源懿子

後白河が16歳、懿子が27歳で二条天皇を産んで、懿子はそのまま死んでしまう。この年齢差が事実だとすれば、
おそらく婚姻によって懐妊したのではなかろう。
懿子は親王時代の後白河の女御か何か、つまり身の回りの世話をする女官の一人だったのだ。
いやというよりおそらく誰かの妻だったかもしれない。年が年だけに。
それを後白河が若気の至りで手をつけてしまい、妊娠して男子を産んでしまった。
正式な后を立てる前に。
皇子の男子が生まれたのであるからただではすまない。
その男子が天皇に即位すればなおさらだ。
懿子は死後皇太后となる。国母となる。
だが、皇后だったわけではない。

おそらく結婚はしてなかった。でも、その子が天皇になったので、後白河の最初の后が懿子だったことになった。
過去にさかのぼって作られた話だろう。
懿子のもともとの夫の存在も歴史から消されてしまっただろう。
後白河の后(というか後白河の皇子・皇女を産んだ女御)たちを見るとそれもまったくあり得る話だ。

後白河はその後も正式な后を選ぶことなく、いとこにあたる藤原成子に何人も子供を産ませている。
そもそも、みずから天皇になる気もなければ、周囲も彼を天皇にするつもりがまったくなかったのだろう。
まったく期待されてない天下御免の貴公子。
キム・ジョンナムに似ている、などというのは失礼すぎるだろうか。

いよいよ後白河が即位することになって、
后がいないとかっこうつかないから、藤原忻子を后にする。
しかし、忻子とはほとんどまったく夫婦関係がない。
ひどい話だ。

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