蔵人

投稿者: | 2013年4月15日

蔵人は天皇の秘書、というか個人的な使用人のようなものであり、
天皇が幼少の場合には学友のようなものだった。
令外の官ということは、つまり、それだけ私生活の部分にかかわる仕事なのであろう。

上西門院蔵人と言ったり二条天皇蔵人と言ったりするから、
天皇だけでなく、中宮付きの蔵人もそれぞれいたということか。
貴人の付き人を「小舎人童」と言うが、宮中に出仕する場合は特別に「蔵人」と呼ばれる、
ということかな。

頼朝も二条天皇の蔵人だったが、
頼朝12歳。
二条天皇13歳。
まあ、遊び相手か学友みたいなものだっただろう。
同じ頃に右近衛将監、右兵衛権佐などになっているがこれはれっきとした武官であるが、
年が若すぎる。
実際には御所の警邏などは担当しなかっただろう。
一応武家の子とみなされていた、という程度なのではないか。

蔵人の中には滝口がいる。
蔵人が校書殿、滝口は清涼殿というから、まあほぼ同じ辺りに詰めていた。
滝口は庭番のようなもので、夜中には夜回りをした。
江戸時代の夜回りは拍子木を叩き「火の用心」と言ったが、
滝口は弓を弾いて「火危ふし」と言った、と源氏物語に書かれているそうだ。
火の気のないところまで回ることはなかろうから、人気も火の気もある後宮辺りを警備したのだろうと思う。
滝口といっても、みんなが滝口に詰めていたのではなく、それぞれの主人の近くに侍っていたはずだ。
滝口というのもそもそも正式な職名でなくただのあだ名だ。

もし実際に火事になったらどうしたのだろう。
滝口が火消しの仕事もしたのだろうか。
ちょっとしたぼやなら消したかもしれないが、
そんな高度な消防組織、消防技術があったとも思えない。
普通に逃げたのではなかろうか。

滝口は弓矢がうまいものがなったというが、
主な仕事は猿や鼬、野犬などの獣を追い払うことだったのではなかろうか。
特に当時京都はまだまだ自然が多くて、猿は比叡山山王社の使いだというので野放し状態だったはず。
田舎の農家レベルに獣が出没しただろうと思う。
そういうのをひっくるめて当時の人たちは「物の怪」と言っていたのではなかろうか。

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