老後の楽しみ

何もやることがないときに、無理になにかをやろうとする必要はないと思うんだよね。そういうことは若い頃はやったほうが良いかもしれないが、年を取ったら、なにもせずぼーっとしていた方が良い。もちろん差し迫った仕事があったり、どうしてもやりたいことがあればやれば良い。だが、何もなければ何もしない。

定年退職した後の年金ぐらしの年寄りってさ、金が無いけどなにかやってなくては気がすまないから、朝からずっと図書館で新聞読んだり、雑誌読んだり、散歩したり。ちょっと色気のあるやつはユーチューバーやったり。金持ちなら旅行したり飲み食い歩きしたりするわけじゃん。やっぱそういうやつって必要なのかな。

自分でも死ぬほど退屈だと、そういうことやっちゃうのかな。たぶんやっちゃうんだろうな。一番ありがちなのはずっとネット見てたり、なにかもの書いてたりするんだろうな。子どもの頃は油絵なんかも描いてたから、あれはすごく時間がかかるからひまつぶしにまたやってもいい。作曲は最近覚えた趣味だがあれもすごく時間かかるからやってもよい。なんならなにか楽器の演奏、ピアノの練習でもやるか。

何にしろ、仕事を趣味にしたくはなかった。仕事というのは賃金労働のしごとね。そんなものは定年退職したら何もなくなってしまう。定年とともになくなってしまう趣味なんて最悪じゃないか。定年後こそは自分の趣味が必要になってくるのにさ。城山三郎だっけかな、毎日が日曜日って。そんなの最初からわかってることじゃん。

だから何もかも前倒しで、今のうちに、定年後に遊べるような趣味を覚えておく。それ以外のことは、定年後には不要なのだから、今のうちに断捨離しておく。

ただほんとに、何もしないのが一番良いような気がする。只管打坐ってやつ。ただもう何もせず一日ぼーっとする。そんなことを若い頃やっては時間の無駄だ。将来のためになにか無理にでも、優先順位をつけて、学んだり仕込んだりしなきゃいけない。しかし年寄りはそんなことする必要がない。後は死ぬだけなのだから、なにかふと思いついてやりたくなるまでただぼーっとしてれば良い。優先順位がすごく低くてもいま衝動的にやりたいことをやればよい。なんて贅沢な時間の使い方だろう。これこそ老人にしかできない贅沢だよな。例えば撮りっぱなしにした写真の整理だけでも1週間はつぶせるだろう。何をやれば良いが思いつかないと毎日同じルーチンを繰り返すことになる。それは嫌だ。朝起きて、散歩して図書館言ってスーパーで惣菜買って晩酌するとか。なにか変化を持たせたいよね。

カントは毎日同じ道を同じ時刻に散歩したっていうが、そういうことをやりたいやつはやれよと思う。でもたぶん毎回同じことをやりつつ毎回なにか違うことがあったんだと思うよ。

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