投稿者: | 2015年5月13日

今は藤原定家とヨハンナ・シュピリを同時並行でやっているのだが、
定家のほうは最終校正を終えたので、もうやることはほとんど残ってない。
いろんな意味で疲れたが、KDPと違ってこっちは共同作業的な部分が多いので、あまりいろいろ書くわけにはいかない。
著者名も田中久三でもなく、実名でもなく、なんとなく中途半端な感じになってしまったが、
まあそちらの名前で知られるならそれでも全然かまわない。
KDPのほうを廃業するつもりはないが今は完全にこちらに軸足を移した、といえる。

私の場合、昔は共著で紙の本を書いていたこともあるのだが、
2000年くらいにばかばかしくなってやめてしまった。
その後某雑誌の編集長のようなことを少しやった(それも紙の本のうちに入るといえば入る)が、それも疲れてやめてしまった。
今回本を出してもらえるのは100%その縁故である。
いろんな寄り道をしていろんなムダをしてきたが、50歳となったいま、
ほんとに役に立ったのはあのとき編集長をしたことだったかもしれないと思う。
おかげで単著の本をこの世に残せるのだから。

KDPは個人名で本を出版できるのでとてもすばらしいと思うが、
明らかに限界にぶつかってしまっている。
今回紙の本を個人名で出せることになったのは非常にうれしいことだ。
なぜ私に書かせてくれたかということもだんだんにわかってきたのだが、それもここに書くのははばかられる。
今後の企画もいくつかあり、しばらくは本を書かせてもらえるようなので、がんばってみるつもりだ。
KDPはともかくとして、昔共著で書いた本(書かされた本)しかこの世に残せないのは非常に腹立たしかったので、
そしてほんとうに書きたいものを今回は書けたと思う。

田中久三という完全に匿名のペンネームで書き始めたのは2009年から。
そのきっかけは今となってはどうでもよいことだが、
その頃から、本業や本名とは別に作家活動がやりたくなったわけだ。
田中久三の名で本を書くことと、実名でやっている仕事と、最初はそんなに分けるつもりはなかった。
分けることによる不便さというのは実際大きい。
KDPで書いているうちはわけるのはそんなむずかしくなかったし、わざわざ私がどんなやつか調べる人もいなかったと思う。
しかしこれからは分けるのは難しくなってくる。
今度出る本には今まで明かしていなかった私個人の情報がいくらか出る。
それでも私が誰かということはわからんと思うが、
いつまでもそうしてはいられない。
もともとばれてこまるようなことはしてないのだけど。

ドイツ語のほうはずいぶん上達したと思う。
もっとはやくからまじめにやればよかった。
フローニを訳した頃はほんとひどかった。
とりあえずドイツ語の翻訳で少しまとまった仕事がしたい。
いわゆる小説を書くというところからはしばらく離れるかもしれない。

私の場合こないだ50になって、精神的にも肉体的にもすでに限界を超えている気がする。
執筆活動に専念できたらなと夢想もする。
いやそもそも、もっとはやくから著作活動をやっていたら良かったと思う。
文章はだんだん書いているうちにうまくなるものだ。
35、いや、40歳くらいから本気で始めていたら全然違っただろうなと思う。

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