挫折しそう

源氏物語めんどい。
長い長いRPGみたいな。
まあ自分に合わないものを無理して読む必要もないわけで。
この帚木の長い長い男たちの問答も、そのあとの空蝉のぐだぐだも、もうどうでも良い感じ。
ていうかまたこの調子であとどのくらい続くのかっていう。
でまあ、源氏も空蝉も一応既婚者なわけで、
だが空蝉は年寄りの後妻でしかも別居中であり、
当時の習慣としては一夫多妻みたいなもので、
今の感覚でこれを不倫とは一概には言えないし、
かつ源氏は親王ではないが天皇の子だから
(有力な女御の子は親王になれたが、それ以外は源氏姓など賜って臣籍降下する)、
このくらいのことはあるんだろうけど、
帚木・空蝉の辺りなどは源氏物語の一番初期からあった原型のようなものじゃないかと思うのだが、
こういう女性週刊誌のゴシップ記事みたいなものを後世の武士たちが嫌悪したのはよくわかる。
ていうかこういう女性文学があったから今の日本のオタク文化があるんだろうと思う。
同じぐだぐたにしても竹取物語や和泉式部日記などの方がずっと上品だよな。
それにすっと読める程度の分量だし。

帚木原文

> なよびかに女しと見れば、あまり情けにひきこめられて、とりなせば、あだめく。これをはじめの難とすべし。

渋谷訳

> 艶っぽくて女性的だと見えると、度を越して情趣にこだわって、調子を合わせると、浮わつきます。これを、第一の難点と言うべきでしょう。

与謝野訳

> なよなよとしていて優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります。そんなことは選定の最初の関門ですよ。

わかんねえよ。
難しすぎる。
女性選び、妻選びの話なんで、どちらかと言えば、与謝野訳の方があってる気がするが、
どちらとも言えないというか。
与謝野訳はいろいろ補完されているので意味は通るがそれと原文と意味があっているかはなんとも言えない。
渋谷訳は直訳なんだろうが、意味不明。これ読んで意味がわかる人は居るまいし本人もわかってはいるまい。

ヤマザクラ


多摩の尾根緑道にヤマザクラの並木があったので、わざわざ撮影に行った。美しいが、ソメイヨシノに比べるとかなり地味。逆に、ヤマザクラを見てからソメイヨシノを見るといかにも人工的な造花のような感じがする。ソメイヨシノは派手だが色調が単調で、幹が黒々とごつごつしてて醜い。ヤマザクラは幹がすっと細く高く伸びて気持ちが良い。

ソメイヨシノだと、桜のトンネルのようなものを何千本も作りやすいのだろうが、ヤマザクラはそんなことをしてもあまり派手な感じにはならず、遠目にはかなり地味な印象で、ここの尾根緑道のような、雑木林にとけこんだような自然な感じにしかならないのではないか。しかしまあ、むやみやたらとソメイヨシノが咲いて、屋台や御輿が出てよさこいソーラン祭りみたいになっているところもあるのだが、わざわざこのような緑道まででかけて静かにのんびり桜を見る方がずっと良い気がする。

青い葉と白い花のコントラストが高いミドリヤマザクラとも明らかに雰囲気が異なる。

参考までにこちらが同じ日に別の場所で撮ったソメイヨシノ。
うーむ。こういうものを日本の文化と言ってしまうのはどうかと、
ヤマザクラを見た後では考えてしまう。単一DNAのクローンなんだよなあ、ソメイヨシノは。戦後の混乱期に、後にどんな劇的な効果を生むか最初はあまり深く考えず、植えてしまうのだが、それが50年も経つとえらいことになってしまい、さくらまつりみたいな盛大な祭りをやらざるを得なくなっている、そんな気がするのだが。ソメイヨシノに振り回されている日本、みたいな。宣長が見たらなんと言うだろうか。

ヤマザクラ(幼木)


比較的新しく植えられたヤマザクラ。ソメイヨシノは割と若いうちから花がたくさん咲くようだが、やはりヤマザクラは若いころは花が多くないのではないか。

植樹されたばかりのヤマザクラ(花が咲いてないのでよく確認できないが、状況的には)は添え木をあてられて幹は一本だけ。花を咲かすことはできず、若い葉だけがめばえている。

ヤマザクラ(樹形)

開けた場所に植えられると、根本から何本も放射状に分岐する。ソメイヨシノの場合に、一本のごつごつとした太い幹が、やや立ち上がった後に分岐するが、ヤマザクラはもっと地面に近いところから何本にもわかれ、幹の一本一本は比較的細い。ヤブに生えているときはその放射状の分岐がかなりせばまり、上へ上へと伸びる。斜面に植えられると横にのび、垂れ下がることもある。

ヤマザクラとミドリヤマザクラ

さくら品種図鑑桜花譜等々を見ると、山桜には主に「ヤマザクラ」と「ミドリヤマザクラ」がある。私も近所の公園をぷらぷらと歩いてみたが、新しい葉の葉緑素が足りずに赤みがかって、一見枯葉のようにもみえる桜の木がある。こちらが吉野山などの「ヤマザクラ」なのだろう。一方で青々とした葉の「ミドリヤマザクラ」というものもある。

ヤマザクラの美しさはおそらく、花の白さ、花芯や軸の赤さ、新葉の茶、赤、黄色みがかった緑まで、さまざまな淡い色合いが混じり合い、それらが山全体にわたって咲いているようすなのだろうなと思う。

ソメイヨシノは枝が横へ横へと広がっていく。ミドリヤマザクラもだいたい同じような形になる。どちらも花が間近に見れて、観賞用には良い。しだれ桜などはさらに花が目の前まで垂れてくる。しかし、「ヤマザクラ」は枝が上へ上へと伸びてたいへんな高木になり、さらにその梢に花が咲くので、花自体をよくよく見るのは難しい。特にやぶの中に生えているものは、他の雑木と競うから、よけいに上に延びる。写真にも撮りにくい。池の岸辺などに生えているものは、これも池の真ん中の方へ伸びてそこで咲いている。やはり写真にとりにくい。日本原生種の古態を留めていると言えば言えよう。とまあそんなわけでまだ満足のいく「ヤマザクラ」の写真がとれてない状況ではある。

源氏物語を読み始める

本棚から出てきた岩波文庫版の源氏物語を読み始める。
今、桐壺から帚木の途中まで。
平家物語よりは難しいが太平記やら吾妻鏡などに比べれば読めるか。
なにしろ源氏物語レベルになると攻略本も walkthrough もなんでもありだと思ったが、
案外 wikipedia なども使いにくく、
間違いもあるようだ。
たとえば弘徽殿女御は左大臣家の人物となっているが、右大臣家でないと話が通らない、など。

フリーの現代語訳は
[渋谷栄一訳](http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/)と、
[与謝野晶子訳](http://www.genji.co.jp/yosano/yosano.html)がある。
渋谷訳は直訳調でなんかわからんことが多い。
与謝野訳は、かなり意訳してある。
たとえば、
桐壺で、

> 里の殿は、修理職、内匠寮に宣旨下りて、二なう改め造らせたまふ。

とあるのを、渋谷訳は

> 実家のお邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとなく立派にご改造させなさる。

とあり、与謝野訳は

> 更衣の家のほうは修理の役所、内匠寮などへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。

とある。
源氏は元服して左大臣の娘・葵の上と結婚したので、里の殿とは左大臣家のことかと思ったが、
これは要するに妻の実家であるから他人の家なわけで源氏が
「かかる所に思ふやうならむ人を据ゑて住まばや」などと思うはずがなく、また左大臣家は「大殿」と書かれている。
渋谷訳では「里の殿」を「実家」と訳しているだけだが、
与謝野訳では「更衣の家」、つまり源氏の母である桐壺の上が生まれ育った実家であることが明示されていて、
わかりやすい。
ただ「宣旨下りて」を「帝がお命じになって」まで意訳する必要があるかどうか。
その他の場所もだいたい同じ。
「いかで、はたかかりけむと、思ふより違へることなむ、あやしく心とまるわざなる」を
与謝野「意外であったということは十分に男の心を引くカになります」と訳すのはやり過ぎではないか。
渋谷「どうしてまあ、こんな人がいたのだろうと、想像していたことと違って、不思議に気持ちが引き付けられるものです」
程度に訳した方が無難ではなかろうか。
渋谷訳はたぶん現代語読んでも逆に良くわからんところがある。
与謝野訳は意味は良くわかるがそのままでは原文のニュアンスが伝わらないところがある、というところか。
原文読みながら参照するのであれば与謝野訳が良い。

狂歌

> いきつけの店に寄らむと思へどもいつもと同じ今日のおすすめ

ひどい歌だな。
我が詩情はもはや枯れた。

> はなみつつねびえやしけむかぜをいたみせきもとめあへぬながれなりけり

寝冷えして風邪を引き鼻水や咳がとまらないという意味。ひどい。これはひどい。

> やがていぬる人には言はじなにごとも言ふも答ふも聞くもうたてし

> 今よりはしばしいとまもなかりけりただことしげき春のあけくれ

なんか今年は嫌な年になりそうだなということを

> ことしこそ思ひも侘びねむらぎもの心ひらかむどちもあらなくに

まあ、用心することだな。

> うらもなく飲みてかたらふ人もがなわがつねづねの憂さも聞かせて

酒飲んで愚痴はやめような。

> あさましや人みな思ひたがひてはもだすべきのみ言ふかひもなし

昔から同じようなことは言っている。

一番初期に詠んだ歌

たまたま当時の日記が残っていたので漁ってみる。

20才の3月13日。

> 久しぶりにこたつを出してあたりつつ松本伊代の歌など聴けり

> つれづれにうるせいやつらに鉛筆で塗り絵をしつつ春の日は過ぐ

> 金のない学生なればやきそばの三食分を晩飯に食ふ

> リプトンとトワイニングを買ひおきてけふはリプトンをいれて飲むかな

> ウィスキーの飲みおはりたる空き瓶の捨てられざれば部屋に留まる

田舎から帰省してきた直後で、田舎の愛宕山のことを

> いとけなきころより登る愛宕山のこぼてるほこらたてなほりけり

> 山の上は木のしげりしがひらかれて四方にみはらすうてなたちけり

3月21日。たぶん初の長歌

> 買ひおきし 米をかしぎて 魚屋で 買ひしめばると 野菜屋で 買ひし生姜を 醤油にて 煮て食べにけり けふのひるげに

反歌は見あたらない。このころ自炊するのがとても楽しかったようだ。

> 高来峯の土のうつはにぬばたまの黒きコーラを注ぎて飲みけり

「高来峯の土のうつは」とは「雲仙焼き」のこと。

> 電話屋が今日部屋に来て電話機をつけたのですぐ電話してみた

3月23日

> ここちよきものにぞありける広々とひとりこたつにうたたねするは

この頃寮を出て独り暮らしを始めたばかり。
こたつの歌が非常に多い。

> ここちよききはみにぞある血を吐きて床に伏したる祖父を思はで

> 電話引きはじめて届きし連絡は故郷の祖父の血を吐きぬとぞ

> わが家はいかにかあらむことしげきをりは人手も足らざるらむを

> 朝の日に窓は白みてあまだれの音にまじりて鳥のねもする

> 明けぬるに腹の具合の悪ければ外にいづるもうたてあるかな

> ひねもすに雪の降りても冬のごといとど寒くはあらぬよはかな

> 春来むとけはひはすれどたれこめて今日またふれる雪ぞくちをし

> 降る雪の雨にかはりてふりければ積もれる雪の靴にしむかな

> 固からば雪まろばしもすべからめかくゆるくてはせむかたもなし

> 雪降れば壁にむかひて日のささぬ窓もひときは白き朝かな

独学感に満ちあふれているな。
漢語も現代語もかなりかまわず使っているのがわかる。

山形赤湯温泉合宿免許

大学三年生の夏。22才。青春だなあ。車と中免の同時教習だった。

> ふかきよりふかき思ひに入りにけり今ひとたびと求むるにより

> いねし間に町に夕立はふりにけりよひの祭りを清むるごとく

> 花も実もあらで畑におふる木をつくづく見れば桜なりけり

> 思ふさまに林檎は育ち鳥は鳴き川には土地の子らさへ遊ぶ

> ひさしぶりにつくづく熱き湯に入りてあがればビールふと飲ままほし

> 柿の種買はむと来つる夜の店になんとラムネは五十円なり

> さすがプロ全然こぼさなかったねとおせじを言ってくれるおばさん

> アメリカやオーストラリアに行かずとも空の広さは日本にもある

> 国つ神に我が来しことを告ぐるなりひとりつとめての外山に登り

> けふひと日雨は降りけりゆく川の流れは満ちてささにごりたり

> おみくじを結びおくためひとむらのあをささだけぞまうけられたる

> こぞの夏買ひし麦わら帽もがなけふしも日差し強くなりけり

> ゆふさればおほかたのせみはしづまりてみやゐの杜にひぐらしぞ鳴く

> やうやくにみづかさは減り子らもまた来むと見しまに雨はふりけり

> たかさごの尾根をつたひてゆく雲のいづこにけふはつどはむとする

> えも言はず夏の光にみがかれて指に乱るるみづの流れを

> 暗幕で外は見えねどひぐらしの鳴く声きこゆゆふさればにや

> いくにちかそるもうたてとありしひげも思ふともなくけふはそりけり

> あたたかき部屋に戻りてかけおきし作業着におのが匂いをかぎぬ

> 思ひみなしづめむとして湯に入りて伊東静雄の歌くちずさむ

> おもいきりバイクの第二段階の急制動でこけてしまった

> この分じゃ帰るころにはばらばらになるんじゃないかおれのからだは

> 汗をかいてそのあと風呂に入るのもビールをうまく飲むだけのため

> けふよりは残しし仕事はじめむと思ひしことのほかにもあるかな

> 卒検にこさめ降らなむふらふらと道に出で来る人もこそ減れ

> とみに雨降り始めける部屋にありてこころあてなき日を過ぐすかな

> わが宿のかたへに川の水は満ちかたへに稲の穂ぞ実りける

> かの車とくも行かなむかのおうなな出でそ我は検定中ぞ

> たれかこの川わたるらむこことかの岸辺に続く道はあれども

> 卒検を受けてののちにくらぶれば昔はものを思はざりけり

> 卒検はおはりにけりないたづらに歩道をわたるおうなを知らで

> あめやむはありがたかれどしかすがにおきなおうなら道に出づらめ

> 温泉に栄ゆる町にゐやあつく神はとやまにまつらるるなり

> 故郷でも今日より盆にいりにけむ祖父の初盆なれどあらぬかも

> 初盆にみかんはいまだ青からむとぶらふ人もまたおほからむ

> こぼすなよ、心配無用、ゆっくりと半クラッチでコルク抜くから

> 夜さりて窓のあかりにはむしらはあまた来れども我は帰るも

> とをあまりやうかのあひだこの町にあれどもあした我はいぬめり

> 始発ではないのでつばさもやまびこも最悪の場合たちどほしだな

> かへるさに小室直樹の新刊を買へばつれづれなぐさまれけり

> 立ったまま食う幕の内のんびりと釜飯なんか食ってられるか

> 立ちぼうけ弁当売りの姉ちゃんがとほれるくらいの混み具合にて

> 時間割吹き流してる扇風機夏休みあと幾日もなし

> 一枚にふたつきごとのカレンダーながつきなればあらためにけり