万葉集を検索してみると「有者」はときに「あれば」、ときに「あらば」と訓まれている。
「不有者」は「あらずは」と訓まれている。
万葉仮名を見るだけではどちらとも解釈可能だということだろう。
> 紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
でまあ、これは普通
> 紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
となるが、
> 紫の匂へる妹を憎くあれば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
と訓むこともできる。
これは大海人皇子(天武天皇)が額田王の歌
> 茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
に答えて詠んだ歌ということになっているのだが、
額田王という人が謎すぎる。
天武天皇の第一皇女は十市皇女(大友皇子の妻)だが母親は定かでない。
額田王だという説もあるが、
額田王が天武天皇の后だったという記録はないらしい。
天智天皇の夫人という説もあるが、やはり正式な記録はないらしい。
ということは、額田王は天武天皇の赤の他人だった可能性の方が高い。
額田王という皇族がいてその娘だったのだろうか。
「憎くあれば」と訓むなら、
> あなたはたしかに紫草のように美しい。だが私はあなたを憎んでいる。その上人妻でもある。どうして私があなたに恋することがあろうか。
という意味になる。
「人妻だから憎い」と解釈もできるかもしれん。
「人妻ゆゑに、紫の匂へる妹を憎くあれば、われ恋ひめやも」とすればもっとわかりやすい。
だが「憎くあらば」だと、
> 私がもしあなたを憎んでいるとすれば、私があなたに恋などするでしょうか、人妻だというのに → 憎んでいないので人妻であろうと恋しています
と解釈することもできる。
あるいは、「紫の匂へる妹を、人妻ゆゑに憎くあらば、われ恋ひめやも」と解釈するか。
いやかなりひねくれている。
どうも前者の方が素直な解釈に思えるが。
確実に言えることは額田王は柿本人麻呂と同じくらいよくわからん歌人だ、ということだ。
もしかすると伝説上の人に過ぎないかもしれん。