだが、
たぶん読みにくいと思う。
うまい書き方を見つけられてないから書き換えなきゃならないと思うが、
どう書き換えてよいかもわからない状態。
ブログ以上、小説(論説)未満な状態、というか。
スース、遼子、超ヒモ理論に関しては、
こいつらはまあ最初から色モノとして書いたものなので、
自分の中でもどう評価して良いのかわからん。
ここらをどう伸ばしていくかも現時点で決めかねている。
なんか第三者の意見とか参考にしたほうがよいかもしれん。
なんか一度全部出版停止にしたい気にもなるが、
無料キャンペーンでもしない限り売れないし、
ということは読まれもしないわけだから、
しばらく放置ということで良いと思う。
エウメネスと将軍放浪記がたまに忘れた頃に売れるんだが、それも今までどおりで良いと思う。
しばらく頭を冷やしたい気分だ。
TPP
家が農家とかいう人の話聞いてると、特に米なんてのは、一年のうちほんのわずかしか働かないのな。
だいたい夏至くらいに田植えして、秋分くらいに収穫するわけだから、四ヶ月ってところで、
あとは特に何もすることがない。
最近は特に機械化されているからかかる手間なんてあんまりない。
二毛作で大麦とか育てても安すぎて労働力の割にもうかんない。
そうするとまあ、普通に考えて一年の大半は普通のサラリーマンやってて、
稲作の忙しいときだけ農業やる。
有給休暇が年に一ヶ月分くらいありゃたぶんなんとかなっちゃうレベル。
ていうかそういう兼業農家さん御用達の職種があってもおかしくないレベル。
で、農家っていっても、先祖伝来の土地、先祖代々の仕事だから仕方なくやってるだけで、別に儲かりもしないし、
これからさき高度経済成長の時みたいに二束三文の土地が高騰して地主でうはうはという時代がまたくるとは思えないし。
たぶん農業で比較的儲かるのは都市近郊でハウスで一年中野菜とか花とか栽培するくらいだと思う。
ハウスだといろいろ出費や投資が必要だから、
ある程度の値段で買い取ってくれる大口のお得意様がないと、
単に市場に卸してたんじゃあ不安定でしょうがないだろうな。
手間もかかってたいへんだと思うね。
つかまあ、こんだけ世の中サラリーマン社会になってるのに、漁業や農業だけ自営業がメインってのがもう、
時代遅れ。
農協とか漁協とかも、日本が社会主義国家にむかうなら意味あるかもしれんが、
別に株式会社でいいじゃんと思う。
そんでTPPとかやると北海道の自営農家なんてほぼ全滅するんじゃないか。
そこはそれイオン様とかが大規模農業とかやればいいんじゃないか。
かつて個人経営の商店街が大規模店の出店でばりばりつぶされた。シャッター街になった。
それとおんなじことが農業でも起きないのがそもそも虚構。
そもそもの欺瞞。
てかまあそんなこと考えるとロシアとかあんなにでかい無駄な土地もっててよく回していけるなとかおもうわな。
北海道ですら過疎るのにな。
つかまあ米とか小麦とか穀物はもう守っても仕方ない。
守らなくても国産のブランド米は競争力あって、ある程度生き残る。
小麦はもう無理だろ。
TPPの一番大きいのは自動車と小麦。
小麦を自由化すればパンとか、ラーメンなんかの麺類が今とくらべてただ同然に安くなる。
生活費がそうとう浮くから、贅沢せず、金がなくとも、
物価がもともと安い田舎でしょんぼり暮らしてればなんとか食っていけるようになる。
悪いことじゃない。
たぶんほんとうの順番は農協解体→農業完全自由化→TPP参加なんだろうが、
TPP先にやっちゃって農業を事実上いったんつぶさなきゃならない。
上策、中策、下策とあれば、一番まずい下策だが政治というのはそうしたものだろう。
個人商店街もハードランディングで消えていったのだからね。
琴線
幸仁親王関係。
図に書いてみるとすごくめんどくさい。
図は必要。
ていうか図無しでは読者わからんと思う。絶対に。
ていうか、徳川家と天皇家がこんなにややこしく入り組んでるとは、
普通の人は思いもよらんだろうね。
いやいや普通じゃない人も普通知らんよねこれは。
これでもだいぶはしょってるからね。
家綱、綱吉、家宣、家継とか書き込んでないしね。
書きようがないよね。
図でみてわかると思うがもし長仁親王が即位して、
かつ家綱が長仁を後任に指名してたら天皇が徳川幕府の征夷大将軍になっちゃってた。
これはすごいことなんだけど。
いや普通天皇が自分自身に将軍宣下はせんと思うが。
でもすごいことになってたかもしれんのですよ。
後水尾院と徳川家綱にやる気があったら江戸中期に公武合体がなってた。
しかし後水尾院には、その気がまったくなかった。
家綱には少しあった。
それがあなた、宣伝しますが、将軍家の仲人のメインテーマなんですが、
たぶん説明してもなかなかわからんと思うなあ。
風邪がなかなか治らない。
だいたいいつも一週間くらいかかる。
鼻からはいってのどにきて肺にまでくる。
菌がだんだん奥に攻めてくるかんじ。
それが一通りすまないと治らない。仕方ない。
2011.5.11 の超ヒモ理論を引っ張り出して読んでみる。
まあ、いまとあんま違わないがいろいろ書き足したりいじってあったりする。
まんがで必ず買うのは鈴木みそと久住昌之だが、
久住昌之の方は原作者だから絵柄はちがうわな。
「ずぼらめし」や「孤独のグルメ」が有名だが(それも買ったが)、
昔の「だんどりくん」とか「豪快さん」とかが好き。
ドラマになった「孤独のグルメ」は何かがちょっと違う。
違和感ありまくる。
「深夜食堂」はテレビドラマになってもまあまあ良かった。
あれはごく珍しい例で、私はあまりテレビドラマが好きじゃない。
あの作者は三遊亭圓生が好きなんだよ。
そこが少し琴線に触れる。趣味が近い。
だがあまりくどい人情話されると読んでられないし、
連載が長引くほどそれが陳腐になっていく。
今はもう読んでない。
将軍家の仲人はあれはけっこう圓生の「八五郎出世」(「妾馬」とも)と言う話をネタとして使ってある。
「お鶴の方様お部屋様」「ご男子ご出生」なんてのはそのまんまだ。
為永春水も少しまじってるかな。
鈴木みそと久住昌之に共通するのはあの独特のリアリティだわな。
昭和の空気感というか。
あざとさがない。
女子高生とか妹とかBLとかミステリーとかメンタルやんでる感じとか。
あざとい設定の小説は、あーこいつ、最初の設定があざとい、
と思うともう読めない。
たとえば、精神病の美人の女子高生の話があるとする。
こういうのが困る。
精神病患者と医者の話を淡々と書いてくれるのであれば、たぶん読める。
しかし、なぜ女子高生なのか。
しかも、なぜ美人なのか。
必然性があれば読める。
だが、ただ単に、客寄せのためにヒロインを女子高生にし、さらに美人であることにしている。
つまり、精神病患者という劇薬と、美人女子高生というあざといネタを、
特に必然性もなく混ぜ合わせているように思えるのである。
つまりそれがテレビドラマの仕立て方というものであり、
三文ライターのものの書き方というものではないか。
それが人工旨味調味料的な味わいにして、
それがリアリズムを欠落させ、しらけさせてしまうのだ。
あーなんか同じようなネタが「ぶらよろ」にもあったかもしれん。
別に美人じゃなかったな。ふつうの若い女だったような気がする。
それならまあ許せる。
逆に、そういう仕掛け無しに(もちろん仕掛けはあるんだが)ぐいぐい引き込んでくれるものが、
鈴木みそと久住昌之にはあるわけよ。
もちろん緻密に計算されている。
それをわかった上で私も読んでる。
計算に乗っかるのが楽しい。
きちんと仕込みをしてくれているし素材も新鮮で心地よい。
ぜんぜんあざとくない。
たとえて言えば、おまかせで握ってもらえる板前さんみたい。
信頼してる。
でも二人とも必ずしも有名ではない。
有名かも知れないがメジャーではない。
我が道をいく感じ。
たぶん私の琴線には触れても、大多数の人の琴線にはかすらない。
計算に乗っかるのが心地よいとか、
琴線に触れて気持ちいいとかいう作家に巡り会わない限り私は読まない。
乱読とかあり得ん。
気持ちにこなけりゃ自分に合ってないからと読まないだけ。
安藤レイは知り合いがアンドロイドのノベルゲー作ってたので、
自分でもアンドロイドものが書きたくなって書いたのだけど、
世間一般のアンドロイドのイメージをできるだけ裏切るように書いた。
アンドロイドってのは日本の場合、松本零士がそうとう影響を与えている。
セクサロイドとかね。
そんでまあそういうものを期待してたら裏切られると思う。
超ヒモ理論もそう。
twitter みてると、だいたいタイトルに反応してる。
たぶん中身読むとイメージと違うと思う。
実は非常にまじめな青春ものなので、クズでダメなどろどろしたヒモのイメージで読み始めると裏切られると思う。
エロティシズムはあるがエロはない、という言い方でわかってもらえるだろうか。
わからんだろうな。
ていうかまあ、私の小説が琴線に触れるひとというのはある一定数いると思うが、
多くはない。
それ以外の人たちにはがっかりしてもらうしかない。
たくさんの人に読んでもらい多少は話題になってもらわないと、
同じ固有振動数を持つ人の目に触れないから仕方なく多少ネタに走っているが、
そのネタで楽しんではもらえないと思う。
でまあ、将軍家の仲人をだいぶ書き換えたので一度無料キャンペーンする。
ついでに西行秘伝も。
私の歴史小説は、「光圀伝」みたいなもんでは決してないです。
冒頭から違うなと思った。
新撰組でも坂本龍馬でもないです。
そうだなあ。子母沢寛みたいなのはいいんだが、
いまどきの幕末維新ものはどれも好きになれん。
山本一力、風野真知雄とかは嫌いじゃない。
読まないけど。
山本周五郎はすきだけど吉川英治はきらい。
やっぱそこが琴線というか固有周波数なんだよなあ、きっと。
内容どうこう言うのはやめておく。
つまり私の小説は見た目と実際の固有振動数が違う、そういう設計なんです。
軽いと思ったら重かったり、
重いと思ったら軽かったりすると思う。
見た目と中身が違うと売る人は困るだろうね。
ま、私の場合売る人と書く人は同じなんだがね。
勅撰集の成立
白河天皇の時代に、後拾遺集と金葉集という二つの和歌集が出たこと、かつ、白河天皇の時代に、古今集、後撰集、拾遺集が整備されたことは大きな意味があった。
これらの、白河天皇の時代の事業によって、
初めて勅撰集というものが定期的に刊行されることになったからである。
伊勢神宮が定期的に建て替えられるようになったのも、
最初からそのように決まっていたからではなく、
何かの理由で反復されることになったのだと思う。
古今集・後撰集・拾遺集のあと、後拾遺集まで長いブランクがあった、
などと書いている人は、
要するに、勅撰集というものは、定期的に作られるものだという固定観念で言っている。
また、三代集というものが、後世言う意味での勅撰集と同質のものであり、
かつ、勅撰集というものが古今集ですでに完成されたものだと思っているのである。
その幻想を産んだのは白河天皇のせいでもある。
彼が、或いは彼の時代の歌人たちが、古今集までさかのぼり、
古今集を理想形とした、勅撰集という形式を確立したのだ。
もしかすると、古今集・後撰集・拾遺集という三部構成になったのも、
後拾遺集が出たあとかもしれない。
どこまでが古今集で、どこまでが後撰集で、どこからが拾遺集なのか。
もとの古今集というのはもっと短くて、
四部構成や五部構成になっていたかもしれない。
その可能性は否定できない。
ともかく、白河天皇の、というより白河院の時代に、
勅撰集とはこうしたものである。
その初めは古今集でその内容はこうである、
その次とその次はここまでである、
そして後拾遺集はこんなんだから、次は誰かが作ろうや、
ということになり、金葉集を作ることになったが、
これがまたすったもんだした。
後拾遺集が案外きれいにまとまったもんだから、
金葉集はどうしようかというので、いろいろ試行錯誤することになる。
難産だったというのと、選者にセンスがなかったのと、両方だろう。
白河院はたぶん途中であきれてあきらめた。
二奏本ができた段階でもう飽きていて、
三奏本を持ってきたときには、あっそうみたいな感じで受け取っただけだった。
嘉納とかありえんと思う。
白河院の執念であんなに時間をかけたのではないはず。
こうして金葉集が不完全燃焼な形で終わってしまったので、
次の世代の人、
つまり崇徳上皇だが、
彼が詞花集を作る。
詞花集によってやっとある一定の形で、継続して勅撰集が作られていく、
という合意が形成されたと思う。
詞花集はコンパクトによくまとまっていて、
ゆえにその次の千載集までくると、割と作りやすかっただろうと思う。
よく似た有名な議論がある。
さっきの伊勢神宮の話もそうだが、
神武天皇から雄略天皇の手前まで、天皇は実在しないとか、
さかのぼって捏造されたのだというもの。
実在したかしなかったかなんてことは今更わかりようもない。
古今集から後拾遺集までの勅撰集の成立に関しては、
しかしほとんど誰もが疑っていない。
定説にあるごとくあったとする。
俊成の古来風体抄についてもほとんど誰も疑わない。
あのような完全な形の歌論がいきなりできた、
そう信じているらしい。
そうではない。
捏造でもなければいきなり完成したのでもない。
どうしてそう両極端に考えようとするのか。
最初に原初的なものが生まれ、不完全なものが次第に完成されていったのに決まっているではないか。
しかし人間はどうしてもそういう過渡的で曖昧な状態というのを認識しにくい。
あったかなかったかの二元論で片付けてしまいがちなのだ。
そして後世の人が必ず最初からきちんと完成されてましたとさかのぼって説明しようとする。
よせばいいのに適当に証拠を捏造する。
そしてもっと後世の人がそれは実は捏造でしたといいだす。
実は何もなかったんだ、と言い出す。
どっちもどっちだ。
時代が古かろうと新しかろうと、どうしてもそんなふうにゼロか一かという議論をしたがるのだ。
議論とはそうしたものなのだろう。
創造説とはそうしたものだ。
あるとき急に世界は作られた。
或いは大昔から今のとおりに存在した。
神が作った。
開祖様が決めた。
温泉は弘法大師が見つけた。いや、役行者がみつけた。
そんなわけはない。
進化論というものが受け入れられたのはごく最近になってからだ。
状況証拠の積み重ねによってはじめて、
人間の思考や直感に基づかず、
おそらくこのへんであったろうということが、
結論づけられるようになってきたのだ。
安本美典だって神武天皇が実在したと主張しているわけではない。
神武天皇以後の天皇がみな実在していたとして、
その頃の在位期間の平均は十年くらいだと仮定できるから、
神武天皇が即位したのはこのくらいの時だっただろうと言っているだけである。
で神話の通りに天孫というのが続いたのなら天照大神はこのくらいの時代にいたことになるだろう。そう言っているだけだ。
そういう状況証拠的、統計学的なアプローチしかできない。
或いは考古学的な事実を積み重ねていくしかない。
それでいいのである。
和歌や歌論はそういう議論に比べるとはるかに遅れている。
戦前の佐佐木信綱でだいたい終わっている。
戦後だと丸谷才一と大野晋くらい。
ほとんど議論されないから話が全然古いままで止まってる。
詞花集
> 萌えいづる 草葉のみかは 小笠原 駒のけしきも 春めきにけり
小笠原は小笠原氏発祥の地であり、甲斐国巨摩郡にある地名。
巨摩郡と書くが駒郡という意味であろう。
広大な馬牧場があったか。
富士や白根山などの連峰の谷間の牧草地に春が来ると、
新緑だけでなく、馬のようすも春めいてくる。
そんな春の牧場を詠んだ歌。
なんとすばらしい歌だろうか。
もう少しこの歌は評価されて良いと思う。
新風とはまさにこのような歌を言うべき。
定家はこういう歌にはまったく冷淡だった。
> 春くれば花のこずゑに誘はれていたらぬ里のなかりつるかな
白河院御製。なかなかよい。
> さくらばな手ごとに折りて帰るをば春の行くとや人は見るらむ
素性法師の、見てのみや人にかたらむさくら花てごとにをりていへづとにせむ、にちなむのであろう。なかなか良い。
> 春ごとにみる花なれど今年より咲きはじめたるここちこそすれ
これも素直な良いうた。
> ふるさとの花のにほひやまさるらむしづ心なく帰る雁かな
なかなか良い。
> 年をへて燃ゆてふ富士の山よりもあはぬ思ひは我ぞまされる
詠み人しらず。
民間歌謡か。
全体的にレベル高い。
金葉集三奏本と詞花集
ざっと見ただけだが、
詞花集には、和泉式部や赤染右衛門が復活していた。
少しおもしろくなってる。
金葉集三奏本にも和泉式部や赤染右衛門が復活してる(笑)。
まあ白河院の指示だわな。
そりゃそうだと思うよ。
なんか選者が怒られてるのが目に浮かぶわな。
しかし三奏本に新たに採られた歌は詞花集にも入っていたりするので、
三奏本はまともな勅撰集とはみなされてなかった可能性があるわな。
ようするに金葉集二奏本は駄作。
金葉集三奏本はまあみれる。
詞花集は比較的まとも。
詞花集にはすでに待賢門院堀川とかいて、少しにやっとする。
待賢門院って祇園の女御の娘だよな。
うんうん。
> 初めて奏覧した(初度本)は、紀貫之の歌を巻頭歌として伝統的な勅撰原則に従ったが、古めかしすぎて白河院の不興を被る。天治二年四月頃、改訂本を再度奏覧(二度本)し、これが藤原顕季の歌を巻頭に置いて当代歌人の歌を主軸に置いた斬新すぎる歌集であったためにまた却下され、大治元年(1126)または翌年、三度奏覧してようやく嘉納(三奏本)された。三奏本は源重之の歌を巻頭に置いて、伝統と当世風を調和させたものだったが、実は下書き状態で奏覧されたため世に流布されなかった。
斬新すぎるとか。
つまんなすぎるんだよ。
斬新だけどつまんないのを前衛とかダダイズムっていうんだよ。
斬新ですらないからダダイズムですらないがな。
言ってることがとんちんかんだな。
みんな巻頭歌しか見てないんじゃないの。
中身も全部読めよ。
紀貫之が頭にこようがこまいがそんなこまけーこと気にしてんじゃないよ。
で、三奏本は少し古典に戻したとかじゃあないんだよ。
白河院に怒られたけど選者が無能で、
当代でおもしろい歌を見つけられなかったから古歌で補填しただけだよ。
笑えるな。
いったい誰がこんな文章書いてるんだ。
新奇とか斬新というなら具体的にどの歌がどんなふうに新しくておもしろいのか言ってみろよ。
三奏本は白河院の意志を反映したほんとうの勅撰集だか言うやつもいるが、
ただの妥協の産物だと思うね。
白河院もあきれただろうね。
三度もやってこのありさまかとね。
当代歌人の歌を主体に構成するのが革新的なら古今集だって後拾遺集だって革新的だろ。
何がいいたのか。
金葉集
ざっと読んでみたが、これはつまらん。
実際読んでみれば、金葉集三奏の謎というのは明らかだ。
白河院は、つまらんから二度も作り直させたのだ。
三度目は仕方ないから終わりにした。
三奏目で満足して嘉納したというのは嘘だろう。
つまり、後拾遺集には、
和泉式部、相模、赤染右衛門なんかが良い味出してたわけです。
公任、能因法師もたしかにすばらしい。
その他にもおもしろい歌がたくさんある。
あと、だじゃれがつまらん。
巻頭歌なんてのは、後拾遺集はどうでもよいだじゃれをきかすものだが、
金葉集のはくすりともこない。
ユーモアのかけらも無い。
後拾遺集は恋部が一から五まであって実に圧巻だ。
春の部も梅や桜が非常に充実している。
金葉集にはそれがない。
なんなんだこいつらはと思う。
ものすごくつまらない連中があつまってつまらない歌集を作ったって感じ。
恋部下に詠み人知らずの歌がずらっと並ぶところがあるが、
普通、詠み人知らずの恋の歌はおもしろいものが多いのだが、
なんかつまらん歌がただ羅列してあるだけ。
なんなのかこれは。
> 古今以来の伝統にとらわれず、同時代の歌人による新奇な作風な歌を多く取り入れ、誹諧趣向が目立つ。
はあ。新奇な作風ね。つまんないんだよね。
> これが当時の歌壇に新風を吹き入れたのは確かだが、のち藤原俊成に批判される通り、「戯れの様」が過ぎて格調を欠く歌もあった。
これで戯れているのか。
なら古今集や後拾遺集はもっとふざけまくってると思うが。
俊成がほんとにそんなこといったのか。
あれだろ、「古来風体抄」にたまたまそう書いてあっただけだろ。
俊成ならただ「つまらん」と言っただけだと思うが。
確実にいえるのは、金葉集の選者は、
和泉式部とか紫式部とかそういう女性歌人が大嫌いだっただろうということだね。
それが全体的に金葉集にめりはりをなくして単調にしてる。
ユーモアのセンスもなく恋も知らぬ。
花鳥風月に感じる心もない。
こんな和歌誰がなんのために詠んでだれが楽しむのか。
白河院みたいな遊び好きな人には堪えられなかったろうね。
なんでこんな簡単なことがわからんのか。
今まで指摘されなかったのか。
だいたいどんな時代にもねじのぶっとんだおもしろい女流歌人というのはいるものだろう。
昭和に中島みゆきや谷山浩子がいるようなもん。
古今集のころには小町と伊勢がいた。
後拾遺集のときは和泉式部、相模、赤染右衛門、ほかにももう少しいるようだ。
新古今だと式子内親王だとか待賢門院なんとかとか上西門院なんとかとか、とにかくたくさんいた。
金葉集のころだけいなかったわけがない。そんなわきゃない。
いたけどそういう歌人を発掘するという義務を怠ったのだ。
情趣を解さぬ男たちばかりが自分たちの歌ばかり集めて、
下級役人の娘とか庶民の歌なんかは調査すらしなかった。
だから金葉集のようなものができた。
実にもったいない。
別の人が選者になっていれば、和泉式部レベルの女流歌人が今日まで伝わっていたかもしれない。
後の勅撰集もまた、同時代の歌人を発掘するという手間を惜しんだ。
だもんだから、伊勢とか和泉式部とか大昔の女流歌人の歌をわざわざ拾ってきて載せたりした。
あほかと思う。
自分で調達しろ。
