小林秀雄「本居宣長」(新潮文庫上・下)を相変わらず読んでいるのだが、
これは昭和40年から51年まで「新潮」に連載されたものをそのまま単行本にしたものらしい。
下巻の巻末にさらに補足と、江藤淳との対談というか江藤淳がインタビューする形の記事が載っている。
昭和52年、江藤淳当時44才。
江藤淳が一方的にどんどん語っているのが面白い、というか笑える。
まあだから目次もないし、話の脈絡がない。
11年半も書き続けたわけだからそういうことになる。
契沖について書いている箇所があって、
契沖もまた宣長に似て
> 二人は少年時代から、生涯の終わりに至るまで、中絶することなく、「面白からぬ」歌を詠み続けた点でも良く似ている。
> 契沖ほどの大歌学者にして、この凡庸の歌があるか、と世人は首をひねっている。
と書いているので、小林秀雄もまた、宣長の歌というのは数ばかり多くて面白からぬ凡庸の歌だと思っているわけだ。
> 二人の詠歌は、自在に所感を述べて、苦吟の跡を全くとどめぬところ、まさしく「性なり、癖なり」の風体であるが、
詠歌は、決して風流や消閑の具ではなかったので、「見るところ」あって努めたものでなければ、
あれほど多量の歌が詠めた筈はない。
だいたい同感で、
歌を詠むのが日常生活における習慣というか癖になっており、
わかりやすく言えば親父が親父ギャグを連発するのと同じようにして歌を次々に詠んだということで、
風流な花鳥風月やら或いは何か高尚な詩文をひねろうとして作ったのではない、
そのときそのときの所感を自在に歌に詠んだ、ということだろう。
ある意味では即興詩人、慈円の言う速詠に近いものなのかもしれん。
小林秀雄の文章は読点が多い。
> 歌のよしあしなぞ言って何になろうか
などと言っているところもある。
宣長自身が
> もとより深く心いれてものしたるにはあらず、
みなただ思ひつづけられしままなる中には、
いたくそぞろき、たはぶれたるやうなること、
はたをりをりまじれるを、
をしへ子ども、めづらし、おかし、けうありと思ひて、
ゆめかかるさまを、まねばむとな思ひかけそ、
あなものぐるほし、
これはただ、いねがての、心のちりのつもりつつ、なれるまくらの、やまと言の葉の、霜の下に朽ち残りたるのみぞよ
などと言っているのがまたおかしい。