引き続き宗政五十緒「江戸時代の和歌と歌人」。
小堀遠州の
> 風冴えて寄せ来る波の跡もなし氷る入り江の冬の夜の月
を紹介しているが、これは定家の
> 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ
などの単なる模倣であって別段大した歌ではない。
他にもいくつか紹介されているが、大したものもないし、
残っている歌もごくわずかで、なぜわざわざこの人を紹介しなくてはならなかったがはなはだ疑問だ。
と思ったら、最後に
> ・・・そのような人物であるがゆえに、あえて一文を草したのである。
などと書いている。
木下長嘯子が中秋の名月、八月十五日の前夜に詠んだ歌
> あくる夜の月をこよひの庭に見る命も知らずくもりもやせむ
を、烏丸光広が
> 名にし負ふ月はこよひに出でて見る身は浮き雲の定めなき世に
と直しているのだが、長嘯子の歌が、いかにも無骨な武士らしい歌なのに対して、
烏丸光広の歌は肝心要めの「命も知らず」を取り除いてしまい、
まったく何のインパクトもない、意味も通りにくい、というより、何を言っているのかさっぱりわからない歌にしてしまっている。
しかもこれを「堂上歌人の歌の技巧のうまさ」の一例としてあげているらしいのが、
まったく了解しがたいのである。
しかしまあこの著者の宗政五十緒という人は京都で大学の名誉教授までした人なので、
江戸時代の歌人のいろんな話題を良く知っているなあと思う。
実にうらやましい限りだ。
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