京極派と二条派

いろいろと調べてみると面白い。
いままで何も知らなかったことがわかる。

定家の子孫に京極・二条・冷泉がある。
京極家は南北朝のごたごたで断絶。京極派の歌風も断絶。
二条家も南朝との血縁が強すぎてやはり南北朝期に衰微。
頓阿などの僧侶に実権が移ったり、武家に秘伝として残ったり。
今日まで二条派として歌風が残る。
冷泉家だけが和歌の家系として今日に伝わる。

[延慶両卿訴陳状](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%85%B6%E4%B8%A1%E5%8D%BF%E8%A8%B4%E9%99%B3%E7%8A%B6)とか。
言ってることは実にくだらない。
京極家当主・京極為兼と二条家当主・二条為世の論争。

為世の主張

> 自分は二条家の嫡流で代々の歌書を相伝し、父祖に親しく学び正系を伝えるが、為兼は庶流であってそうではなく、
庶子で選者になった先例は無く、かつて三代集の作者の源当純を常純に誤ったことがあり、
またさきに佐渡に配流された為兼を選者とするのは不吉である

為兼の主張

> 歌道は嫡庶の次第や官位の浅深にこだわるものではなく、為世は選歌が拙なく、誇称する相伝本は信ずべからず怪しく、
歌学は浅く、不才、非器、とうてい選者の資格は無い

歌風としては、二条派は、伝統墨守の傾向が強く、題詠主義、平坦。
京極派は伝統にこだわらない情緒的で、字余りなどが多い、となる。
しかし「伝統にこだわらない学派」「伝統を壊す学派」というのは「学派」としては残りにくいのであって、
その点、二条派は血筋によらずに、頓阿や正徹などの意固地な歌学者が理論武装したので、
後世まで残ったのだろう。
で、実際に京極派という歌人の歌を見るに、たしかにそんなふうに感じられなくもないが、
二条派と大差ないとしか言いようがない。

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