こうして系図にしてみると、
足利将軍家というのは兄弟で横にどんどん分岐していて、
しかも徳川氏のように御三家とか御三卿などの区別もなく、
尊氏の子孫のだれが偉いのかという序列もないように見える。
これではお家騒動が頻発してもおかしくない。
そのお家騒動に乗じて守護らが力をつけていき、足利氏はさらに弱体化していったはずだ。
逆の言い方をすれば徳川氏は足利氏のありさまを見て、
争い事が起きないような相続の規則を定めたのだろう。
徳川氏ではめったに起きてない、同族間の抗争が、足利氏では頻発しているのがわかるのである。
しかしまあ、知れば知るほど室町時代は奥が深いな。
そのうえほとんど世間には知られていない。
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