今では映画が一つあたるとシリーズ化するのが当たり前のようになっているが、
ゴッドファーザーの頃はそうでもなかったらしく、
続編を作ることにいろんな抵抗があったようだ。
二作目は一作目の前の話と後の話でサンドイッチする形で作られており、
一作目に相当する時期のちょっとした逸話も挿入されている。
もしマーロン・ブランドがヴィト役を引き受けていたらもっとその部分を膨らましただろう。
興行的にはともかくとして、またこの作品が結果として非常に優れているということもおいておいて、
この二作目はおそらく作る必要のないものだった。
少なくとも一作目から必然的連続的に出てくる話ではない。
コッポラはのちに地獄の黙示録を作ったように、
キューバ革命を描きたかったのだろう。
いや話はほんとは逆で、当時同時進行していたベトナム戦争が、
かつてのキューバ革命をコッポラに思い出させたのだろう。
彼の関心はアメリカという国の大義名分というものではなかったか。
あるいはアメリカ人を負かしたベトナム人やキューバ人に興味があったのかもしれない。
マフィアの話を書きたいのでもなかったかもしれない。
コッポラはヴィトやマイケルになんとかして表の世界、
つまり知事や上院議員などの仕事に就かせようとする。
裏社会の話は彼にはどうでも良い気がしていたのではないか。
コッポラにはゴッドファーザーという持ちネタがあったから、
ある意味それに引きずられて、
続編という形で作ることになる。
キューバのバチスタ政権と結んで、
フロリダ州マイアミを拠点して大儲けしていたユダヤ系のマフィアが[マイヤー・ランスキー](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)、彼は[Hyman Roth](http://en.wikipedia.org/wiki/Hyman_Roth)のモデルである。
友人のベンジャミン・シーゲルは同じユダヤ系で[Moe Greene](http://en.wikipedia.org/wiki/Moe_Greene)のモデルである。
コッポラは一作目から二作目へ話を橋渡しするためにモー・グリーンを使った。
一作目でモー・グリーンとロスはヴィトの商売仲間であり、
ヴィトはモーがラスヴェガスでホテルやカジノを経営するための資金を提供し、
その代りできの悪い息子のフレドをモーに預けている。
モーは一作目で死に、ロスは二作目から出てくる。
モーはイタリア系マフィアのナンバーツーでコルレオーネ家に敵対する黒幕の[Emilio Barzini](http://en.wikipedia.org/wiki/Emilio_Barzini)と親しかった。
バルジーニは麻薬に手を出さず、政治家を独占しているヴィトの勢力を切り崩そうとしていた。
それは割と映画の中で丁寧に説明されている。
マイケルは父ヴィトと相談の上でラスヴェガスのモーを圧迫し、ヴィトの死後モーやバルジーニを殺害する。
ロスはハバナでヴィトと商売をした仲であったが、
やはりヴィトの死後、友人モーの件を遺恨に持って、マイケルを殺そうとする。
だがそのモーとロスの関係がいまいち弱い気がするんだよなあ。
上院議員の[Pat Geary](http://en.wikipedia.org/wiki/Pat_Geary)はものすごく緻密に描かれているのに対して、ロスはいまいちとってつけたようだ。
コッポラという人はよほど政治家(政治、戦争、革命etc)に興味があるように思える。