後拾遺集で大きく採り上げられた女流歌人、和泉式部、相模、赤染衛門は、
相模だけが後拾遺集初出で、後は拾遺集初出。ただし一首ずつ。
> 性空上人のもとに、よみてつかはしける 和泉式部 雅致女式部
> 暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥に照せ山のはの月
> 大江為基あづまへまかりくだりけるに、あふぎをつかはすとて 赤染衛門
> 惜むともなきものゆゑにしかすがの渡ときけばただならぬかな
和泉式部は大江雅致の娘、
赤染衛門は大江匡衡の妻、
相模は大江公資の妻であって、みな大江氏つながりなのが興味深い。
大江氏は学者の家柄だから歌が詠めておかしくない。
相模は拾遺集に採られるには若すぎる。
和泉式部なら30歳くらいまでに詠んだ歌。
赤染衛門が一番年寄り。
初出はともかくとしてこれら三人を勅撰集に抜擢したのは藤原通俊に他ならない。
もしかするとすでに当時和泉式部らは有名な歌人ではあったかもしれない。
しかし、主流派とはみなされてなかった。どちらかと言えば色物扱いだったのだろうと思うよ。
通俊と大江氏になにかつながりがあるのだろうか。
まったくわからない。
難後拾遺を読んでみたいが、どうやら群書類従に写本しかないらしい。
まあ、読めないな。
もっと修行を積まないと。
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