近藤芳美。
先入観を捨て、まじめに読んでみると良いものもある。
> 夕ぐれは 埃の如く 立つ霧に 駅より駅に 歩む労務者
> つらなりて あかり灯れる 陸橋を 歩める中に 義足踏む音
> 列つくる 地下食堂の かたはらに 扉ひらきて 映画がうつる
> 冷えびえと 設計室の かげり来て 靴より出づる 釘ひとり打つ
> 夜おそく 設計室に 来し妻と 床の電熱器 ともしてあたる
> 又何か 仕事もくろむ 弟の おそく帰りて 二階に上る
> つつましく 米残す妻 つきつめし 餓は吾らに 来じとぞ思ふ
> 生きて行くは 楽しと歌ひ 去りながら 幕下りたれば 湧く涙かも
> 手洗場に 入りたる妻を 待てる時 遊歩路の灯の 一つづつ消ゆ
> 耳のうら 接吻すれば 匂ひたる 少女なりしより 過ぎし十年
これらは秀歌と言って良いだろう。
> 鉄を截る 匂ひなまなまと 立つ夕べ 心疲れて 運河に出でぬ
惜しい。
上の句がよく、下の句の続き方も悪くないが、どうしても中折れな、羅列した感じ。
他にも
> 朝鮮に 産を失ひ 帰り来し 父と住み合ふ 冬を越すべく
> 意地きなき 老いし通訳 きらはれて 一人現場を よぎりて帰る
> 赤さびし 工作機械に やすりかけて 幾人もあらず 少年工のほか
> 赤きコート 又着る事も あらざりき 吾らに長き 戦ひのとき
> 枯草の 夕日に立てり 子を産まぬ 体の線の 何かさびしく
> さむざむと 白粉の浮く ほほをして 芝原を行き 帰らむとする
> 月青き 石だたみの上に 一人酔ふ ポケットに買ひし 栗こぼれつつ
> 上野駅の 夜の半ばごろ 浮浪児らは 踊る少女を かこみ集る
> みじめなる 思ひ重ねし はてにして 今かぎり無く 日本を愛す
> 興るべき 新しさとは 何ならむ なべて貧しく 生きしぬぐ日に
> 二人とも 傷つき易し 子が欲しと 言ひし事より 小さきいさかひ
> 舌を刺す 鰯を分けて 喰ふ夕餉 妻にたぬしき 事もなからむ
> 眼鏡割り 帰り来りし 弟は 部屋すみにして 早く寝むとす
> 一日を 炬燵に伏して 居し父の いたはる母に 声をあららぐ
> 諍ひし あとを互ひに 寝る家族 小さき地震を 弟は言ふ
> 仮面つけし 如き思ひに つとめつつ つく溜息を 人は聞きとむ
これらも捨てがたい。
全体に、乱調で数ばかり多い印象だが、中に光るものが混じる感じ。
それら雑多な歌は単なる散文の詞書きとして読めばよいのだろう。
ただのイデオロギーとか、そういう理屈や観念的なものではない、
日常の空気を歌という形で切り取ることができた、
目の前の実景を写し取ることができた人だ。
それはアートに属することであり、
新聞歌壇など見ていればわかるがそういうことができる人は滅多にいない。
良くも悪くも彼の存在は否定できない感じ。
少なくともこの処女作に関しては。
戦前、割とまともな古典文法と作歌法を学んだのではないか。
文語文として見て破綻が少ない(無いとは言ってない。むしろ大いにある)。人工的な感じが少ない。
30代なかば、働き盛りの、戦後まもなくの歌。
戦後、周囲に同調したり流されたりして、或いは捨てたりして、
いろんな雑多なものが混じり合っている。
たぶんもっとむちゃくちゃな労働歌を詠む連中が周りにいただろう。
戦前の伝統的な和歌を詠む連中もいたのだろう。
彼の立場が理解できぬでもない。
彼は単に自分の信じるままに良い歌を詠み続ければそれでよかったはずだ。
ただ名声や地位が上がるにつれて才能は枯渇し、
立場上駄作を濫造することになり、
周囲に惑わされ流されてしまった人ではないかと思えて仕方が無い。
戦後教育を受けた彼のシンパらはまともに文語文など習わなかっただろうし、
エスペラント運動などの影響で、勝手な新語を造るのが新しい時代だとして、
無闇に現代語と万葉語をキメラにしたような、変な言葉遣いを流行らしたとしても不思議では無い。